【全米が】貧乏な家の女の子6人目【泣いた】
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小・中・高校生・女子大生・社会人含めて、貧乏な家の女の子、
貧乏生活している女の子の実態でモエよう。
リアル子さんの降臨は難しいでしょうから、クラスに一人くらいいた、
そういう子の目撃談願います。
前スレ
【全米が】貧乏な家の女の子5人目【泣いた】
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/feti/1149044215/
元祖まとめサイト
http://www.geocities.jp/binbou2ch/index.htm
現行まとめサイト(携帯からも見れます。。。たぶん)
http://204.jp/~richgirl/
住民から筆者へのお願い♪
・できれば投下は週一以内で(貴方の投下を心待ちにしてます)
・あと投下したらなら完結させる(ハッピーエンド?バッドエンド?) >>100
そうそう!
40氏の話はリアルだし間違いなく名作だよね。
個人的にはあは嬢も嫌いじゃないが(笑)
俺も40氏の親父のように高田順次のようなおやじになるわ とりあえずワタシは
40さんが〉中島美嘉に
感じが似てるとのコトから
中島美嘉ちゃんをイメージして
ストーリーを楽しんでます(^-^) 中学生活最後の三学期……
冬休みのY子と教室のY子は、なんだか別人に見えてしまい 少し照れてしまった
相変わらずもクラスの中に溶け込む事が出来ず、二学期とは違い、一部の生徒だけであったが……
Y子に対して、心が傷つくような台詞や噂を投げ付けていた
ある日… 俺の小学生の少年団からのサッカー部の仲間で、親友とも呼べるMと
名前を思いだすと今でも腹立つので、奴と書かせてもらうが……
Mと奴が、何やらエキサイトして口論のようなものをしていた…
俺を含めて数人で二人をマァマァと止めた覚えがある
Mに対して話を聞くと、どうやら奴は、Y子に対して貧乏ならば売春のようなものをすれば……
あいつの母親は男に色目を使うような母親なんだから……
Y子に対して優しい態度を取ってくれる、数人しかいない俺の仲間だったM…
Mを宥めていたはずの俺は気が付くと奴の元に走り、いきなり蹴りを喰らわせた
凄い勢いで奴を殴ったと思う… 今度はMを含めた数人が俺の腕を掴み必死で止めてた記憶が
Y子に聞こえるように、わざと大きい声で言っていたらしい
Y子は立ち上がり、俺を制するように 「もうイイっ もうイイからっ 大丈夫だからっ…」
声を張り上げて必死に俺を止めるY子……
全く見た事のなかったY子の表情と行動にア然とした俺は動きが止まった なんにせよ 今この歳になって考えてみると、暴力を奮ってしまった俺は、たしかに悪かった……
しかし…ノートをY子にぶつけた奴を含めて、二人ものクラスメイトに暴力を奮ってしまった俺の幼稚な行動……
Y子を虐めると俺が暴れるみたいになってしまった当時のクラスは
それをきっかけだったかもしれないが、Y子に対しての口に出してのイジメはそこで止まったと思う
資料室で担任に長い説教をされた俺
国語の授業が始まってしまってる教室に、説教を終えた俺は怒りの治まらない俺は
席に着く前にY子に心ない台詞を吐いた奴の机に蹴りを入れて威嚇した
それを見た国語の先生でもあり サッカー部の相談事によくのってくれたS先生は何も言わなかった
後で先生は話してくれたが「オマエは どんな理由があったか知らんが、意味もなく訳もなく暴力を奮う奴じゃないのは俺が1番良く知ってる…」と
Y子をイジメる回りの奴はみんな敵……みたいな事を思っていた当時の幼稚な俺…
イイ人にも恵まれたと思う… ノートでは無く 明星でした ごめんなさい
昼が終わるので急いで書き込みました すいません たしか二月になったかならないの時期でした
形だけのテストを受けるだけで、すでに私立の高校に決まっていた俺と
とりあえず卒業したら、お母さんと同じ職場で働かせてくれる事が決まっていたY子
受験で必死になってるクラスのほとんどのみんなの焦りとは無関係な俺達は
確か土曜日だったと思うが、その日も俺の家でラジオを流しながら
二人で、いろんな会話をしてた……
するとラジオから岡田有紀子の新曲であった
〜二人だけのセレモニー〜が流れてきた…
微笑んで聞いていたY子の姿だけは今でもよく覚えている……
”戸惑いは卒業よ 溢れる程にあなたが好き”……
その日、Y子と二度目のキスをした…
”そして甘い セレモニー”
幼いながらも思えば幸せな時期でした
段々と卒業が近付いてくる毎日……
その頃になると、クラスの女子の中で、いつも一人ぼっちだったY子にも、2人の友達が出来ていた
どこのクラスにもいたと思うが、クラスの中では大人しい目立つ存在ではないような二人…
クラスに中々溶け込めず、いつも置き去りにされていたY子に手を差し延べてくれた優しい二人でした…
ラジカセなどもちろん持っていないY子に、新しいのを買って使う事が無くなったから使って、と譲ってあげたり
Y子の大好きだった岡田有紀子のアルバムをダビングしてあげたり……
悪ガキだった俺が、Y子の席に集まり三人で楽しそうに会話してる中に入って行くと
始めの頃は、俺の事が怖かったみたいで、笑顔で応えてくれるY子をよそに、その二人は、いきなり無言になってしまったり
しかしY子を通じて、その二人とも、すぐに仲良くなった
ある日 東京では珍しく雪が少し積もった事があった時など
Y子を含めた、その三人対俺で、楽しく雪のぶつけ合いをした事もありました
後は卒業を向かえるだけのようになっていた時期……
浮かない顔したY子から話したい事があると……
その頃ではほとんど見る事の失くなっていた久しぶりの悲しそうな表情で…
少しづつだが家の中の物が増えて来たY子の家……
正座したまま、抜け殻の表情のY子…
俺はせかすような事はせず、Y子が口を開くのをジッと待った…
もう見る事の無くなった、Y子の表情を見る限り
ガキだった俺でも、最悪な展開になるようなものを感じ取っていた……
「……ごめんなさい…三重に……帰る事になったの」
「昨日 お母さんに…突然言われて…夜中まで…話したんだけど…」
もっとも聞きたくなかった台詞だった 俺はY子には何も言わず、黙ってお母さんの帰りを、ただただ待った
Y子も一言も言葉を発っせず…下を向いたきり黙っていた…
まだガキだった俺に、Y子のお母さんは包み隠さず話してくれた…
元はこの街に引越して来たわけではなく、暴力を繰り返すY子の血の繋がらない父親から逃げて来たような二人
Y子のお母さんの姉、つまりY子の叔母さんの知らせによると
そのアル中だったらしい父親は、死んでしまったらしい……
この街で唯一の頼りのはずの、Y子のお母さんの伯父さんには、住む所など最低限には生活出来るようにしてもらうにはして貰ったが
後は絶対に頼ってくるな!家の敷居を跨ぐなと言われたらしい
今の俺が考えてみれば、三重でずっと育ったと言うY子のお母さんが、何も知らない不安な街に逃げて来て
娘を抱えて、何もない状態からコノ先…と思えば、Y子母子の怯える存在だった元父がいなくなった
辛い事ばかりだったろうが、住み慣れた故郷に帰るのは当然だったろう
まして知らせてくれる兄弟のようなモノがいる故郷に帰るのは…
Y子のお母さんは泣きながら……
この街の人達は私達母子に優しくしてくれたし…… Y子は笑顔を見せてくれるようになったし…
何より ××君の事を考えると…それが一番つらい……
でも…おばさん…もう……
卒業が間近に迫った悲しい夜でした…… Y子はともかく……ガキの俺の前で泣きじゃくるY子のお母さん……
俺は精一杯の強がりを二人に見せた
「なに おばさん三重なんてスグそこじゃないですか 夏休みとか新幹線でピューッと会いに行きますよピューッと」
当時 「”Y子”」とほとんど呼んだ事なく、お前とか呼んでいた俺だが、その時は 「Y子 泣くな! いつでも会えるよ 死んだ訳じゃないんたから だから泣くな」
二人は泣き顔で少し笑ってくれた……
出来たての卒業アルバムをY子の友達や俺の仲間と、ワイワイガヤガヤ見た
「Y子ちゃん 凄〜く綺麗に写ってる〜」Y子の友達が言う
「バカ Y子は元がイイからだよ お前はそれなりだな」俺の仲間が言った一言に、「ひっど〜い」と仲間の肩を叩く様子に
みんなで大笑いした
Y子と俺だけに別れが待っているわけではナイ……
東京の中学生だった当時の俺達は、卒業を終えれば、ほとんどの友達などとの別れが待っていた 卒業式を終え教室に戻ると、朝の卒業式当日とは思えなかった雰囲気の
賑やかな教室とは違い、あちこち、特にほとんどの女子達は泣いていた
いつも当たり前のようにくぐっていた校門を出る時には、最後なんだな……と寂しい気持ちになった
卒業式を終えた二人は、少し暖かくなって来た、多摩川の土手で、いろいろと思い出を懐かしむようにY子と二人で語り合った
最後になる制服姿で……
式を終えて着替えを終えた後、俺の家に現れた……
何度もキスを繰り返した…… 家の中のラジオからは、Y子毎日一緒に帰るようになった頃、よく流れていた
安全地帯の”恋の予感”が久しぶりに流れていた
切ない目で、俺の体に手を回して見つめてくるY子の表情を見て、我慢ならなくなっていた……
別れが迫った二人の甘く切ない初体験でした……
裸のまま二人で抱き合いながら俺は
「最後にもう一度だけ どっかいかないか?」
俺の体をグッと抱きしめながら小さい声で
「…もう一度、あの遊園地に行きたい…」
今では 思春期まっただ中のウチの子供達捕まえて、「俺の童貞は卒業と共に捨てた」と
俺の親父みたいなふざけたギャグを言ってる俺の
甘い悲しい初体験でした…… 泣けるー
ところで小中の時、オレの学年の中に。やっぱり貧乏な子が何人かいたんだが。なぜか卒業になると決まって転校やどこかに行ってしまう・・・・あれは一体なんだったろうか? >>40
乙。凄く良かった。おかげでバイトも即採用だった。ありがとう。 >>40
乙。泣いたYO。。。
完結?その後会うことはなかった? Y子との最後のデート……
ちょっと早く着きすぎたせいで、しばらく東京駅の中を二人で歩いて時間を潰した…
”銀の鈴”が目に入ったY子は「アレって…何かな?…」と何気なく聞いてきた
「あ〜 あれは たしか東京駅の中での待ち合わせスポットみたいな所だよ、あの大きな鈴が目印みたいな」
二、三回 小さく頷き”銀の鈴を見つめるY子……
水道橋に向かうため、中央線のホームの場所に立つと
「わたし達…たしか…おしゃべりに夢中で、気が付いたら…ココまで来ちゃってたんだよね…」
ちょっと前の事の出来事だったが、なぜか懐かしい気がした……
「コノ乗り物、乗った時…××君 目がまわっちゃったんだよね…」
「コレに乗った時なんて、××君… すっごい怖がってた」
正月のデートの時を一つ一つ回想するようなY子は、とびっきりの笑顔を見せてくれた…
ベンチでソフトクリームを二人で食べた…食べ方が遅いY子のソフトクリームは
どんどん溶けてきてコーンに流れてしまってきた…慌てるY子の、顔に似合わないドジな姿は、とても可愛いかった…
初めてキスをした観覧車… Y子が言う「よかった…××君と出会えて…」
笑顔ながらも少し寂しそうな表情で見つめてくるY子に……
初めてその時 涙が出そうになった……
Y子の家の、引越しのために荷造りを終えた荷物は
全部集めても、たいした荷物の量にはならなかった……
とりあえず 荷物は、Y子のお母さんの姉さん夫婦が、向こうで預かってくれると言うので
ウチの親父の知り合いだった業者の人にたのんだ…
今思えば軽トラ一台でも事足りるような、Y子の家の荷物
親父の知り合いの、その業者の人は、心よく引き受けてくれて
格安の料金で受け持ってくれました
その日の夜…… サッカー部の仲間達や、電話の無いY子の家のために俺にかけてきたY子の二人の友達……
別れの時に見送りたいから…と
始めは…たった一人ぼっちだったY子
別れの迫ったY子の回りには気が付くと、やさしい人達が大勢いました……
心優しいY子には、自然と優しい人達が集まっていました
新幹線に乗るためにY子達母子を駅で見送るため
日曜日だった三月末……
親父の車に乗った、Y子母子と俺の四人は、東京駅に向かった……
別れは笑顔で…そう何度もY子に言い聞かせていたが
車の中のY子は、とても切なく寂しい表情を浮かべてました……
東京駅に着いてしまった……
俺達の住んでる街からは東京と言え共、新幹線に乗ろうと思えば
距離的には、東京駅まで戻るようにして乗るより新横浜に行く方が近かった……
Y子は俺との楽しい思い出の片隅に残っている東京駅から……切ないわがままでした……
”銀の鈴で、仲間やY子の友達の到着をしばらく待った……
「ワタシ…絶対…忘れない… 好き…」………
その言葉を残し去って行ったY子……
…三年後… 高校を卒業し…自宅で納車されたばかりの愛車を洗車する俺……
三年前…悲しい別れをしたY子… 一年にニ〜三度、手紙が来た…
夏休みなんかに新幹線で行くと、Y子に告げた俺だが… 結局は手紙の返事を書くだけに留めた
幼い恋など、そんなモンだったのかもしれなかった……
高校でのサッカー部の練習は、小中とサッカーで鳴らした俺でも根を上げてしまうほどで
そのきつかったサッカー漬けの生活が、俺からY子の存在を忘れさせてくれた……
頭金をバイトで金を貯め…卒業間もない三月半ばに納車されたばかりの…
当時、鉄仮面と呼ばれてたスカイラインで東京駅に向かい車を走らせる俺……
駅の近くのパーキングに車を止め……
”銀の鈴”を目指して走った……
………そこには三年ぶりに笑顔を見せて俺を待ってたY子がいた……
…END… ああ、終わってしまった…
40氏大変に乙。
過去最高傑作だったよマジで。 泣いちゃったー(:_;)
でも最後には再開出来たみたいで
別れのシーンを
あっさりと飛ばして
しまうので
あれ?と思ったけど
よかったーo(^-^)o
会えたんですね 完結しちゃったんですね
もう読めないと思うと、、その後みたいな話も聞きたい
ぜひ またマッテマス 昨日たまたま銀の鈴ん所へ行ったけど、人大杉で待ち合わせどころじゃなかった。
かりんとう屋で行列だぜ?スイーツ(笑)かよ >>126
最後はチョットビックリ
え?え?って感じ
でも悲しい最後にならなくってヨカッタ〜
後日談も投下オネガイ 本当に、俺の超ダメ文章を最後まで聞いてもらって、ありがとうございました。
今 自分で読み返してみると、間違いだらけの最悪文章で(笑)
日曜日などは、家族の手前… 公園の駐車場などで、充電器に繋げ繋げ書きました(笑)
なにしろ、こう言う書き込みなど馴れてないため、恐る恐るの書き込みになってしまいました
とにかく 初めは俺の暇ツブシからの、不埒な覗きから見つけた、このスレッド
過去スレッドまで飛んで泣かせてもらいました……
みなさんのように……特に台詞までは、うろ覚えで、当時と多少違う所もあると思います
しかしながらも自分なりに少しでも当時に近付けるために必死でした
優しい人達が集まってるこのスレッドに感謝いたします
後日談〜は、みなさんの中で完結させて下さい……
では失礼いたします >>40
ありがとう。
後日談は勝手に自分に(とって)都合の良いように考えさせて頂きます。 >>136
泣けました。こんな言い方はどうかと思うが最高でした。 >>136
あなたの大切な想い出、ありがとう
心から感謝します 俺の家は親父がいない。まあ、いわゆる母子家庭であったがそれなりの生活はしてた。
そんな俺が、学生のころにバイトを始めたわけだが、女子校の近くということもあり
よく、女子高生が買い物に来ていた。
俺はルックスはそんなにいいほうではないが、愛想はよかったので女子高生たちに名前は
覚えてもらっていたみたいだ。
そんな俺にある日事件が起こったのだ。
俺がしなだしをしていたら、なななんと!女子高生が俺に「○○さんて恋人っているんですか〜?」と聞いてきたわけだ。
声をかけてきた女子高生は、よく買い物に来る2人組みの女子高生の片割れだった。
俺は「えっ?いねーよ。俺もてないもん。」と答えた。
その女子高生は「へ〜、そうなんだ。」と言って「また来ます!」と敬礼してその場を立ち去った。
俺は、何が起こったのかよく分からずただ呆然と立ち尽くすだけだった。 それから2日後、俺が再び品出しをしていたら声をかけてきた敬礼女子高生と片割れの女子高生が再び現れた。
敬礼娘が「ほら、彼女いないんだから言っちゃいなよ」と片割れ子に何かを促している。
俺が「何か御用ですか・・・?」と聞いたら、
片割れ子「あの、実は前から気になってて・・・。」
敬礼娘(小さな声で)「ほら、頑張って」
片割れ子「もし・・・、よかったら・・・付き合ってもらえませんか・・・」
俺びっくりしたよ!だって今まで女の子に告白されたことがないんだから。
何かもう頭の中が???な感じになってしまい動けなかった。
片割れ子は顔を真っ赤にして俯いている。敬礼娘は片割れ子の言葉に感動しているようで
片割れ子の手を握り締めていた。
ふと、我に帰った俺は「ありがとう」とだけ言った。
そしたら女子高生は「また来ます」とだけ言い残してその場から立ち去った。 翌日に女子高生がきた。今度は片割れ子だけだった。
片割れ子はいつバイトが終わるか?終わったら少し話がしたいと言ってきた。
俺は終了の時間と会う約束をした。
そして、バイトが終わり片割れ子と合うことになった。
近くのファミレスに入り話を始めた。
片割れ子は、以前から俺に興味があったらしいが、勇気が出ずに親友の敬礼娘に
協力をしてもらい俺に告白をしたそうだ。
そこで何を話したかはあまり覚えてはいないが、片割れ子は敬礼娘にとっても感謝をしているということだけは分かった。
そして、また翌日に会おうと約束をしてその日は別れた。 翌日、片割れ子は敬礼娘と同伴で俺と会った。
敬礼娘曰く俺がどんな男かを見極めたいとのことで付いてきたらしい。
敬礼娘が「先日はどうも!」と言いながら俺をじろじろ見ていた。
近くのファミレスで俺は敬礼娘からマシンガンのごとく質問攻めを受けた。
本当に彼女はいないのか?何が趣味で、今何をしているのか?などまるでお見合いの席に同伴した
心配性の母親のような質問攻めであった。
俺は、敬礼娘の質問にできるだけ答えていった。
敬礼娘と話しながら俺は思ったのだが「あれっ、何かこいつ(敬礼娘)と話してると楽しい」という気持ちになり、
片割れ子そっちのけで敬礼娘と話を盛り上げてしまった。
その時片割れ子には悪いことをしたと思う。その時点で俺の心は敬礼娘に傾いてたから。
そうして話が終わった3日後に俺は敬礼娘に告白をした。 >>147
乙、もう書かなくていいよ、スレ違い、ウザイ、消えな。 話はこれからだと言うのに・・・
>>144-147
続きよろ! 乙、もう書かなくていいよ、スレ違い、ウザイ、消えな。 貧乏感が無いな
って言うか貧乏な女の子でも無いな
うちの母親は貧乏だったらしいが、農家だったため食えないって事はなかったらしい
3姉妹の末っ子、制服はもちろん、縦笛までお下がりで、1000円足らずの縦笛が一番欲しかったそうな
だが高校の時に、米俵を原付に乗せて、数キロ先の精米所に行った話とか聞くと、あんまり貧乏じゃなかったのかもなー >>151
都市生活者とは違う感じだね。
農家の貧乏は、食いものはあるけど、現金収入はない。
都市の貧乏は、現金収入がないと、食い物もない。
ショッピングモールのJの雑貨屋でバイトしてます
週末になるとたまにくるJCがおります
いつも学校ジャージ上下に、寒い日は紺色無地のナイロンジャンパーを羽織ってきます
靴が汚いです、白のスニーカーは泥色に染まっています
ガリガリに痩せてます、顔色も良くないです
意外と顔はかわいいですが、いかんせん貧相です
髪は後ろに束ねてます、毛量が少なく、直毛で油っぽいです
いつも手に茶色の財布を持っています
ほとんどは雑貨を眺めて、漫画を読むだけです
近くに寄ると甘ったるいような油臭いようなにおいがします
背が伸びたのかジャージがお下がりなのかわからないですが、ズボンの丈が短く足首が見えます
ちなみに裸足のことが多いです
この子を見ると胸が熱くなります
ショッピングモールでは有名なJです >>40
久々にこのスレ見て感動した!もっと早く気が付けば良かった。
ほぼ同年代だが男として最高だね。
>>40が現在幸せな人生を送っているのはわかるが、せめて社会人に
なったY子がどうしていたかだけでも教えてくれまいか?
読んでてY子には幸せになって欲しいと思ったし、幸せになる権利が
あると思った。 >>156
JCあたりだと、家庭の状況がもろに服装に出るよな・・・
昼に100円マック1個づつ買ってたJCたちも、汚い靴はいて
吹き出物面にシミだらけの学ジャーだった。
>>159
泣ける〜〜のコメント覧では
Y子は現在の41氏のカミさんetc〜などの意見が多いっス たまたま通りすがりで来ました。
>>40さん。素晴らしいお話をありがとうございます。
私もこれまでの人生の中でずっと心に抱えて生きてきたことが
ありましたので、特に面白い訳でもありませんがゆっくりと整理
しながら綴ってみたいと思います。
最も私自身が貧しかった経験ではなく、しかも貧しさ故に苛め
を受ける女性を救った経験でもなく、かつて私が苛めを受けてい
た中学時代から私を支えて続けてくれた女性との話ですが。 生きるってことは、人生ってものは、辛く、苦しく、過酷で
理不尽なものだと思って生きてきました。
私の生まれたのは昭和51年、小学校を卒業する年の正月に
昭和天皇が崩御された・・・そんな時代です。
私の入学した中学は近隣の小学校が2校合同となる学校で、
まだ見ぬ新しい生活や、まだ見ぬ新しい友人達との楽しい日々
を想いながら臨んだ中学生活、そこには自分でも理由の分から
ぬままの苛烈を極める「苛め」が待っていました。
当時は体も小さかった私、両親からの極端な躾と厳格な祖父
からの古い薫陶を受けた影響から道理の通らぬことには真っ直
ぐに反論する生意気さと同級生からは浮いた(大人っぽい)
言動などがきっと目についたのでしょう・・・まだボンタン
などという学生服が流行っていた頃の不良達からの暴力や嫌
がらせを受けるようになりました。
最初は言葉での暴力、続いて体を使っての暴力、更には私
の人格を破壊するような行為へとそれは日を追うごとにエス
カレートしてゆきました。 靴や体操着、教科書やノートの行方不明はもとより、夏の
水泳時には私の下着がクラスの女子の机の中に隠されたり、
代わりに女子の体操着やブルマが私の鞄へと移動されていた
り・・・・遂には放課後になると体育館の用具庫へと呼び出
しを受けて最初は(軽度の障害を持った、昔でいう特殊学級
に所属する)男子とのキスを強要され、遂には裸にさせられ
ての男子同士での愛撫、最終的には不良達の下僕のような立
場の人間に対してフェラチオをさせられ、ゲラゲラと笑う不
良達の指示の下に口内で射精するまで開放されない・・・・
そんな毎日が私には課せられていました。
家路に着こうとすれば近所の公園に待ち伏せを受けて暴行
を受け、肥大化した彼らの性欲を満たされるかのように残酷
なまでに性的な悪戯を受けたりもしたものです。
でも、私にはそのことを誰かに打ち明けるだけの強さはな
かった。厳格で荘厳とした存在である両親に対する後ろめた
さみたいなものがあり、助けてくれる級友もなく、教師に対
して事実を述べるだけの勇気もなかった。
13歳かそこらの少年が男性に対するフェラチオをさせら
れているなんてことを告白できる程の胆力なんてありません。
そんな日々の先、学年も2年次になった時に私は今日に
至るまで忘れることのない彼女との出会いを経験することに
なります。
・・・・少し前置きが長くなってしまいました。
すいません。趣旨と違っていたなら指摘下さい。
もし続けてよければ本論に入ります。 同世代の方からも支援を頂けたようなので静かに続け
させて頂きます。
それから、>>169さん、>>171さんは同学年のようです
が、ひとまず私達の過ごした10代〜20代の青春期の
時代背景などを。
現在の30代、1970年代生まれは団塊ジュニアよ
りも少し下。学校の荒廃が酷かった世代の一つ下なので
すが、バブル前後を小中で過ごしているので物理的には
満たされた世代であったように思います。
(高校卒業〜大学時代は既に不景気となり苦労した世代でもあります。)
携帯出現前ということもあり、CDのセールスでミリオン
超えが頻発し、大量消費時代が幕を開け、世俗としては
チーマー、コギャル、ルーズソックス、援助交際・・・
そんな風俗を生み出した第一世代が私達だったのかもし
れません。
そんな時代にあって「いじめ」は段々と陰湿さを増し
、手加減や容赦のない手段を用いながら相手を自殺にま
で追い込むという事件も目に着き始めた時代でした。 そんな時代の中学2年生、相変わらずいじめの標的となって
いた私は彼女に出会いました。
彼女の名は浩美。昔は当たり前だったざっくりとしたショート
カットが特徴的な健康的で笑顔の美しい女の子でした。
今はどうやって席替えを行っているのか分かりませんが、昔は
割合に自由に好きな者同士が席順を決めてよい時代で、私のクラ
スは同性同士が席を着けて着席することになっていました。
しかし案の定というか春一発目の席替えから私が原因で席替え
は紛糾し、ホームルームでの討議にまでコトは発展してしまいま
した。
リベラル志向の強い担任はあくまでも生徒自身での解決方法を
模索させ会は沈黙。こういう時に卑屈ないじめられっ子は決まっ
て自分のその後に悲惨な出来事の起こらない事を祈りながら早く
トップダウンで事態を収拾してくれ・・・・と、そう思うもの。
そんな沈黙を切り裂いたのが浩美、その人の一言でした。
「 T君(私)の隣は私がなります。それでいいですか?。 」
私は嬉しい、というかそんな事も分からないほどに動揺
し、事の次第が分からないような状況でした。 そんなこんなで私はアイモカワラズいじめられてはいたけれ
ど、人間は些細なことでも何か希望に似た存在が出現すると嫌
な現実から逃避程度は出来る訳で、私の気も楽になっただけで
なく、理由の分からない彼女の蛮勇の影響かクラスの不良達も
せめて放課後までは、彼女の目の届く時間帯までは私に手を出
すことも少なくなりました。
人間って自分の存在を確かめる為にも自分よりも弱く、劣る
者を蔑んだり攻撃し、対して自分よりも強く、優る者に阿りな
がら陰で妬んだりするものだけど、机を並べる彼女にはそうい
う感覚はなく、いつも私に笑顔を向けてくれながらも決して安
易に私を救い出そうともしない・・・そんな姿勢であったよう
に思います。
某日、体育館の倉庫に呼び出されて不良達の悪戯を受けてい
た私が開放され、教室で塞ぎ込んでいるとふいに彼女は現れま
した。
「T君、どうしたの?。また何かされたの?。」
「・・・・・・。」
「う〜ん、そうそう時間があったら一緒に図書室に行かない?。」
「・・・・・うん。」
確かに本は大好きだけど、中学になると途端に利用者の少なく
なる図書室に行ったことなどなかったことを思い出す。
導かれるように図書室へと私達はただただ無言で歩き始めました。 黄昏ころの図書室は日中の陽光をたっぷりと蓄積した陽だまり
のような場所。中学レベルとはいえ古からの英知がぎっしりとア
ーカイブされ、静寂と緩慢な時流が支配する孤城のようだ・・・
と、そんな印象を覚えた場所がそこにはありました。
司書の女性と話しこんできた彼女が戻って来ます。
「T君、ほうとうは閉める時間なんだけど鍵を預かってきたか
ら遅くならない程度に居てもいいみたいだよ。」
「ありがとう・・・。」何故かお礼を述べる私。
前触れもなく彼女は語り始める。
自分は読書のクラブに所属していること。子供の頃から読書
が大好きで将来は司書か博物館で学芸員の仕事に就きたいと考
えていること。その為にも早くから目標に沿った目的意識を持
って研鑽を積みたいと考えていること。
それから図書室というところが自分にとっては聖域のような
特別な場所であること。ここに居ると自分が無限の自由に浸り
数多の書籍を通じてそれぞれの時代に生きた作家と直に話をし
ているような気分になること。
本は人間にとって大切なことを教えてくれる存在であること
を彼女は嬉々として語ってくれました。 私達の世代はCDが全盛となる時代。それにTVもバラエティや
お笑い番組、トレンディドラマもブラウン管を通じて享受可能
な時代。私も読書は好きだけど、何もそこまで読書に特化せず
とも安易に娯楽は溢れているだろう・・・・そんな疑問を彼女
にボソボソと告げた私。
思えば彼女の名前をはっきりと呼んだのも初めてだったのか
もしれない。
T君はいいね。CDプレイヤーやTVがあって、それを一緒に楽し
める温かい家族がいるんだね。いい曲だねって口ずさんだり、
面白いねって笑えることは素敵だね。
子供は残酷なものだ。まさか彼女の家にはCDプレイヤーもTV
も存在しないなんてそんなことを想定する頭もなく、後になっ
て一億総中流なんて言われる満たされた時代のことだったから
私は残酷にも彼女の何か陰のような部分に触れてしまったよう
で今思うと自分が当時いじめに遭っていたことを差し引いても
自分の言動の愚かさに恥じる。
でも当時の私は残酷にも彼女に問うた。何故に音楽を聴かない
のか?何故にTVを観ないのか?君にだって家族はいるのにどうし
て君はそう思うのか?。
あんなに眩しい笑顔をしてたのに、あの時だって私を庇って
ババを引いてくれたのに、誰も見てなどくれない私の目を真っ直
ぐに見てくれたのに、そんな優しい君なのにどうして君は私の言
葉に俯くのか?。どうしてそんなに悲しい顔をするのか?。
どうしたの浩美さん?。私は君を傷つけた?。君はいつも笑っ
ていたじゃないか・・・・。 俺の彼女も実家は凄い貧乏で相当苦労したっぽい。
今も同じ業界で働いて同じ様な仕事してるのに
高卒の女だというだけで給料はものすごい低い
貧乏暮らししてる。
その分俺がいっぱい愛してるけどな。 なんかちょっと期待されてるけどww
脚フェチ画像探したついでにこのスレ覗いただけだから
皆の貧乏フェチを満足させる様な貧乏萌えポイントが全くわからん。
彼女が貧乏なだけであとは普通のカップルと一緒。
>>184
ココのスレッドは特殊で、萌えたりフェチる場所ではありません。
貧乏な女の子を応援するスレです。是非 失礼します
私の家は知人に騙されいつのまにか担保になっていたのを両親が必死で守ってなんとかもっていかれずに済みました。
私は家が苦しいながらも制服や入学費を母親が工面してくれてなんとか高校に入ったのに、対人恐怖があり辞めてしまいました。
その後も人前に出ることができずにいて親に迷惑ばかりかけていたのですが、今は工場で働いており、周りの方々のおかげで対人恐怖も軽くなってきました。
月10万と行かない仕事ではありますが、お金を持つことより大事なものを教えてくれた今の環境に幸せを感じております。
家を助けながら頑張ります。 >>188
ご両親も貴方も偉いな。
もっと幸せな時間を過ごせることを祈ってる。 200
学生の頃、バイト先の本屋にいた6つ上の先輩の女性と、飲み会の2次会で話した記憶。
実家どこ?の話から、お互い母子家庭で貧乏した体験アリ。
ざっくばらんな性格の彼女いわく
・4歳で親が離婚、母親が働き始めたけどすぐ身体を壊した。
・給食費をまともに払ったことがない。アレの身分だったっぽい
・だから給食費を集める時間がすごく恥ずかしかった
・小1のころに履いていたパンツを小4まで履いていた。破れるまで。
・風呂なしの公営住宅、銭湯は週1
・真夏に頭がかゆくて、流しの水で洗ったことがある。
・真冬に頭に何かついてると思ったら、すごくフケが出てて泣きながら冷たい水道水で洗った。小6。
・まともな服がなかった。穴が開いているか、穴が開く寸前はマシな方。
・Tシャツが破れていて、ばれるのがいやで真夏でもジャージを脱がなかったことがある。
・母親が近所の家から服を分けてもらっていた。
・小5のときもらったジャージに1級下の女の子の名札が縫い付けてあったときは情けなくて涙が出た。
・よくわからないけど1升瓶が捨ててあったら持って帰ってくるように言われていた。あとで意味がわかって涙が出た。
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