「ふたなりとやりたがる男がホモだ」というのは部分的に正しい
しかしその正しさはチンポを何よりも重視する、認知的な優先度が最上位にある価値観においてのみ、正しさが保証される
つまりそれを言う者もまた、彼によってホモ扱いされた架空の人々と同程度にら「ホモだ」ということだ

じっさい、ホモに近い性的嗜好を備えながらもその事実を受け入れられず、かといってノンケ的な嗜好も理解できず、その中途半端な状態で何とか性欲の捌け口を見出すためにふたなりに活路を見出している連中は一定数居る
彼らはとにかく男性器の完全性に拘る
彼らにとってメインは男性器であり、しかしそれが女体という様式または皿に盛り付けられてお出しされないと口に入れることが出来ない
クッソ哀れな連中だと言える
その歪んだ需要に市場を歪まされるこっちとしてはたまったものではないが