言葉には出さなかったが、誰もが(ダメかも知れない)と感じたと思う。
俺も、生まれて間もない赤ん坊の瀕死の姿が頭から離れず精神的にきて、
仕事も手につかずギリギリ。1人になるのがきつくて実家に帰るが、
産後の体で病院に泊まり込み、子供に付き添ってる妹以外の
3人に何ができるでもなく、重い雰囲気の中過ごす。
親父は妹の前では冷静に振る舞っていたが、妹のいないところでは
「かわいそうで見てられん」とこぼして精神的に参っている様子を見せる中、
妹だけは終始気丈だった。
毅然として迷いなく、蝋人形みたいになって泣きも動きもしない我が子の
頭や顔を撫でながら、淡々と体温を計り、氷枕を替え、体を拭いていた。
(その様子には現場の先生や看護師さんも驚いてた)
そんな中で、親父は激務の合間にできるだけ病室を訪れて妹に寄り添い
妹は親父の体と心労を労わる、という姿を何度か見る。

それが数日続いた後、赤ん坊は僅かな変化で快方の兆候を見せ
翌日から一気に回復した。
「まだ重症ではあるけど、もう大丈夫ですよ」と、
主治医はじめグループのお医者さん達が初めて笑顔を見せた。
「今だから言えるけど」と、こぼれ話交えて色々話を聞く。
その病気は妹の子のパターンで(月齢・性別など)一番重症化しやすく、
命を取り留めたとしても重篤な後遺症を残す可能性も高かった。
それに加えて重症な肺炎その他もあって、データ上でも目視でも
正直助けるのが難しいと思っていた。
やっと病名が判明した時には、「たまたま」その病気治療に必須な薬剤を
初期から投与していた他、幸運がいくつも積み重なっていたらしい。
偶然の初期対応の良さで、後遺症もなく命を取り留めたのは奇跡的だったと。
「本当は、医師が"偶然"なんかに頼ってはいけないんだけどね」と主治医。
脳への障害の心配もなく、ただ内臓にいくつも合併症(一過性)がある為
引き続き入院治療が必要、今後数年にわたって定期的に通院する事となったが
日常生活は数か月で支障がなくなっていくとの事でした。