体操服に身を包み、マスゲーム訓練を受けている最中に、教師の号令に拒絶・反抗することができるでしょうか。
支配側・被支配側の明確な立場の違い、周囲の統制され張り詰めた雰囲気に気圧され、普通であればそのようなことはできません。
この過程で体操服は、自己の所有物でありながら自己の心身を支配する象徴性を持ちます。
不良生徒が反抗して体操服を着崩したり、変形制服を着たり、教師に反抗するのは、決して理由無き反抗ではなく、彼ら生来のサド的性向が無意識にマゾ化訓練に拒絶反応を示していると言えます。
一方、強いサド的性向を持たない者や、潜在的にマゾ的性向を持つ者は、この教育システムに容易に取り込まれ、また、訓練課程で強要される命令実行が心地良くさえ感じられるようになります。
貴女は「当初は好きではなかったのが、学校生活を送るうちに朝礼や授業で体操服を身につけるとエッチな気分に」と、最初は嫌だった体操服姿にも関らず徐々に好むように変わって行ったとあります。
もしこの過程で、体操服に対する羞恥心はなく、朝礼や体育での整列・行進・マスゲーム訓練にある種の陶酔を感じるようなことがあったならば、生来の性質としてマゾだったか、あるいは教育過程でマゾに調教され
その結果、その拘束のシンボルである体操服に身を包まれることが、性的快感に直結した可能性が大いにあると云えると思います。
どうもジャージのような緩い服装よりは、ブルマーのような体にピッタリした服装の方が、体操服にフェチズムを抱くようになりやすいみたいですね。
密着や窮屈さにより着用感がより強く意識されるからではないでしょうか