●スレ主:好童王子と
  清国や朝鮮が内部の腐敗と外部の侵略により没落し、大多数のアジア諸国が全部西欧国家の植民地に転落して行った時期。
歴史的には、極東の片隅にある小さい島国に過ぎなかった日本だけが急成長し、アジア国家中では唯一無二の帝国主義国家になりました。
  行き過ぎた欲望で、太平洋戦争によって崩壊したが、その後驚くべきことに、素早い経済再建を通じて、世界的な経済大国、アジア唯一の先進国に登りつめることができました。
  清国や朝鮮、その他のアジア諸国とは違って、日本だけがアジア唯一の帝国主義強大国、先進国になった理由はいったい何だったでしょうか?

●Wiginabox
  逆説的にいえば、日本が漢字文化圏の最も辺境にあったため、発展したとの見方もあります。日本の軍事力や経済力が朝鮮を超えた後も、文化的コンプレックスはその後も続きました。
どうせ東アジアの辺境であったから、西欧文化に拒否感もなかったみたいですね。日本近代化の過程を「コンプレックス克服」の過程と見る人々もいますよ。

●エビテナ
  その「コンプレックス克服」という話は、どの教授が話したのでしょうか?教養の時間に聞いてみたことがあるような。

●Wiginabox
  特定の教授でなく、私が知る限り、大部分の研究者がこのような表現を使います。「脱亜入欧」という言葉自体が、コンプレックスの表れでしょう。

●carvern
  ところで、日本が私たちに感じた文化的コンプレックスは何でしょう?
経済、社会、全般的に私たちより水準が高かったのに、何にコンプレックスを感じたんですか?

●Wiginabox
  当時は、朝鮮に対する文化的なコンプレックスはなかったのでは。日本は西洋との交流が多く、日本の文化が西洋にたくさん広がって西欧人らのオリエンタリズムに支えられて高く評価された時期もありました。
ただし、東アジア的価値や天下観では、日本は辺境です。
  その東アジア的天下観が、19世紀入って万国公法の時代に変化を遂げたため、日本が浮上したのでしょう。