「ただいまぁ〜」
 晩春の宵の口、パジャマ姿でリビングの床に腹ばいになって携帯をいじっていた未来の耳に、父親の
誠司の呂律の回らない声が聞こえてきた。
(パパ、また酔っ払ってる…)
 玄関の方へ首を巡らせ、未来は眉をひそめた。ここのところ、父は酔って帰って来ることが多くなった。
その原因が、最近増えた母との口論にあることは、未来にはなんとなく察しがついていた。お酒を飲めば
気分が良くなるらしいが、父はそれで母への不満を紛らわせているに違いない。
(ふん…)
 未来は不満げに小さく鼻を鳴らすと携帯に向き直った。酔っ払いは嫌いだ。お酒臭くて顔は真っ赤、
呂律は回らず足元はおぼつかないしで、父がそんなみっともない姿で外を歩いてたかと思うと、未来は
恥ずかしくてしょうがない。母も彼女同様に嫌っているようで、そのことで嫌味を言って余計父と険悪に
なるのだ。まったく、ママに不満があるなら、お酒を飲むんじゃなくてちゃんと言えばいいのに…。

(あれ…?)
 未来は携帯をいじりながら心の中で不満を並べていたが、一向にリビングに来ようとしない父に、
玄関の方へ再度首を巡らせた。両親の部屋はリビングの手前にあるが、そっちのドアが開いた気配も
感じない。(まったくもう…)
 未来が渋々起き上がって様子を確かめに廊下に出ていくと、案の定、誠司は玄関に腰を下ろして壁に
もたれかかっている。どうやら靴を脱ごうとして座り、そのまま眠りこんでしまったようだ。
「ちょっとパパ…」
 未来が肩を掴んでゆさゆさ揺すると、誠司ははっと顔をあげ、しょぼついた眼を未来へ向けた。
「ん…? おお、なんだ帰ってたのか、ママ」
「わたしだってば」
 母と間違えられた未来は、ムカっとしながら父に言った。いくら酔っているとはいえ、あんな
オバサンと間違えないでほしい。

「ん〜……?」
 未来の言葉に誠司は何度か瞬きしてから目を細めて彼女をじっと見つめ、ようやくそれが妻ではなく
娘なのだと気がついたようで、少し照れくさそうに微笑した。「ああ、なんだ未来か…」
「もう、そんなとこで寝ないでよ」
「お? ああ…」
 不満顔の未来に促されて父はふらふらと立ち上がったが、よろけて倒れそうになり、壁に手をついて
しまう。
「ちょっと、大丈夫?」
 見かねて未来が支えると、誠司はどこか嬉しそうな顔をする。「おっとっと、すまんなママ」
「だからママじゃないってば」
「ああ…」娘に怒られ、誠司は苦笑した。「お前、最近ママに似てきたなぁ」
「え〜…」
 自分と母を間違えるほどに酔い、足元すらおぼつかない父にムクれながらも、未来はふらつく彼を
放っておくこともできず、脇から支えて廊下を歩き始めた。
「しっかりしてよね、ホントに…」