まず経緯としてふたなりというジャンルは「女性に射精させることで男性が共感可能なオーガズムを視覚的に表現する」というモチベーションが始まり
そこに「女同士や女上位のセックスで女に突っ込むための棒がついててしかも射精できる」というのが作家側のインセンティブとして生じた
その男性による異性愛傾向が前提としてある中で、ふたなりの本質的な価値とは、女性の女性性や女体のビジュアルの毀損を最小限に抑えつつあることが求められた
ふたなり趣味においては、男性の体格をしている女や、女性器の無い女など、無価値だし排除されるべきものとして扱われるが、ちゃんと考察すれば理由があるということだ

従ってふたなりの要件を満たす充分要件にはキンタマや玉袋は含まれないし、むしろ女体や女性性を失わせるものとして嫌悪されるのは当然のこと
個別的に「いや俺はタマ有りのほうが好きだ!」とか、そういう話ではない
個別の話を持ち出して一般化できるというのは典型的な論理弱者による詭弁に他ならず、彼らは論理破綻を隠すためにその差違に目を向けたがらない(>>293以降に顕著)

ここまで一切主観無し