古い時代の話になるが、おかっぱ校則が規定・強化されたタイミングでも、バッサリを強いられたケースもあったと思われる

経緯の確認は至難なのだが、よくある創立○周年記念冊子では年毎の集合写真が出てる場合があり重宝する

某所の変遷を確認すると、昭和30年代までは皆一応おかっぱの範疇に入る髪型なのだが
前髪は必ずしも眉上で直線的カットではなく、むしろ横に流したり分けたりしている子が多い

40年代に入るとポツポツとだが三つ編みやお下げの子が出現
40年代末になると、おかっぱが大勢ではあるものの、前髪を眉にかけたりピンで止めたり
更にツインテやポニテ風のかなり現代的な髪型も登場
45年前に21世紀の子が許されていない髪型を自由にやれていたことに驚かされる
というか45年前にOKだったのが、今は規制というのが基地外なんだろうが

それが50年代に入ると長髪は一掃
この時点でバッサリ通達があったと思われ、ツインテ娘や三つ編み娘は涙を飲んだと推定される
更に当初は前髪を流したり分けたりすることは許容されていたようだが、それも54年頃に一掃されたように見え
この時も前髪切り揃え指令があったと推定される

近隣校で58年に女子頭髪規定改訂の記録が残っているが、これは完全おかっぱしか認めていなかったところ
ショートカットも許容という改訂で、実態として緩和とは言い難い

その後平成に入るくらいから若干統制が緩んだのか、30年代に近い前髪の分けや流しが見られるようになり、セーラー服の着方の規定も緩和

しかしH10頃に再統制があったのか、前髪はまたぱっつん気味に、セーラー服の着方も再度厳しくなり現在に至る

何度かあった規制の強化のタイミングにひっかかって、泣く泣くカットさせられた人たちの
涙の積み重ねで受け継がれてきた校則を、何としても守ってほしいところ