パンプスや上履きやサンダルの足の指跡フェチ
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同じフェチは必ずいるはず。OLやJK何でもOK語りましょう。 全てのことをフェチに関連して考えよう。
好きなもの美しいものについて考えると気持ちが良い
ただ言葉を集める場合もネットなどでフェチについてかかれていることをパクルだけでは限りがある。
日常会話などで出てきた言葉からフェチに関連した言葉や考えがないか考えることが必要だ。
分かり易く説明するために例文を作ってみた。
「いまサンマが旬である、友人たちとサンマを食べた、寿司は別にして焼き魚でサンマほどおいしい魚はないと思う。
放射能を気にする人もいたが、おいしくいただいた。
それにしても原発など早く止めるべきである。
ガンダム世代の私としては、将来50年もしないうちに宇宙エレベーターができると思っている。
宇宙空間ならば、気兼ねなく原子力が使える。
ウランやプロトニウムが死ぬほど必要になるはずである。
技術と言うのは螺旋階段を登るように発展していく、固定電話(ワイヤー)から携帯(ワイアレス)に携帯から光ファイバー(ワイヤー)に光ファイバーからWi―Fi(ワイアレス)という具合にだ。
人工衛星に載せるような小型のものを研究製造続け技術を残し、使う時代になったら使えばいいと思う。」
という話をしたとする。
この文章からフェチを連想してみる。
サンマのように季節により変わるものがある、夏はサンダル、秋はスニーカー、冬はブーツといった具合だ。
パンプスフェチの私だが、街を歩いていて女性の足元を見ていると足の魅力に見入ってしまう。
パンプスだけでなく季節により他の靴にも目を向けるともっと楽しめるに違いない。とか
靴フェチは放射能のように人に嫌われる、このサイトを女性に見せフェチについて話をすると、こんな書き込みをする人たちに靴を拾われたら大変だなどと言われる。
人とは関係ないところでこっそり楽しもう。
また原発の核のゴミみたいに靴を溜め込んで地震がきて収納から靴が落ちてきて自分の寝ている頭の上に落ちてこないように注意しないといけない。
マンガや小説などを読み、空想を広げる努力も大切であると思う。
使い古しの靴をゴミやオークションで入手する際どうしても一シーズン遅れる。
秋になると夏の靴、冬に秋の靴の使い古しの靴が手に入りやすい。
収納場所があれば秋に拾った夏の靴を来年の夏までとっておけば来年また楽しめるかもしれない。などと考えてみるとおもしろいかもしれない。
フェチの両輪
ものごとを心から楽しむためには、感性の考察と物的な考察の両方が車の両輪のように必要だと思う。
精神的な考察とは相手や自分の心の心理分析について考えることだ、例えば人により新しい靴に性欲を感じるフェチや、今履いている靴に性欲を感じるフェチと、彼女が履き潰した靴へのフェチがいる。
新品の靴に性欲を感じるひととは彼女に靴を買ってあげて喜んでもらい、これから彼女と自分の関係を想像する人である。
極端に言えば彼女がどんどん年をとっていく彼女と自分が一緒に生活する姿を想像して喜びを感じる人なのかもしれない。
今履いている靴に性欲を感じる人は、今の彼女が好きなのだろう。
普通は人の顔を見て美人であるとか感じるものだが、見るポイントが顔と足元で逆転している人だ。
使い古しの靴が好きな人は、女性の過去や人の心の深層心理が好きなのかも知れない。
というような精神を考える喜び。
物的な考察とは物質的な楽しみと物を得る楽しみ、使う楽しみを考えることである。
コレクターの楽しみは先日書き込んだとおりだが、物との相性、より便利に使う方法も考えるべきた。
車を例に出してみよう。
車は車種により移動の時間の快適さが大きく変わる。又使用する目的も違う。
レクサスやベントレーいった車とゴミ収集車の値段が一緒だったとしてもレクサスのかわりにゴミ収集車を買う人はいない。
同じ自家用車というカテゴリーの中でもいろいろと違いがある。
軽自動車を運転すると街の中では小回りが効いて便利、Uターンも楽々であるのだが、坂で全然スピードがでない、海や山で少し悪路だとすぐに泥などにはまり動かせなくなる。
弱そうな車体、長距離を遊びに行くなどという時には向かない、荷物も載らない。
レクサスなどの高級車は、リニアモーターカーのように浮いているような感覚、エンジンがかかっているのか分からず、エンジンをかけているのを忘れてキーを回してしまうほどの静粛性、音楽を聴いても音質が良い。
乗っていて守られているような安心感がある。長距離乗るなら気持ちが良いのだが、街中で駐車しようとすると立体駐車場に入りませんと断られたり、細道で路肩に止めて自動販売機でジュースでも買おうと思っても道路を塞ぎ止めて置けなかったりする。
ガソリンもハイオク仕様になっていたりするので車両価格維持費÷走行距離でタクシーの方が安かったりする。
ゴミ捨て場の脇に止めて靴を拾うと目立ちすぎる。
また一度高級車を買うと次に安い車を買うと「あの人落ちぶれたな」などと言われる。
普通は、1500ccくらいが一番使い心地がよい。
しかし、開業医などで自分が怪我などで休むと経営がなりたたないような人はなにかあっても安全な高級車でなければならない。
買い物に行くだけの主婦なら軽で十分だ。
靴フェチに関しても人によって性欲を感じる靴を変化させ、より生活にフィットした豊かに楽しくフェチライフを楽しむべきである。
高校生くらいの人なら同学年のローファーや上靴などに性欲を感じるのがいちばんベターである。
学校に行くのが楽しくなるに違いない。
社会人になれば、通勤と職場で一番目にする靴に性欲を感じるのがベターである。
通勤と仕事が楽しく出来るかもしれない。
医療関係ならナースシューズ、工場などならスニーカーなど自分の身近にある物に焦点を絞ると良いかもしれない。
フェチの性欲をやめて正常な性癖に戻れと言われると難しいかもしれないが、フェチというカテゴリーの中なら比較的簡単に性癖は変えられる。
性癖の変え方を変えるイメージを物語にしてみた。
靴の一生 (エスパー編)
一人の男がベンチに座る。彼には特殊能力がある。見たものに意識を集中させるとそのもの
に意識を転移させることができ、過去や未来が見える。ただし靴にしか能力が発動しない。
今日も、とあるターミナル駅で道行く女性たちを見ては意識を転移していた。・・・
女子高生が通りかかった、早速意識を向けて見みる。
彼女のローファーに彼の心が転移していく、このローファーが彼女に買われる時の映像が彼の意識と同化する。
この靴と彼女の強い縁の力を感じる。どんどん彼女に磁石で引き付けられるように彼女も彼(ロファー)もどんどん近づく。
彼女はこの靴を近所のドンキホーテで買った。彼女に選ばれ上から靴下を履いた彼女の足が降ってきて彼を踏む。彼は彼女の足を全身で抱く。
足が舞い上がる、彼女の足を抱いた彼も一緒に持ち上がる。
足が振り下ろされ地面に足で押えつけられる。強く彼女の足を抱く。
彼女が履いている間いつも彼は一緒に行動をともにする。
学校の登下校、彼女の彼氏とのデートも一緒に行く。遊園地やゲーセンいろいろなところに行く。 疲れを知らない元気な足、輝くような元気。全て移動は歩きか電車、毎日が自分の時間、将来へ無数の選択枝への迷い、将来の選択を決断しきっていない。
自分の偏差値で入れる大学を希望している。将来への選択枝の決断は大学生活へ先延ばしして今出来る楽しみを歩き求めているようだった。 歩くことは人の最大のエネルギーだ。
そのエネルギーを受け止め履かれている彼は彼女のエネルギーそのものだ。
女子高生の恋愛、行くべき彼女の予定、行動、彼女の迷い喜怒哀楽、決断を抱きしめる。・・
意識がベンチに座る男へと戻る。
こんどは若い通勤中の女性のスニーカーに意識を集中する。
飲食店で働いている彼女が見える。
毎日立ち続け足がいつもパンパンでつらそうだ。朝から晩まで履かれ通しだ。
しゃがんだり飛び跳ねたり、いろいろな動きをする。
彼女の足からどんどん汗が出てくる、彼女の足汗が染み出し私の体の水分はすべて彼女の汗と入れ替わった。
1日で足の裏の汚れを含んだコップ1杯分の汗をかき私からは皮と汗の臭いがする。
仕事で余った食べ物は、ゴミ箱を浮浪者に漁られないように彼女が全て踏みつける。
はじめは食べ物を踏むことを躊躇していたが、彼女が踏んだパンを食べる浮浪者を見てしまい、今では食べ物に靴跡が付きやすいように下水枡の汚水に靴底を付けたあとに残飯を踏み潰し、ゴミ箱へ捨てている。
彼女は靴をとても汚い物と思っている。脱ぐときも決して手で触れないように脱ぐ。
彼女が嫌いな物は汚い靴である。私を嫌う彼女が私を履く、彼女は汚いものでも足でなら平気。あとでこんなボロ靴新しい靴を買って捨ててやるという無慈悲さ彼女の業を私は強く抱きしめる。したたかさを抱きしめる。彼女の臭い汚れを私は抱きしめる。
おれもおもうわ
きえてつまらん
どーせ自分かっこいいとか自惚れてるんだろww 同じフェチは必ずいるはず。OLやJK何でもOK語りましょう。 意識がベンチに座る男へと戻る。
こんどは若い看護婦の靴へと転移する。
これは未来であろうか、ガラスやビルから落ちてきたコンクリートにあたり怪我をしている人が所狭しと寝ている。
あなたはもう彼女に履かれてから2日半を超えようとしている。
彼女はたくさんの人へ包帯を巻いたり消毒をしたりしている。
たまにあなたを履いて立ったまま彼女は寝てしまう。
大きな地震でもあったのだろうか、ガラスの破片だらけのところを彼女は歩く。歩くたびガラスの破片が刺さってくる。ガラスの破片と埃まみれのあなたを、彼女は踏みしめる。
彼女は必死である。あなたは彼女の人を救う大きな使命と彼女の体力のすべて抱きしめる。
一歩でも多く歩き患者の元にいき人を救いたい。彼女の足からひしひしと伝わってくる。
それを妨げるような下に落ちている細かいガラスの破片をあなたが受け止め、ボロボロになって彼女の足を強く抱きしめ守る。
数日が過ぎ救援物資が届く、救援物資が届いたことと新しい靴と服に着替えられるよろこびで彼女は満面の笑みを浮かべる。あなたは医療廃棄物としてゴミ箱へと彼女の手で入れられゴミ箱の蓋が閉められる。・・・
意識がベンチに座る男へと戻る。
ああ夜になってしまったといい男はベンチから立ち上がり家路へと戻っていった。
終わり
楽しさとはなにか
フェチを楽しむ方法はまず自分はなにが楽しいかを考えることが重要だ。
小説やマンガの場合面白さはある程度パターンがある。
沼田やすひろ氏のおもしろいアニメとつまらいアニメの見分け方という本がある。
合理的なことが書いてある。
例えば、はじめに一目ぼれするような絵や描写がないとその世界にすんなり入れない。
天空の城ラピュタでいえばシータが空から降りてきてパズーが受け止めるシーンのような描写だ。
また理論骨折していないかも重要だ。理論骨折とは例えば、サイババみたいに誰でもなんでも物を作り出せる魔法使いの世界で、闇店に行き物を壊してしまい魔法でお金を作って弁償するという物語を私が作ったとする。
それを読んだあなたは1介の魔法使いが簡単に作れるようなものを貨幣として使う世界とはどうゆう金融システムなのか?
そもそも魔法で物を出せるのになぜ店というものが存在するのか?つじつまの合う合理的な説明がなされないと違和感が残り面白い物語とはいえないであろう。
小説やマンガといったフィクションは、時間を作ってなるべく見るようにはしているが、
やはり駄作だと言われるマンガはつまらなく、面白い評価の高いマンガは面白い。
(例外はハリーポッターだ、理論骨折が多くこの作品がなぜ評価が高いのかさっぱり理解できない)
性癖はそうはいかない、おもしろいと思うものは人それぞれ、非常に個的なものである。
ストーリーよりもより刺激的な描写、映像が大切である。
私の場合エロDVDを見るよりも働いている女性のパンプスが描かれたものの方がぐっとくる。
NHKの朝の連続ドラマで梅ちゃん先生が終わっていて純と愛がはじまった。
ホテルでの仕事で話のようだ。狩野純のパンプスに朝から見とれてしまったのだが、ストーリ的には、朝から
「自分のことよりお客さんのことを考えろこんな会社やめてやる」などという不快なセリフを聴かされるし言葉遣いも乱暴だ。
男性が女性に求められる要素は今も昔も変わらない、かわいらしさだ。口ばっかりでかわいらしさが全然感じない。全然共感できない主人公。
やめてやるなどと思って仕事している。社長になりたいなどと発言しているはずなのに
家に帰った主人公はホテルについての勉強をするわけでもないのに遅刻しそうになったりしている。
そんな女性に愛が「子供のころからいろいろな人を見て人の裏表が見える、あなたには裏表がない人だ」などというセリフが出てきたりする。
行動と言動がバラバラではないか、この主人公のどこを見たら裏表がないといえるのか分からない。
あんなにバタバタあるく人なのにホテルのドアマンをまかされたり、
愛が子供の頃から人の裏表が見えて目線を外しているというが、子供のころからそのように見えるであればそう見えるのが当たり前になっているはずだ。
例えば急に回りの人が鬼の顔に見えたら怖いかもしれないが、子供のころから回り人の顔が鬼の顔ならあなたは鬼の顔が怖いとおもうであろうか。
論理骨折しているようにも見える。
まだ始まったばかりなのでこれから論理骨折を解消していくのだとは思うが、
ストーリー的には梅ちゃん先生がすごく良かったので今回すこし心配だ。
私的にはフェチ目線、パンプスの目線でどんなひどい女性に履かれても、
彼女のためだけに存在するパンプスが履かれていく姿を楽しんでいきたいと思う。
靴フェチとカッコよさ
靴フェチですといっても誰もカッコよいとは思わない。
しかしタバコは今ではあまりカッコ良いというイメージがなくなりつつあるが、昔は映画でもドラマでもかっこいい主人公はだいたいタバコを吸っていた。
大人の男の象徴というか、タバコを吸っていない相手に対して俺は冷静で余裕があるというイメージをかもし出していた。
タバコは高くても買うし利益が大きいのでそうとうタバコ会社は宣伝にお金をつかっていたのだろう。
良く考えれば、喫煙者はニコチンというガンなどの病気を誘発する有毒物質の中毒者なので決してカッコの良いものでは本来ないはずだ。
靴フェチももしもドラマや映画でかっこいいイメージをかもし出せばかっこいいものになるに違いない。
ただ靴フェチはいくら宣伝しても金にならないのでそんな宣伝をする企業は現れないであろう。
直接間接でもお金がカッコよさの秘訣なのであろうか。
昔タイにしばらく住んだ人と話をしたが、タイ人はハンサムという英語を外来語として使う場合、姿がかっこいい人ではなく単純に金持ちのことを言うといっていた。
(あとからネットで調べたら、姿が良い人というより全体的にカッコよい人という意味で使うそうだ)
アラブのことわざで金持ちが蛇を食べると、人々は「なんて賢い」という、貧乏人が蛇を食べると「馬鹿な奴だ」というそうだ。金を持っていて靴フェチならカッコよいのだろうか。
ただ同じくらいのお金を持った人がいて片方が靴フェチで、片方が人を愛する人であればどちらがカッコよいのであろうか。
やはり足長おじさんはカッコ良くて足フェチおじさんはカッコ悪いのであろうか。
寄付の概念を篤志家の金持ちに聞くと
人の為とは自分の為、10人の人を幸せにすれば10人があなたを幸せにしてくれる。
金が余っているから寄付をするのではなく、寄付すると自分に寄付した以上になって返ってくるから寄付するのだ。
人生の財産の一つに運のよさというのがある。
少々自分に理がないなというような状態でも寄付しておくと、自分の方が有利になるように傾く経験を目の前で何回か経験すると寄付するのが楽しくなる。
ただ寄付先も注意しなければならない、本当に社会のためになるようなところに寄付しないと効果がない。
お金だけでなく情報も仕事も与えて自分に返ってくる人か確認することが大切だ。
そこがまさに人の信用というものなのだ。
という話を聞いたことがある。
「すべて人の為にやっています。」なんて胡散臭い。やはりすべてことは自分のためにやっているのだ。
カッコいいか良くないかを考えるのは、人に振り回されていているようでカッコ悪い。
(身なりとかは別だ、心の中の話だ)
そもそも人が自分がカッコ良いと思っているかは確認のしようがない。
カッコいいか聞いてみることはできるが本心は分からない。
自分の心に照らすか相手の態度により想像しているにすぎない。
能面というのがある。見方により怒っているように見せたり、笑っているように見せたり踊り手の見せ方により表情が違って見える。
どんなものでも見方、見る人により汚い物に見えたり、美しいものに見えたりするものだ。
他人には理解されなくても自分の心の中だけでもかっこいい靴フェチを演じていきましょう。
物の念
駅に行くと沢山の人が歩いている。
よくもこんなに人がいるものだとあきれてしまうくらい人が歩いている。
一人一人眺めているとパンプスやロファースニーカーの人もいる。
歩く方向は一緒でも一人一人が違うところから来て違うところに歩いて行く。
たまたまBGMで「時の流れに身をまかせ」が流れていた。
時の流れに身をまかせあなたの色に染められ・・・
もしもあなたに嫌われたらなら明日という日なくしてしまうわ・・・
だからお願いそばに置いてね今はあなたしか愛せない。
ひとつひとつの靴たちがそれぞれの彼女たちの足の臭いと足跡に染められ、彼女たちに運命を委ねた靴たち、彼女に出会わなければどんな女性に履かれていたのだろうか。
いつか彼女に「この靴ボロくなったわ、ちょうど明日はゴミの日ね」などといわれ捨てられてしまうのだろうなどと考えながら見ていた。
それにしても世の中には男と女しかいないのだが、日中は歩いている人の半分以上女性である。
日本より南、インドから中東にかけての国に行くと日中逆に男ばっかり歩いている。
日本はやはり女性天国の国なのかなと思う。 ところで赤道に近い国に行くと街行く人たちがほとんどサンダルを履いている。
パンプスフェチの私という観点でいうとあまり面白くいはないのだが、食べ物や美意識まで日本とあまりにも違いが多く、観光という観点で言えば非常に面白い。
例えばインドやバングラデシュといった国に行くとおみやげ屋さんで大きな絨毯をやたら買うようすすめられる。
そんなもの観光客に売りつけてどうやって持って帰れというのだろうか。
テルマエ・ロマエでも読んで勉強してもらいたいものだ。
現地のツアコンに絨毯について話を聞いてみた。
ネパールなどの発展途上国では10歳位の少女が学校もいかないで手作業でひたすら作ったじゅうたんは非常に価値があるそうだ。
そしてそういったものを人通りの多いホテルなどの玄関に何年も置き、
使用感が深まるとなんともいえない味わいがでて価値が高まるそうだ。 その話を聞きその言葉になんとも言えない色気と邪悪さを感じた。
大きな絨毯は気が遠くなりそうなほどの数の糸を通して作ってある。
その一本一本を、日本ならば小学生高学年くらいの少女が暗い埃まみれの小屋の中で朝から晩まで拘束され手作業で何ヶ月もかけて作った絨毯。
それを高級なホテルの玄関に置かれ毎日何百人もの
大きな西洋人の女性が雨の日や雪の日も歩き汚れたパンプスで無数に踏んづけていく。
いたいけな少女とそれをパンプスで踏みにじる白人女性の図を想像する。
使い古された絨毯やカーペットには、少女と女性の靴達の怨念がこもっていそうだ。 物に宿った怨念とは、位牌や卒塔婆のような宗教的なものだけでなく、
例えばあなたがグランドをたまたま通りかかると誰もいないグランドにサッカーボールがぽつんと落ちていたとする。
あなたのボールでないし、たまたま通りかかただけなのに蹴ってみたくなる気持ちになったとしたら、サッカーボールにこめられた蹴られるための物という呪いをあなたは感じたということだ。
いろいろな物にこめられた念を感じる感性をお互い養っていきましょう。 パンプスフェチはSかMか
パンプスフェチの楽しみ方を考える。女の足に履かれていたものにキスをする。
履き潰して捨てたようなものを、天使の贈り物のように扱う靴フェチはMなのだろうか、
ボロボロの靴が好きだからといって女性に踏まれたり靴のように扱われるのを好んでいるわけではない。
しかし頭の中ではもし自分か靴であったら体験するであろう光景を想像してしまう。
ニアンスの違いが分かるであろうか。
自分の体を使って靴と同じ扱いをされるのを経験したいわけではなく、
ボロボロにされていった靴を抱きしめてあげたくなるというような感情といったほうが良いだろうか。
例をあげるとマンガなどで女性が借金を背負い風俗店で働くようになってしまったいきさつが描かれたものがある。
それを見て借金をしたいとは思わないであろう。
又借金だらけの女を彼女にしたいとは思わないであろうが、 そのマンガを見て風俗にいってその彼女を抱いてみたいという感情が芽生えるかもしれない。
少々のお金でリスクなく「やっぱりフィニッシュは口でしょう」とか言われて目に涙を浮かべて、あなたのあそこを咥えてくれるような女性を抱きしめたいというような感情に近いといえば理解しやすいだろうか。
そういう上から目線という意味ではSかもしれない。
パンプスフェチの私が女性を語るもの変だが、
女性は普通よく知らない男とは距離を置くというスタンスでいる。
年が離れていたり、自分の前で性欲をむき出しにする知らない男など不潔で近寄ってはいけませんという教育を骨の髄まで受けている。
人生の歯車が狂い、これまで女性として男性から言い寄られても好きでなければ拒否をすればそれ以上の関係をしないルールの中で生きてきた人が、
いきなり万一液が体に入り妊娠しても絶対に世話をしてくれるわけでもない初めて会う男がいる個室に入り、その男性の前で服を脱ぐ。 自分より力が強く、もしも力でこられたら抵抗できない。
どんな相手かも分からない男の前で裸になる。
自分の大事な体を、その知らない男の体に擦り付ける。
体はどんな宝石よりも美しい、なぜなら宝石では性欲を感じない。
女性は料理をすることが要求され、子供のころから料理をしている。
自分で作った料理はおいしく感じる。 子供にも食べされる食事を作り味見をする舌。
その料理を味わう舌を使い、病気を持っているかもしれない穢れた男の体を舐め、万一体に入れば妊娠するような恐ろしい液体を自分の体で受け止めることを当然に要求される。
女性の美しい長い髪、長い髪は女性の象徴という、髪は伸ばすと汚れがつきやすいし暑苦しいし、目にも入るし視野も狭くなる。
頭が重くなるし、なにかに挟まったりしたら危険である。
それをあえて長くするには、親やまわりの女性を見て育ち、女性として髪を伸ばしたいと思うから伸ばすのであろう。
つまり胸や体は自然に女性になるが、髪は彼女が女性として育ってきて、彼女の心や潜在意識も女性であるという象徴である。 そんな自分が女性であると意識をしている髪に好きでもない男の排泄物をつけられてその対価が2万円程度と考えれば安すぎる。
相手の立場を考えて、か弱い女性の視点で風俗を体験すると、しびれるほどの興奮を得ることができるであろう。
パンプスフェチも同じである。
パンプスも別の意味で髪に近い、足に一番あった大きさの靴を選ぶのだが、外反母趾になるような女性というものを意識した靴。
女性の性格がくっきりと刻印され女性の匂いと潜在意識の塊である。
靴は物であるが、美しい彼女にあんなにけなげに履かれた美しい靴。
あの美しい女性に近づいて彼女の物になり、こき使われてこんなに美しいものが捨てられていくのだなといった見方をすると10倍楽しめる。
偽善の妙薬をうまく利用していきましょう。 JDのヒールの匂いを堪能した後、ソックス止める中敷?みたいなのゲト
写メあるけど需要あるかな >>364
あるある超あるよ
足の指型が付いてれば尚の事良し 初恋とフェチ
あなたの初恋はどんなものだろうか、はじめの恋愛は一番面白い、あるときある異性のしぐさや声、自分への態度などから「この子しか見えない」という状態に突然なる。
その人のすること話すことすべてドキドキの対象になる。
もっと美しい人や魅力的な人が声をかけてきても魅力的に見えない、ちょうどビールのコマーシャルで、ビール以外白黒でビールだけカラーというコマーシャルがあるがそんな感じのイメージだ。
その子の前に行くとこの人の周りが魅力のオーラにつつまれ自分の体や口が動かなくなる。
なんとか頑張ってメールアドレスを聞きメールをして返事が返ってきた時の興奮。
大学の合格発表の通知を見るくらい興奮する。
化け物語の恋愛サーキュレーションという曲で、あなたを思っているそれだけでとけてしまう。という歌詞の気持ちが分かる。
最近の斉藤一人氏の新作本で、知らないと損する不思議な話の中で、「私は愛と光と忍耐です」という言葉があるが、まさにそんな感じ、愛する気持ち、輝いてこちらを見てもらいたい気持ち、そして彼女のことならどんなことにも耐えれるような気持ちになる。 恋煩いは麻疹(ハシカ)のようなものだという。
確かに一度そんな経験をして目が覚めると、次の恋愛では楽しいが感情が暴走することはない。
前回彼女の全てが良く見えたが、冷めてみると普通の人に見えるようになるものなのだという経験のフィルターがかかるようになる。
女性も人であり他人である。
特に女性はしたたかなので、こっちが頭花畑で冷静さを失って「好きだ〜」なんて近づくのは危険である。
女性との対話は、笑点のようなものだ、気の利いたことを言うたびに座布団1枚づつ持ち上げられ、あるとき座布団全部持っていかれる。
その点フェチは打算が基本不要である、買ったり拾ったりの範囲内であればどんなに感情が暴走しても安心である。
もう恋なんてしないの歌詞の中に「こんなにもいっぱいの君のぬけがら集めて
ムダなものに囲まれて暮らすのも幸せと思った。」
という歌詞があるが、フェチはすこしニアンスが違う。 別に好きな人の代わりにパンプスを集めるのではなく、彼女たちが履いたパンプスを集めるのが一つの恋愛になっているのだ。
古靴を店なりゴミ捨て場なりネットなりで見つけて、ビビッときたら行動開始だ。
買うなら女性の靴を買うのを店員に見られる屈辱。
ネットで買うなら金額の折り合いをどうつけるかの駆け引き
ゴミ捨て場から拾うならゴミ漁りの現場を他人に見られないかという恥ずかしさ。
といったものを乗り越えて手に入れた時の喜びはまさに初恋で恋人からメールの返事をもらったような喜びだ。
つまり女性とのやりとりではなく、自分との巡り合わせとの対話だ。
フェチは、捨てるか捨てないかは自分の判断で決めることができる。
初恋のような喜びをお互いかみしめていきましょう。 因果な靴
同じ女に毎日会っているとしても履いている靴は明日会えるか分からない。
どんどん踏みつけられる靴たち、臭くなり傷がつき、ある日新しい靴へと変わり前の靴は二度と履いてくることはない。
もし履き替えてしばらくして「前こんなデザインの靴を履いていたね」という話をもししたならば「よく見てるわね、捨てちゃったし忘れた」と言われるであろう。
袖振り合うも他生の縁 偶然でささいな出会いであってもそれは前世からの深い縁で起こること、絆を大切にしようという仏教用語の故事である。
これを読んでいるあなたは私と出会うことは生涯無いであろうが、私が書いたこれを読むということは私と何らかの縁があるのだろう。
というような人との縁だけでなく物との縁もある。
不動産、骨董品、コレクションといったものを知る人はよくそのことを知っている。
縁の無いものには出会えない。 彼女が出会った彼女の靴との縁を思い巡らすととても興味深い。
まずサイズが合わないとその靴を選ばない、デザインが彼女の好みに合わないと彼女はその靴を選ばない、なによりそこに買いに行かないとその靴に出会わない。
そうして出会った靴、毎日その靴を履く、履いて見て足に合わないとその靴を履かない、
彼女に気にいられるほど彼女に因果のある靴。
よく比喩で踏んだり蹴ったりという言葉があるが、文字通り踏んだり蹴ったりされるために彼女と出会った靴。
人やペット、大好きなぬいぐるみといった関係でもいろいろと紆余曲折がある中、靴として彼女に使われる因果。
そして彼女がその靴がゴミになったと思うまで履かれる。
昨日まで「この靴ボロくなってきたわ」と言いながらも履いていた靴。
ある日顔色ひとつ変えずにゴミ箱へと投げ込む。
前にゴミ箱から靴を出し「ゴミ箱にパンプス入ってたよ」と捨てた女性に持っていったことがあるが、すごく嫌な顔をされた。
「汚い!ゴミだから早く捨てて」と言われた。 彼女にとってゴミ箱に捨てられた靴はゴミ袋の中の他の物、食べかすや床を拭いて汚れたテッシュと同じくらい不必要なものになってしまったのだ。
彼女にとってもうパンプスではなのだ。ゴミという不要な物体、臭い不快なもので自分の前から消えてもらいたいものなのだ。
パンプスが入ったゴミ袋を一塊でゴミと彼女は呼ぶ。
その靴が入ったゴミ袋を彼女がゴミ捨て場へと持って行き立ち去っていく、なんの未練もなんの躊躇もない。
深い因果で結ばれた靴を彼女はなんの躊躇も無く捨てる。
その因果の靴を眺める。
靴は捨てられてもなお彼女の足を口を広げて待っているようである。
彼女の足型、匂い、汗、埃、砂、捨てられたばかりの靴は彼女の足を守っているそのままの姿でいる。
彼女は忘れて立ち去ってしまったが、靴は彼女の足の痕跡の塊となりゴミ箱の中で彼女を待ち続ける。
その因果の靴をゴミ収集車が容赦なく巻きこんでいってしまうのだろう。
人は自分の神経が通っていないものに痛みを感じないが、自分の地肌に直接抱いると気持ち通ってくる。
彼女たちの靴を抱きしめて靴の味、彼女の因果を抱きしめて楽しみましょう。 >>378
ぷぎゃー
中学生の俺への嫉妬か?(笑) 一句できた。
ひとしれず クサイパンプス あいしてる 今日もどこかで ゴミばこあさり 俺の地元の県の某図書館が土足禁止なので嬉しいですね
入り口の下足棚に靴を置いて中に入るタイプの図書館です。
おまけに駅が近くにある。
平日は仕事帰りのOLのパンプスを拝借できる率が高いですね
確か、近くに銀行もありましたから
仕事帰りの女性銀行員のパンプスも拝借できるかもしれませんね
電車待ちで図書館に寄る事もありますし
駅の改札もすぐそこですし
100円ショップで買った物でも充分だが
少し大きめのマイバッグを用意しておく事
カメラも無いから拝借しやすい
施設の中を汚しにくくする為でしょうね
下足だと床とかがすぐ汚れるし スタッフにもその分、負担がかかる
汚れが書籍の汚れにも繋がる可能性だってあるし >>387
盗人はダメ(笑)
匂い嗅いで堪能しなさい ヒール靴 乙女が酷使 ゴミ捨て場 靴の最期は 哀れなりけり ヒール靴 女を全て 受け止める 体の重さ 無常な心 そう言わんと、靴フェチな川柳を楽しみましょうよ
そこで1句
性癖を やめろだなんて ナンセンス
フェチの楽しさを粋に語りましょう ヒール靴 魔女の呪い かけられて 2度ととれない 足裏の跡 素敵な女性の靴の中敷きになってみたいとは思いませんか? フェチは人により気持ちが良く感じるポイントが違うので、性癖のニアンス違う人から見ればなんのことか分からないのは当然です。(~_~;) 靴は、使っているその人の全てを内包してる。
パンティーなんて排泄物がついているだけ。
だから靴は面白い。
そして人になついた犬のように可愛い。 その通り!
人の性癖なんて自分に迷惑がかからなければ、どうでもいいことなのです。
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