「久藤? 能美がどうかしたのか?」
「そ、それが……! あの子、まだ家に帰ってないみたいで……! さっきから携帯に
かけてるんだけど、全然出ないんですっ……!」
「――」
 弾かれたように、時計を見上げる。こんな時間まで連絡がつかないなど、どう考えても
尋常な事態ではない――。
「あの、私今日ずっと出掛けてて、話聞いたのさっきで……! どうしよ、私、私が変なこと
言ったから……!」
「落ち着け、久藤。大丈夫だ、後はこちらで対処する。お前は家で連絡を待て」
「センセ……でも!」
「もしかしたら、能美から連絡があるかもしれない。直接お前の元に来る可能性もある。
その時の為だ。いいな?」
「……はい」
「心配するな。能美はきっと見つかる。――私が見つける」
「――先生!」
 電話を切ろうとした時。強い声に呼び止められて、置きかけた受話器を戻す。言葉を
継ぐ理沙の声は、先程の切羽詰ったものとは違う、ひどく真摯なものだった。
「先生お願い、綾のこと、助けてあげて下さい……! 綾のこと助けるのは、先生じゃないと
駄目だから……だから、お願いします!」
「……ああ。勿論だ」
 ―― 先生じゃないと駄目だから。
 不思議と胸に残るその言葉に、しかと頷き返し、信行は通話を切った。
 続いて電話したのは、綾の自宅だ。
 応対に出た綾の母に事情を聞いたと告げ、子細な状況を尋ねる。
 彼女の話では、綾は昼過ぎに自宅を出たきり、戻ってきていないのだという。八時を
過ぎた頃に携帯に電話したが繋がらず、友人らに行方を尋ねてみたものの誰も知らない
とのことだった。今は仕事から帰宅した夫と二人で、警察に相談すべきか話し合っていた
ところだったらしい。
 話を聞いた限り、綾の消息が絶えたのは、信行の部屋を出た直後からと見て間違いない。
彼女がここを辞したのは四時頃。マンションを出るところまでは見送ったが、その後どこへ
行ったのか――。
 ひとまずは警察に通報することを勧め、信行のほうでも心当たりを当ってみると伝えて
電話を切った。
 心当たり、といっても、親や友人が知っている以上のことが、信行に分かるはずもない。
 だが、だからといって、手をこまねいてはいられなかった。
 強い予感がある。
 彼女が姿を消してしまったのは、己の所為なのだと――そう告げる予感が。
 身支度も何もなく、コートとわずかな手回り品だけを掴んで玄関を飛び出す。
 外はひどい雨で、小春日和だった昼間とは比べようもない程に寒い。にもかかわらず、
信行の背には、冷たい汗が止め処もなく流れていく。
(能美……!)
 激しい動悸に追い立てられるようにして、信行は、冷雨の中へと走り出した。