「かわいそう」という言葉の中には、「第一志望の高校に行けない人生は悲惨」という考えが根底にあると捉えられても仕方ありません。

深い意味がないとしても、「かわいそう」という言葉には「残念ながら今のあなたは、とても哀れで不幸です」という烙印を勝手に相手の未来に押しつけており、余計なお世話であると私は常々感じています。

「第一志望の高校へ行けない事実」に対して、聞き手がかわいそうとか哀れだとかを判断する立場にはありません。

「かわいそう」という言葉には、相手に共感、寄り添うような温かさが感じられないのです。

何かにつけてすぐに「かわいそう」という人は、勝手に相手を不幸だと決めつけ、「人を憐れむ、優しい私ってどうですか」とばかりに自己陶酔しているように見えてしまうときすらあります。