或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである;p;
或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄玉子」といふ言葉を口に浮べた;p;
何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。;p;
だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の謎(なぞ)が、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、
意識の背後にかくされて居り、縹渺(ひようびよう)として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、
捉(とら)へることができるやうに思はれた。;p;
何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。
多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛(いらいら)した執念の焦燥が、その時以来憑(つ)きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、
外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ−ヂの謎を摸索(もさく)
して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁(ささや)いて居た。悪いことにはまた、
それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。
ブララグ「テツ、タマ、ゴー」と、それは三シラブルの押韻(おういん)をし、最後に長く「ゴーーー」と曳(ひ)くのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。;p;
明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ;p;