上で言われてた石原莞爾
ほんまに鶴っぽくて草


石原は甘党で酒やタバコをたしなまず、菓子を食べながら議論や勉強をすることを好んでいた。
ドイツ滞在中は、パーティーのときは羽織袴を着用し、普段は背広・コートを着用していた[24]。ライカのカメラを購入し、愛用していた。

東條英機の副官を務めた西浦進(陸士34期)は「石原さんはとにかく何でもかんでも反抗するし、投書ばかりしているし、何といっても無礼な下戸だった。軍人のくせに酒を飲まずに周りを冷たい眼で見ている、だから嫌われるのも当然だ」と評した[25]。
しかしその反面、潜在的なカリスマがあったことも事実であり、多くの信奉者が存在した。辻政信や服部卓四郎、花谷正などは初対面のときから石原の存在感に圧倒され、生涯を通じての崇拝者になった[26]。