これも長文漏れケプ語りれ注意ら^H^
名前に茄子って入れてるかあ必要に応じてNGよろしくお^H^

いまだにおこめの独立を「若さゆえに親のありがたみと愛情がわからなかった子供の反抗期」っぽく
捉える読者がいるのあ非常に遺憾ら^H^
同様に自由の鐘のエピを「若気の至りについていぎいぎからの赦しを得て安心したこもものおこめ」に
近い解釈するしとがいるのも非常に遺憾ら^H^

自由の鐘の話とか発表された当時あ漏れも正直「誕生日おめでとう」のリメイクらとしたあ
いまいちらなという印象らったんらけろ^H^
れもよりおこめ側の独立周りの感情が考察れきるような話になってるかあ
そういう目線れ読むとあれもぬげえ濃いエピソードら^H^

後のジャンプラ版れも描かれたようにおこめあいぎいぎの愛情に反発したわけれあなくて
いぎいぎを慕う気持ちあ持ち続けてたけろ一方れ自身の急激な成長にともなって
従属的な立場れいることの不自然さを自覚するようになって自立を選んだ・選ばざるをえなくなったお^H^

そんなおこめが自分の独立を必死れ止めるいぎいぎに対してろう感じたかを想像すると
いぎいぎが特別視していたのあ弟って立場の自分なんらないかとも考えたんらないかとなる^H^
実際ジャンプラの話れあ無邪気にいぎいぎあよく世話してくれてると言える良い弟やってるきゃなに対して
きゃなより成長したおこめあ「君はイギリスとお幸せに」とろこか嫉妬交じりに吐き捨てているお^H^

いぎいぎあいぎいぎれ生育環境的に国同士の関係性てものに対して不信感と諦念があったとももわれるのれ
殊更おこめという信頼とともに愛情を注げる存在あ自分の手元に置いて守りたかったらろう^H^
らかあいぎいぎにとってあ独立イコール喪失の図式が成り立つお^H^
そういう意味れいぎいぎがおこめを所有しておけた立場に固執したのあ当然ら^H^
しかしおこめがおこめらしくあるためにあどのみち従属関係のままれいられなかったことも明らから^H^

つまり双方とも本質的に求めているのあ相手の愛情ってシンプルなもののはずなんらけろ
その愛情を繋ぎとめていたのあ兄弟という関係らったという疑惑によってすれ違いと探り合いが生じているお^H^