Even the cat is a cat nine lives ―九生の猫といえども猫である



「八潮さん八潮さんこれって家デートですね!」
「これのどこがデートだ」
冷たくてそっけない口調も偏屈そうな眉間の皺も目つきの悪さも相変わらずだが、三雲は気にしなかった。
だって好きな人で恩人で仕事のパートナーの八潮がごろりと横になっているのは、三雲のベットだ。
必然的に2人がいるのは三雲の部屋である。
だから三雲にとっては誰が、そうたとえ当の八潮が違うといってもこれは家デートなのだ。
「えへへー」
ご満悦な三雲は八潮はごろごろと喉を鳴らしながら、八潮の胸元に擦り寄った。
「八潮さん、せっかくの休日なのに更新名簿を読むの止めてください」
「休日じゃねぇ。待機だ」
一色率いる取り立て屋は皆総じて腕っ節が強い。
なにせ逃げる渋る駄々を捏ねる、あげくには狂った猫を取り押さえて名簿に判を押させるのである。
生半な腕っ節と根性では、取り立て屋は勤まらない。
なかでも八潮は取り立て屋の中でも指折りだ。そんな八潮の腕を見込んで、他の取り立て屋からヘルプがかかったのだ。
八潮は「そんなターゲットなら最初から俺に回せ」と不機嫌だったが、
ターゲットの潜伏先が三雲の部屋から近かった事からそこで渋々三雲と2人待機の現状となったのである。
「もう!わかりました。今は待機中です!家デートはまたの機会を狙います」
「狙うな」
鬱陶しそうに目を細めたせいで、八潮の目つきが益々凶悪になる。
しかし三雲は八潮の関心が名簿から自分に移ったことに満面の笑みを浮かべた。
「ダメです。狙います」
八潮はそんな三雲とのやりとりを溜め息で追い払うと、徐ににぼしを咥えた。
「更新名簿を読むのはかまいませんが、咥えにぼしは止めてください!食べかすがベットに落ちたらどうするんですか」
「ガリガリと齧るのが美味いんだよ。だいたいそう言うならにぼし買っておくなよ」
「私のにぼしなのに!」
「あっこら」
むっとした三雲は勢いよく上体を起こすと、にぼしの袋を八潮の手が届かないところへ浚った。
「ふーんですよ。にぼしの食べ過ぎは猫に悪いって何度も言っているのに」
「あの味が好きなんだ。それに口寂しい」
そっぽを向く八潮に、三雲の悪戯心が疼いた。閃いたとばかりに三雲は八潮の頬に両手を添える。
「…なんだ」
「口寂しいなら、私とキスしませんか?」
三雲の吐息が八潮の唇をくすぐり、蠱惑的な視線が八潮と絡む。
八潮は冷めた眼差しだったが、徐に持ち上げた左手が三雲のうなじを這い、そっと引き寄せようと―――

「八潮おおおおおおおおお!!!!」

窓の外から力いっぱい八潮を呼ぶ大声が聞こえ、間を置かずガシャーン!とガラスの割れる音が派手に響いた。
三雲はぱっと身を翻し、八潮はやれやれとベットサイドに置いておいた帽子を手に取った。
「お仕事ですね!」
八潮を見上げる三雲の眼差しに、さっきまでの暗闇で光る猫の目のような煌きはない。
そこには川面に映る魚のような、きらきらと健康的な輝きしかなかった。
八潮はふぅーっと一息つくと、三雲の顔面に名簿を押し付けた。
「ふぎゃ!?八潮さんなにするんで」
突然名簿を押し付けられ、目を白黒させた三雲は反射的に名簿を受け取って抗議の声を上げようとした。
身を屈めた八潮が、名簿に唇を強く押し付けたのだ。
名簿は八潮の押す力で三雲の唇に逆戻りし、2人の唇を隔てるのは名簿の厚さだけ。
八潮は驚きと自分の帽子の影で瞳孔が丸くなった三雲の瞳を極々至近距離から鑑賞すると、体を離してにやりと食えない笑みをはいた。
「キスは家デートまでお預けだ」
三雲がはっと自失から醒めたときには、八潮は既に片手をひらりと振って玄関へ足を運んでいた。
そっと頬に手の甲を当てると、ホットミルクのように熱かった。
「家デート、狙いますからね私!覚悟しててくださいよ八潮さん!」
三雲は赤くなった頬をパチンと叩き、八潮を追って駆け出した。