きみはぼくのとなりでねむっている
しゃつがめくれておへそがみえている
ねむってるのではなくてしんでるのだったら
どんなにうれしいだろう
きみはもうじぶんのことしかかんがえていないめで
じっとぼくをみつめることもないし
ぼくのきらいなあべといっしょに
かわへおよぎにいくこともないのだ
きみがそばへくるときみのにおいがして
ぼくはむねがどきどきしてくる

ゆうべゆめのなかでぼくときみは
ふたりっきりでせんそうにいった
おかあさんのこともおとうさんのことも
がっこうのこともわすれていた
ふたりとももうしぬのだとおもった
しんだきみといつまでもいきようとおもった
きみとともだちになんかなりたくない
ぼくはただきみがすきなだけだ
『はだか―谷川俊太郎詩集』より

この詩を一読しただけで、ぎゅっと胸が締めつけられるような、切ない気持ちになる方はきっと多いことでしょう。
「きみ」を女性と捉え、幼い男の子の切ない恋心を歌った詩と読むこともできます。……しかし谷川は自ら、この『きみ』という詩について、

オレはこれが出たときに、小学生のゲイの詩があるんだっていばったんですけどね。なんかみんなピンとこなかったみたいなんだけど、これは明かに男の子同士の愛情の話なんですよ。
『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る』より
と語っています(谷川は同著の中で、かつて自分も中学生のときに同性愛的な傾向があった、とも言っています)。