全ては樽であるというメタ認識で、いかなる言論活動が可能であるのかという点においてのみ議論の意義があり、樽を超克した価値観の提示が可能になるのではないか。

ここでは樽を超克した上でなお現前化される樽を「ポスト樽」と呼称したい。

その意味において、ポスト樽を実現した唯一の店にといってよいだろう。