小学生の頃は男女とも当時ごく普通の紺一色のスクール水着で、別に何とも思っていなかった。
でも5,6年の頃、スイミングクラブに通う女子がたまに授業で着ていた、いわゆる競泳型スクール水着のような
ものを見たときには、カッコよいデザインと、薄そうに張り付いたような水着姿がなんとなく気になっていた。
中学に進み、指定水着の販売があった。さっそく隣の女子が袋を開けてみると、白い肩紐の競泳タイプの
スクール水着だった。それが指定されていた学校は当時まだ珍しかったかも知れない。1983年の話だ。
6月半ば、最初の水泳授業があった。今は男女別なのかも知れないが、昭和の頃は中学でも一緒だった。
体育は2クラスずつ合同だったが、プールサイドに並んだ2クラスの女子37名の水着姿を見て、明らかに何か
スイッチが入って興奮した。そんなのアリかよ、という光景だった。さらに二回目の授業では、3年生の女子が
一緒になり、素晴らしい光景が眼前に展開していた。以後三年間、水泳の時間はひたすら待ち遠しかった。
年々見学女子は増えるのだが、それでも数人だけだったな。いつも同じ不細工な女子がサボっていた。
高校は男子校だったので、何も思い出は無い。
大学時代、市民プールに良く通った。そこは夢の世界だった。1990年前後、選手とか関係なく、一般人の着る
水着が最も薄かったのはあの頃では無かったか。折しもバブルやフィットネスブーム。若い女性も躊躇なく
カッコよいハイレグワンピース競泳水着を着て、時には海やレジャープールにさえも出現していた。
あんな時代が生きているうちに二度と来ることは無いのだろう、良い時代を過ごしてきたと思っている。

ところで、だからと言って、お若い方々をゆとり坊やなどと揶揄するつもりは無いし、それは本当に見苦しい。
ひとり馬鹿が粘着しているようだが、もしも同世代の仕業なのであれば、謝りつつ、遺憾の意を表したい。