農家にとって、田畑は金脈に等しい収入源であり、生業を立ててゆくよすがである。災害やイナゴなどによって田畑が荒廃することは、死活問題に直結する。
そのため、田畑のコンディションには、常に入念なチェックが欠かせないのだが、台風や集中豪雨などで河川が氾濫した際には、農家の田畑の状態に対する懸念が顕著になる傾向がある。

一般的には用水路から田畑に水を引く場合には通常は水をせき止める板などを水門代わりにして水量を調整するが、大雨の際に通常の流量を想定した板の配置にしている場合、板が水路を必要以上にせき止めるために水路から水があふれ出しミニ洪水を引き起こすことになる。
このため、雨量が多ければ多いほど、危険であれば危険であるほど用水路の調整を行う必要性が生じる。

大雨で水かさが増している場合には水路に流木などが引っかかっていることがあり、これがなおさら作業を困難にする。
また流木が次の流木をひっかけることで連鎖的に氾濫の危険性が増していくことになり、連鎖的なリスクの拡大を防ぐためにあえてリスクを取って用水路の流木を除去しようとする人も少なからずいる。

河川が氾濫し、洪水の恐れがあるなか外出するのは、大変危険を伴う行為であり、まして自ら用水路に行く行為は自殺行為とも取れるものである。
しかし、農家は、用水路の氾濫を防ぐためには自ら危険な領域に飛び込むことも惜しまない。
危険を顧みず田んぼの様子を確かめに行った結果、不幸にも流量の増した水路に流され落命する人も少なくない。だがそれは、水利権と引き換えの流量管理の義務なのである。

田んぼ・用水路の様子を見てくるという言葉尻をとらえて、単に「見てくる」だけのように捉えている人が少なくないが、実際には「見て必要なら管理も行う」ために事故に遭うというのが実情である。