キフェはふと思い至った。アヤメがジョウの素性に「詳し過ぎる」ことに。まるで暗殺者の調べ様だった。そう言えば、自分で
言っていた。執拗にその命を狙っていた、と。だが必要以上だ。暗殺対象の『詳細な』素性までは全く知る必要などないはずだった。
 
 「何故そこまで詳しく……? 」
 「私は『上杉景虎』、いや、『綾姫』様の御乳人子(おんめのとご)……では解らないな。乳母の子で、側近中の側近、腹心中の
  腹心なのだ。実は、ジョウは『長尾景虎』、『上杉景虎』を名乗るべき『本来の当主』だったのだ。それを『綾姫』様が無理に
  『家』を継いだに過ぎぬ。可愛い可愛い実の同腹の弟に、この世の生き地獄、戦国なる『修羅道』の世を歩ませたくない、とな」
 
 乳母。……自分の乳母は殺された。ルキフェに本当の両親の素性を話し、母から預かった形見の『盾』を渡したあと、王の恥部を知る
者として。乳母の子は側近として最適だ。同じ乳を飲み、同じように育ち、同じように教育された、我が刎頚の友にして、学究上の同志、
ドゥマス。……その彼もまた生き延びた。彼が司教と善の戒律を捨て、裸体覆面のニンジャ『マスゥド』となったのも、おそらく『兄』の
密命と要請があってのことだろう。……ロー・アダムス。リルガミン王家とその連枝の一族を代々守護する、王の代理人たるニンジャ、
ホークウィンドの称号の襲名の準備だ。
 候補者は軍直属の訓練場の名簿から常に選別され続けている。トレボー軍の、それもその威名が近隣諸国を越え、大陸中に鳴り響く、
近衛隊の訓練場が一般市民や冒険者に解放される非常事態を演出する理由には『自慢の無敵のアミュレット』を奪われる『失態』が
丁度良い。親友の『宮廷魔術師』はそう嘯(うそぶ)いた、と『兄』は苦笑していた。

 『悪の魔術師になるのも悪くない気分だ、超過勤務の手当はしっかり頂くと笑って居ったわ! 知っては居ったが誠に酔狂な奴よ』

 そう零した『兄』の顔は心底、済まなさそうだった。無理も無い。奇矯だが清廉潔白極まりない親友に、リルガミン王家、いや国家、
いや世界の存亡の危機の一大事とは言え、永久に消えることの無い悪名をただ背負わせ、反逆者たる烙印を自ら捺してしまったのだ。

 『だから余の方も粛々と、征服欲に狂った愚かな狂王を演じるのがお似合いで、相身互いに釣り合いも取れて丁度良かろう? 』

――酔狂さと稚気と奇矯さでは『兄』も『彼』に負けてはいなかったことに、ルキフェは不思議と奇妙な満足感を覚えたものだった。

 「何と言うか……その……」
 「解っている。綾姫様は虎千代君より5歳年長、当時でもまだ子供よ。だが戦乱の世のヒノモトでは子供が子供のままで居られぬ。
  我が自慢の主君は『越後の竜』と世の人に呼ばれし大変な戦巧者であったが、その実の弟君たる虎千代君も『陣取り城太郎』の
  二つ名を奉られる戦上手であった。……見込んだ大名家の陣を借り、戦に参加するのだが、その大名家の帷幕・内幕を瞬く間に
  把握し己が意のままに乗っ取り動かし、果てには勝利させてしまう。そこがどんなに内訌が激しく、寡兵でも、どんなに弱兵でも」

 さぞや周囲の大人たちは驚いたことだろう。10歳位の幼児が、手足の如く兵を動かし、大人が面目を失うぐらいの手柄を上げ続ける
のだ。『兵と言う者は自分よりも確実に強い者に従う』とルキフェは『兄』から聞いていた。『最も、強いだけでは兵は心からは従わぬ』
とも。『なかなか難しいものだぞ、弟の貴様も早く還俗して余を手伝ってくれれば良いのだ。おお、そう言えば聞いたぞ、貴様の評判を。
……何かと助かっている。素人どもを仕込むその努力、余は生涯、恩に着るぞ』――恩を着せたい訳でも無かったが、あえて否定などは
しなかった。『人外のもの』と戦える者を増やす。来るべき決戦の日に備えるならば、少しでも戦える強い兵が多ければ多いほど良い。
それを率いる指揮官も足りない。近衛兵を充てるにしろ、『実際に軍を率いさせるまで、将才があるかどうか解らんからな、忌々しい』
と兄が酒盃を弄びながら零していたのを思い出す。『貴様にもあるやもしれん、還俗しろ還俗、なあ? 』と顔を逢わせる度に還俗の
件を勧めてくれるのは困りものでもあったが、嬉しい事でもあった。とにかく、ジョウの才能が稀有の才であることは間違い無いのだ。

   ――彼はここ、人外の悪魔や怪物どもを敵とする『狂王の試練場』でも見事に戦い抜き、生き残り続けているのだから――