観鈴って死ぬ必要あったの?
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神奈の死は百歩譲って許そう
でも観鈴はどうなんだ
あそこで死ぬ意味はあるのか
ただのインパクト作りじゃないのか
生きてこその家族愛じゃないのか
観鈴が死んだせいで作品としてのテーマが薄れた
レベルが低くなった
Kanonの偉大さが分かった
と今更ながら思うんだけど、みなさんの意見も聞きたい >>68
転生者が死亡した瞬間に転生者が生まれるのであればそうなんだろうな
観鈴は神奈と似たような人生を歩んでいたからこれが当てはまるが・・・
誰とも心を通わせずに老齢になるまで天寿を全うした可能性もあるな
尼さんとかになれば世間的にも自然だ 何故死ぬかは問題じゃない。
観鈴を救ったのが何故母親だったのかだ。 >>70
心を通わせれば呪いで死ぬが
心を通わせなくても記憶のDLがはじまれば
脳が容量オーバーでパンクするので
天寿を全うはできない >>72
すげーぶっちゃけた話、だーまえのテーマが家族愛だからじゃね? 観鈴を救ったのは最高と母の力だろ
最高は呪いを解いて観鈴が人と深く関われるようにしたし 往人は法術で観鈴の体を壊そうとしていた翼人の記憶を受け流した
晴子はその観鈴を支え続けたって事か・・・ 後半の往人って何で弱ったんだっけ?
翼人の呪いは神奈が転生した時点で消えたんだよね。 >>78
・神奈の母親である八百比丘尼のうけた呪い(戦によって受けたもの)
・高野山の坊さんたちが掛けた呪い(翼人に心寄せるものを弱らせる)
この二つではないだろうか
八百比丘尼が神奈に星の記憶を受け継がせている描写がある
この記憶とともに呪いも受け継いでしまったのではないか
これならばある程度説明がつく >>79
どっちも高野山の坊主の呪いじゃなかったっけ?
人を殺した時、殺した時の記憶も呪い扱いなんだっけ? >>80
誤解させてしまってすまない
戦の時に受けたとはその戦によって殺された人々の怨念だと思ってくれ AIRの内容解釈の議論も久しぶりに見るなw
AIRの世界に関する解釈は、人それぞれだけど、
2chAIRまとめFAQ
http://www9.atwiki.jp/air2ch/pages/14.html
ここでも参考程度に読んでみれば?
過去の2ちゃんで散々議論されたレスをまとめて、詳しく分析されてるから。 >>82
d
明確な答えが提示されていないから未だに議論を繰り返してしまうw
いいことなのか、わるいことなのか・・・ AIRのAIR編は、ギャルゲにしては異質だよな。
殆どのギャルゲーは主人公=プレイヤー という視点で話が進み
最終的に主人公がヒロインの持つ問題を解決するのがセオリーだけど、
AIRの場合は 鴉=主人公=プレイヤー という視点で、
あくまでプレイヤーは母親と観鈴の姿を傍観している。
主人公は途中で観鈴の呪いを説くという大事な役割を果たすかも知れないが
物語への介入はそこまでで、やはり重要なファクターは母親が握っている。
書き手は何故、セオリーを崩してまで、このような視点を選んだのか。
俺には麻枝がエンターテイメントのフリをして遠回しにプレイヤーに
説教たれてるようにしか読み取れなかった。
「切っ掛けは君たち選択肢を選んでここまで読んだプレイヤー=鴉かも知れない。
だけど、最終的にヒロインを救うのは、君たちじゃないんだよ」と。 AIRをゲームとして楽しむのはsummer編までなのかも知れないな
AIR編はその物語の後付け。後日談の様なものと考えてもいいんじゃないか? あまりにもネットの色んな所で名作扱いだったから
プレイしたクチだけど、AIR編には納得いかなかったかな。
往人は消えたけど、せめて観鈴は助かるんだよな?と思いつつ
プレイを進めたら最後に死んでしまた。
発病してから、ずっと辛いまま救いがなく進んだのは
プレイヤーを痛めつけすぎだと感じた。
このkeyってメーカーのゲームは救いのない話が少なからずあるそうなので
もう俺は他のゲームもやってみようかという気にはならないかな。 読み手がハッピーエンドにたどり着くまでを、無意味に難解にしていたメーカーだな。
クラナド、リトバスは「なんだか知らないけどハッピーエンドだった」と思わざるを得ない。
もの凄いパワーがなんとかしてくれた
設定の部分だけ難解にしてシンプルな話を作るから、ラストに呆気に取られる。 まぁそこに何の意味も感じられない、無意味だっていうなら、
Key作品のノリは全く向いて無いと思うから
やらない方がいいだろうな。
ここの作品は、筋書きとかお話の結末とかよりも
「そこに至るまでのプロセス」を味わう、そこに込められた情念を感じ取るものだと
個人的には受け取ってるから、その部分が「ノイズ」にしか感じられないなら
プレイする意味が無いと思う。 >>84
自分はギャルゲとか、ほとんどやった事がなくて
(受け手=第三者である本や映画みたいなメディアしか知らなくて)
ゲームは「プレイヤー=主人公」というメディアだと思って身構えて「ONE」やったら
主人公がプレイヤーの期待や意思をことごとく裏切る行動をしないと
先に進めない事に、思いきり面食らったよ。
それで、これを作った麻枝准という奴はゲーム的な「エンターテイメイント」(遊ばせる)
じゃなくって、単にゲームというメディア形式に乗っかって、プレイヤーは関与しない
普通の“メッセージ性の高い(=お説教)物語”を書こうとしてるな、と感じたよ。
それ以来、Key作品はゲームというより「読み物」だと思ってる。
この手のジャンルはノベル系、っていうくらいだしね。 >>90
好き嫌いの問題になってしまうんだけど、「エンタメですよ〜泣きですよ〜」と釣っておいて
釣られて来た一部のプレイヤーを裏で批判しているような感じが凄く嫌だった。
(発売当時の事は全く解らないから、恐らくクチコミによる過大評価も大いにあったと思うけど)
逆にクラナドや智代アフターなんかは、言いたい事が誰にでも解るくらい露骨で好きなんだけどね。
そういや俺もONEにはビックリしたなぁ。
ヴィジュアルノベルにおいての表現方法の視野を広げた点で麻枝は凄いと思うよ。 俺もONEには驚いたよ。
住井が面白すぎた。あんなヤツ初めて見たからなあ。 まあ確かに最後のインパクト作り感は否めないが、でも観鈴ちんが死ぬ事によって
物語が完結に至るわけだから。俺はあのエンディングも含めて良かったと思うよ。 主人公がカラスになるという演出の、あの稀にみる無力感は、観鈴ラストを受け入れさせる布石だったんだよ! 死ぬのはかまわないが
本当にそれで満足なのかと問いたく死にざまだったのがな 観鈴ちんは満足してただろ
最後の夏休みには一生分の楽しさが詰まってたんだよ
だから観鈴ちんは幸せだった、頑張ってよかったんだ 所詮、Keyがろくなシナリオを書けないだけのこと。
だから観鈴が死ぬ結末しか書けなかった。
Kanonの舞や栞に至っては、死んだはずなのになんの説明もなく
生き返るという糞振り。
>>94
あれはなんの奇跡のカケラも感じることが出来ない無力感だったな
「ひのきのぼう」や「エクスカリパー」でラストダンジョンに挑むような 十人十色な意見が出てくるのは結構。
ただ、ひとついえることは、AIRの最後があれであったらからこそこんなにもみんなが独自の考察を展開していけるのではないか。
わざと難解にして、最後に、言葉は悪いが、少し曖昧感を残す。
そしてプレイヤーは自分で考え始める。
俺はこういうのは面白いと思う。
あの時はこうだからあーなったとか、この物語の後、こうなっていくとか、考える余地は多くなっていく。
小説でも俺の好きな村上春樹さんとかはこういう書き方けっこうするんだよね。
小説ではこういうの結構多いから読んでみたら?
日本の文学作品のいいところ、というか特徴は完璧なエンドをわざと作らない作品が多いところ。
合わない人には合わないが、慣れるとそれだけ味が出てくるよ 死ねししても死なないにしても
最後の過剰演出は不要だったと思うけどね。
あそこは泣きの要素をたたみかけるのではなく
もう少しセーブして描いたほうが
文学的クオは上だったかと。 難しいですねww
ふm、そうとも取れるのか。
俺はあの作品とKANONに凄い影響受けて、泣きゲーを知った。
ただ、悲しくさせることで、じゃあ、どうすればみすずちんを助けられたかとか考える気にはなるでしょうね
みすずちんが死んでしまったのは自分も悲しいですがww 何故、曖昧な終わり方をするか?
→エヴァンゲリオンのヒット以降、説明不足のまま話を終わらせて
真相をプレイヤーに丸投げする作品が増えたように
麻枝もエヴァに悪影響受けた世代のクリエイターのひとりだから。
何故、観鈴は死ぬ必要があったのか?
→悲劇のヒロインを作って、読者を泣かせる為。
とても泣かせたかった。非常に泣かせたかった。
Keyを背負う者のひとりとして、そこは偉いと思う。
それと、AIRが文学的とか笑えるんだけど。
何なの、演出云々で文学的に上だとか、バカじゃないの? 考えてみればエヴァってそのぐらい古い年代の作品なんだよな
エロゲだともう古典レベルだ。今のxpやvista機じゃプレイ出来ないゲームの方が多い
文学というものは必ずしも本だけとは限りませんよ^^;
言うなれば、漫画やゲームやアニメも文学のひとつであり、それが小説に劣っているとは誰にも言えません。
だって、子供の頃は難しい本よりも、アニメとかの方に感動するでしょう? 俺は>>5と同じ解釈なんだが間違ってるのか?
AIR編の、観鈴とそらが子供たちに転生、その子供達が見た観鈴達は呪いから解放され済みって解釈なんだが
正直プレイしたのかなり昔だから内容あんまり覚えて無いが 過酷な日々の解釈の仕方でどうとでもとれそうじゃ?
呪いから解放された観鈴がこれからどう心を開いて晴子とも上手くやっていくのか
こういうポジティブな困難だと捉えてる子供達も深刻そうに言ってなかったし、確かきっと乗り越えられる的なこと言ってなかった?
呪い問題の場合は乗り越えられる問題じゃないだろうしな
それにAIR編で呪い問題は完全解決じゃないと
AIR→DREAM→AIRの無限ループじゃん >>107
>文学というものは必ずしも本だけとは限りませんよ^^;
青空文庫とかあるからね、今は文字メディアだよね。
>言うなれば、漫画やゲームやアニメも文学のひとつであり、それが小説に劣っているとは誰にも言えません。
×文学 → ○創作物
別に小説と他のメディアで優劣つけてる訳じゃねーし、エンタメが文学に劣ってるとも思ってねえよ。
勘違いしないで欲しいが、アニメゲームは文学じゃないし、一般小説も文学じゃない。
>だって、子供の頃は難しい本よりも、アニメとかの方に感動するでしょう?
なぜならアニメは文学だからだ!! ってか? お前は文学の定義が滅茶苦茶だ。
第一、子供がアニメとかの方に感動すると誰が決めた? 小説読んで感動する子供だっているだろう。 >>113
仕方ない。説明しよう。別にけんか腰ではないのであしからず。
広辞苑によると「文学」とは
@学問、学芸、詩文に関する学問
A創造の力を借り、言語によって外界および内界を表現する芸術作品。すなわち詩歌、小説、物語、戯曲、評論、随筆など。
まず私の非を挙げるとアニメは文学ではありません。俺は馬鹿だww(ただ、ゲームに関しては読みのも感覚のものもあるわけで、サウンドノベルなどだが、これは一部は文学ということにさせてもらう)
文学は創作物の中のひとつとしてとらえるべきでは?
>第一、子供がアニメとかの方に感動すると誰が決めた?
決め付け見たいな言い方になってしまったのは謝る。
ただ小さい子(それこそ小学校低学年)にとってアニメの影響は大きいものって言いたかっただけ。誰しも1つ位は心に残ったアニメってあるのでは?
まあ、それでも違うと言うならば私としても困ってしまうわけだが・・・ >ゲームに関しては読みのも感覚のものもあるわけで、サウンドノベルなどだが、これは一部は文学ということにさせてもらう
ゲームもアニメも漫画も『文学のような事』は出来るとだけ断っておく。だけどそれは文学では無い。
文学とサウンドノベルの違いとは何か? 言うまでも無いけど音がある、絵があるので表現方法がまるで違う。
絵や音は演出効果を狙った物であり、文学には不要。不純物。
文学は文学、娯楽小説なら娯楽小説、アニメならアニメ、サウンドノベルならサウンドノベルの高見を目指すしかない。
>文学は創作物の中のひとつとしてとらえるべきでは?
創作物じゃないとは一言も言ってない訳だが……。
俺が言いたかったのは、AIRというサウンドノベル作品を「文学」だなんていう偉そうで、ちっとも偉くない言葉を使って
あたかも高尚な物であるように語るのは、非常に愚かだと言うこと。
「まるでこのアニメは漫画のように凄い」と言ってるようなもんだ。
つまり、「このAIRってエロゲおもすれー! マジ神ゲー認定www」の方がまだ遙かにまとも。 文学だとして、それの文学的評価がいかほどのものかきになるな
文学に携わってない奴がAIRは文学だって言うことほど説得力の無いことはないw
AIRが文学だとしたら
AIRは文学的にはくそみそ以下の評価しか受けてないことになるぞ
AIRが大学の講義で取り扱われたらそれはそれでおもしろいがなw
エヴァを扱ってるところはあるみたいだし
可能性は無くはないw
文学という言葉を使って不愉快に感じたのであれば、謝ります。
ただ、私には別にAIRを文学という言葉を使って贔屓にしたかったのでは勿論なく、ただ別の視点から捉えてみたかっただけなのです。
サウンドが入ったら文学ではないということについては議論できかねます。そもそもそこまで定義されていませんからww
まあ、文学的に劣ってるとか、勝ってるとか言ってもつまんないでしょうから、ようは楽しめたらそれでよし、感動したならそれでよし、あわなかったたらそれも然りですね。 いやはや、本当に解らないんだなぁと。
まぁ、色んなジャンルの作品に触れて、聞いて、考えていけばいずれ解ることだから。
国内だけじゃなく、海外の文学作品や映画、文芸評論とか読んで自分の世界を広げていってくれ。
でもサーセンwww議論の余地無くエロゲーは文学じゃありませんwwwww
ちなみに別の視点ってどんなん? 具体的に頼む。 >>113
>今は文字メディアだよね
定義上は音声メディアも可じゃないのか?
>>114の例だと詩歌は音声でも伝えられる。
>一般小説も文学じゃない。
大衆小説の意味で使ってるならこれはおかしくね?
ちゃんと言語だけで表現されてるし大衆文学という言い回しもあるぞ。
あと戯曲は文学に入るが、これは観客に伝える際には演劇となって演技・音楽などの他の演出が入るな。
だったらエロゲーを文学扱いしても別にいいんじゃね? >118
なかなかうまく言えないが、AIRを読み物という視点で見てみたかった。
まあ、なんていうかエロゲーというだけで、評価を下げようとする見方も一般にはあるわけで、そういうのを度外視して語ってみたかった。 120さんとタイムラグが・・・
まあ、こういう視点なわけでww >>119
>定義上は音声メディアも可じゃないのか?
そうかもね、何でもいいよ。
>ちゃんと言語だけで表現されてるし大衆文学という言い回しもあるぞ。
そうそう、大衆小説も一応文学言うね。
ただ、文字だけで書かれた物を昔はそういう言い回しをしていただけで、今の意味で文学ではないよ。
>あと戯曲は文学に入るが、これは観客に伝える際には演劇となって演技・音楽などの他の演出が入るな。
戯曲の時点ではな。演劇も芸術ではあるが、どのへんが文学なのか説明よろ。どんな超理論? 楽しみ!
>>121
>エロゲーというだけで、評価を下げようとする見方も一般にはあるわけで
別に作品の本質が変わる訳じゃないから気にする必要無いだろ?
つーか、鍵のゲームやって感銘受けたなら、それは普通。別のスレ行けば語る相手はいっぱい居ると思われるが。 観鈴が死ぬ必要?あったにきまってんだろw
観鈴が死ぬ話を作ろうとして作ったゲームなんだから。 >>123
>戯曲の時点ではな。演劇も芸術ではあるが、どのへんが文学なのか説明よろ。どんな超理論? 楽しみ!
言い直すわ。
エロゲーのシナリオは文学。
これなら意味通るだろ。 批評家が文芸評論の対象にしていたら文学だよ。
どの程度文学であるかはその批評家の権威による。
AIRは、東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』という文芸評論のようなもので扱われており、
『ゲーム的リアリズムの誕生』は、高橋源一郎が週刊朝日で好意的な書評を書いているから、
文芸評論家としての東浩紀と高橋源一郎の権威に応じて文学であると言える。 だよな。AIRを俺が受け入れ手鍵っ子になったのはこのゲームが
イメージするギャルゲー/エロゲー/恋愛シミュレーションなどとは違う側面を持っていたからだ。
イメージするところのギャルゲーは女のこといちゃいちゃする、エロゲーに至っては
女の子を監禁して甚振るとか調教とか、変態行為に及ぶなどと認識していた。
だからこそ、それらとは全く関係のないどころかそのれらの概念を根底から覆したAIRは
ギャルゲー/エロゲー/恋愛シミュレーションの枠を超えていた。
だからこそ、AIRは文学の一ジャンルとして良い。
それどころか、美しい音楽と共にもはや文学を超えた芸術として認識した。 >>129
お前がエロゲに偏見を持ってただけじゃんw
お前は自分の偏見の域を超えてたからAIRは文学だと言ってるんだぞ?w
少なくとも世間の総意とは異なるわな
それは一文学者がAIRは文学だと言っても同じだw
世の中のほとんどの国が民主主義である限りかわらん
多くの文学者がAIRは文学だと言うなら納得がいくがな
なんのために世の中に学会や研究会があると思う?
世の中にパブリッシュするためだよ、世の中に認めてもらうためだ
そういう場で扱われ無いなら少なくとも世の中にはそういうジャンルとしては認められてないってことだよ
鍵っ子が主観的に見たらAIRは文学かもしれないよ?
だが客観的に見たら違うだろ
しかし、いまだに世間一般からはエロゲ=キモオタアイテムとして認識されている。。
これに抗うのには自ら鍵ゲー(とくにAIR/CLANNAD)の文学性を信じ、これを周知させる必要がある。
客観性などというものは時として時代と共に変遷する。
100年前に自動車は金持ちの娯楽であったものが今や生活必需品である。(地方民にとっては)
4、50年前にはコンピュータは軍事、気象庁、大企業にしかなかったものが
いまや5万円で買え、だれでも持てる時代だ。
鍵ゲーも大衆文学・大衆芸術として認知される日が来てもおかしい。
そして、鍵ゲーを芸術と認識するものこそ、選ばれし選民であり賢者になる! 世の中が文学と認めないものを文学と言ってはいけないなんてことはないだろ。
それではいつまでたっても新しい創作物は文学と認められないことになる。
現時点で世の中ではAIRが文学であることを認めてられていないかもしれないが、
それは単に世の中がエロゲーへの偏見に満ちているだけだな。
鍵っ子はAIRのシナリオに文学、すなわち言語表現の美を感じ取ることが出来る。
世の中はこれが出来ない。 >>鍵ゲーも大衆文学・大衆芸術として認知される日が来てもおかしい
この一文には同意せざるを得ないw
エロゲはどこまでいってもキモオタの為の娯楽ですw
これを日本の文学者の過半数が文学だと認めだしたら
日本沈没だなw × 認知される日が来てもおかしい
○ 認知される日が来てもおかしくない。
先鋭的な大衆文化を認めないものは先見の目がない上に
情報弱者であることをさらけ出している。
頑迷固陋の文化の非開拓者はいづれ後悔することになる。
AIRのような美しい物語が文学芸術でなくて何が文学芸術といえようか!
ルーブル美術館その他の絵や彫刻、クラシック音楽だけが芸術だというのだろうか?
あるいは演劇やオペラだけがその称号を受けるのに相応しいと?
いいや、それは間違っている!
このような感銘を与えるゲームはすでに芸術の粋に達している。
少なくとも俺はそう確信している。 被りすぎw
>>134
>先見の目
「先見の明」だからな。
このレベルの間違いを続けてくと周知以前に文学発言に説得力なくなるぞ。
気を付けろよ。 なんか私が文学という言葉を出してから物凄いことになっているようなwww
まあ、私が言いたかったのは、そういう視点から語ってみるのも面白いかなと。
私も好きですし、触れた人たちの間でも評価がそれなりに高いのは事実。
特にシナリオにも定評があるので、そういう捉え方をしてみてもいいと思ったのです。
こういったジャンルが文学に当てはまるのかどうかは私は知りません。
でも、この場ではそういった視点から話すことは許されるはずです。
ネタでカ○ヤなどの作品をこういった形で解釈していくのもそれはそれで面白いかもwww
やったことありませんが・・・・・・ 俺にとってAIRは、文学とか芸術という枠に当てはまらない存在になってる。
なんというか、俺にとってのAIRは人生の指針になってるという感じかな。
もしAIRに出会っていなかったら、俺の人生は何も考えずただ生きているだけになっていたと思う。
>>127
シナリオだけ? 演出が入ることを前提に書いたテキストが?
AIR信者以外には、とても読めたものじゃないだろそれ。
小説に書き直したとしても、泣ける大衆小説の枠を出ない。
>>134
サラリーマン麻枝が花形ライターの久弥の居なくなった開発室を存亡させる為に
プレイヤーを号泣かせる事を目標に書いた話を、大衆作品と言わずして何とする。
心に残るエンターテイメントとして受け取れ。感動するかどうかは個人の勝手。
文学じゃねーからwwwwwwwww
なんかAIRと言うよりエロゲーは文学たりえるか、という話題になってきたな。
別にエロゲを含むヴィジュアルノベルを馬鹿にする気は無い。
むしろ新しい表現方法のひとつだと思ってるくらいだ。
一般に認められなくても、サブカルチャーなんだから理解されなくて当然。
何十年か先には、どうなってるか解らんよ? エロゲ文化自体が衰退してる可能性は大いにあるが。
特定の作品がいかに芸術的に優れていてもヴィジュアルノベルはヴィジュアルノベルなんだよ。
芸術的な絵画は彫刻ではない。
AIRが文学だとかどうでもいいけど
シナリオ上のタイムパラドックスが気持ち悪いです
ソラと観鈴が転生したっぽく描写されてた子供達2人が
DREAMに出てくるのは変だろ
同じ時間軸に転生した人と転生する前の人がいるってどんだけ矛盾してんだよ
シナリオライターのミスか?
ラストも、転生した子供達は、AIR編後にでも登場させとけばよかっただろ
なんでわざわざ誤解を生ませるようなシナリオにするのかが意味不明
エヴァ見たいに謎を残せば、深い作品になるとライターが勘違いしてるとしか思えないw >>138
>シナリオだけ? 演出が入ることを前提に書いたテキストが?
戯曲は演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品のことだろ。
演出が入ること全く前提としていないと言い切れるのか?
また、映画のシナリオを文学と解釈する見方もある。
エロゲーのシナリオを同様の議論の俎上に乗せることを門前払いされる謂れはないと思うのだが。
>心に残るエンターテイメントとして受け取れ。
娯楽は文学の対義語というわけではないだろ。
古代ギリシャにおいて叙事詩にエンターテイメントとしての側面がなかったと言えるのだろうか?
見る人や立場によっても変わるんじゃないだろうか。
子供のころに児童文学をエンターテイメントとして読み、
大人になって読み返したときは文学作品としてみているという状況は十分ありうるのではないか。
純文学だってただの娯楽として消費する人はするだろうし。
というか、大衆作品だから文学じゃないという理屈がわからん。
狭義の意味で現在文学扱いされてなくても言語で表現されているものは文学としてみることが可能じゃないのか。
>一般に認められなくても、サブカルチャーなんだから理解されなくて当然。
もっと評価されるべき。
エロゲーが衰退したりしたらそれは重大な文化的損失だ。 >>128の繰り返しになるが、ある作品が文学であるか否かは、権威のある文芸批評家が取り上げているか否かで決まるんだよ。
その上で、大学の文学の講義で扱われるぐらい文学として受け入れられていれば文句なし。だから、一部の映画やマンガは既に文学。
逆に、表現形式は同じ小説なのに、『カラマーゾフの兄弟』が文学で『恋空』が文学ではない理由もそういうこと。 結局何が言いたいんだよ?w
AIRは恋空と同等だろw
権威のある文芸評論家の定義が聞きたいものだ
どの程度の文芸評論家が取り上げたら文学なんだよw
権威のある文芸評論家が取り上げたら文学
この考えがどう考えてもおかしいだろw
権威のある文芸評論家は他の文芸評論家に自分が取り上げた作品について
その良さを論理敵に説明し、納得させることができるような人物であるはずなんだよ
少なくとも文学として多くの学者が議論の対象にしていない限り文学と主張しても
あくまで主観でものを言ってるだけだと思われて当然
さらに、、それの文学的価値も一人の文芸評論家が決めるものじゃないw >>141
要するに、作品の文学性は作品に内在される性質ではなく評論家が決めることだと?
AIRは権威という名の世の理不尽に屈するしかないと?
ふざけてるの?
>>142
そもそも作品の批評から主観を排することは無理というか無意味だろ。
この作品は文学だと言ってる人が多いから文学なんて主張は、
主観だけで作品の文学性を論じる以上に中身がないと思うが。 >>143
主観を排するなんて一言もいってないわけだが?
主観で作品を論じた結果それに同意する人、反論する人がどれほどいるかが
問題だと言っただけだ
文学として、文学者が議論の対象にすらしてないものが
なんで文学になるの?ってことだが
主観でものを言うことが悪いんじゃない
その主観に対して十分な議論がなされるかが問題なんだよ
それに、多くの人が、作品を文学として扱い、議論するのなら
それは文学だろ
主観が寄り集まることで客観になり得ると思うんだが
違うの? お前らオタクなんだから他人からの評価を気にせず自分目線で良し悪しの判断しろよ。 >>144
>主観でものを言うことが悪いんじゃない
だったら鍵っ子が主観に基づいて「AIRは文学!」と叫んだっていいだろ。
>それに、多くの人が、作品を文学として扱い、議論するのなら
>それは文学だろ
その状態は「多くの人にその作品が文学と認められるようになった」だな。
文学の定義は創造の力を借り、言語によって外界および内界を表現する芸術作品(>>114)。
多数決で決めるものとは思えないのだが。 >>147
CLANNNADは人生かなww
いや〜、私がAIRに文学的視点を試してしまったばかりにww
う〜ん、実際文学の定義が曖昧なので、確信めいた見解が出せないのが本当のところではないかと・・・ >>146
だから、鍵っ子が主観に基づいてAIRは文学だと言うこと事態を否定したことはないって
あくまでも、俺にとってはAIRは文学だって言ってる奴を否定しようなどとは思わない
ただ、世間の総意のようにAIRは文学だと語る奴がいるから
それは違うだろって言ってるだけ
多くの人にその作品が文学と認められるようになった
これが一番重要なことだと思うが?
文学を言語表現による芸術作品という定義で
俺はAIRは文学だと思うと言われても
それは、俺はAIRは素晴らしいエロゲだと思うと言ってる奴と
なんら変わらないんだよ
それなら文学なんて誤解を生みそうな言葉使う必要ないよね?
AIRの文学性について論理立てて議論するなら話は別だが
スレ違いにもほどがあるだろ?w
もうこのスレで「文学」を使うのは禁止でいいな?w 思えば私が>>101で文学などという言葉を使ってしまったことから始まった。
もう十分に論議したと思うので、>>149に同意する。
>>AIRは聖書
国崎往人がアダムで神尾観鈴がイヴwww >>151
>国崎往人がアダムで神尾観鈴がイヴwww
それでいいじゃん。何か不都合あるか?
他者の意見なんぞクソだ。俺様の意見こそジャスティスだ。
スピードレイサーは良い作品だ。だが、ポニョだの鬼太郎だのハプンドだの
いう作品が幅を利かせすぎだった… >>152
あっ、いいんですねwww
私の信仰は間違ってなかったんですねw >>140
とりあえず戯曲と設計図を一緒にするなw
お前の理論だと、何でも文学だとこじつけられるんだよ。
その内料理は文学だとか言い出しそうで心配。
>娯楽は文学の対義語というわけではないだろ。
んなこと言ってねーだろ、表現方法、意図が別物だと言ってるんだ。
>純文学だってただの娯楽として消費する人はするだろうし。
何を当たり前の事を言ってるんだ……。
>>151
悪いな、これで最後にするよ。
形式だけを問題にするなら、「ノベル」ゲームの本質はテキストによる表現だから、小説の一種とみなせる。
だが、東浩紀では権威が足りない。
東の(元)師匠の柄谷行人ならおk。 >>152
スレちだがスピードレーサーおもしろいのかw
AIR信者がいいという映画だし
見てみるかなw >>156
そうなんですか?
なんかパット見全く違った作品に見えるんだが・・・
他の人はどういう意見をお持ちで? スピードレーサーはケバい画面とウンコな挙動がどうにも
大昔のゲーム見せられてるような
っつーかマシンハヤブサの方が実写向きだろ
あの兄弟センスねえ 観鈴ってアダルトチルドレンか
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3
# 本音を言えるような場面で嘘をつく
# 自分を情け容赦なく批判する
# 自分のことを深刻に考え過ぎる
# 様々なことを楽しむことが出来ない
# 他人と親密な(心の通った)関係が持てない。
# 常に他人から肯定され、受け入れられることを求めている。
# 自分は他人とは違っていると感じている
# 過剰に責任を持ったり、逆に、過剰に無責任になったりする。
# 従うことに価値がない場面でも、従いがちである。
# 衝動的で、ひとつのことに閉じこもる
# 離人感、自分が自分でなくなるような感覚
# 身体性が希薄
# 他人への依存
# 自立的な判断と思考の欠如・周囲の期待に合わせようとする
# ストレートに「嫌です」が言えない
# 甘えと愛情、依存としがみつきの区別がつかない
# 妄想を持つことがある
# 喜怒哀楽の表現が不得手
# 楽しむこと、遊ぶことが上手く出来ない。
# 自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技してしまう。
# 他人からの承認を必要とする
# 自己処罰癖、自罰傾向がある
# 無力感を訴え、心身症に陥りやすい
# 自分の判断に自信が持てない
# 常に他人の賛同と称賛を必要とする
# 自分は他人と違っていると思い込みやすい
# 傷つきやすく、閉じこもりがち。
# 孤独感、自己疎外感が強い。
# 感情の波が激しい
# 衝動的であるためトラブルが多い
# 物事を最後までやり遂げることが困難
# 習慣的に嘘をついてしまう
# 罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的である。
# 過剰に自責的な一方で無責任
# 自己感情の認識、表現、統制が下手
# 自分にはどうにも出来ないことに過剰反応してしまう。
# 世話やきに熱中しやすい
# 必要以上に自己犠牲的
# 物事にのめり込みやすく、方向転換が困難。
# 他人に依存的、または逆に極めて支配的。
# リラックスして楽しむことが出来ない
* 親密感と距離感の問題
他者との関係が、くっつき過ぎか離れ過ぎかのどちらかになってしまい、適度な距離感が実感できず、維持出来ない。
* 対人恐怖
むしろ相手との関係が親密になってゆく過程で出てくる問題で、表面的な関係では極度な対人緊張として感じる。
* 白黒思考
オール・オア・ナッシングで、自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。灰色(中間)の選択肢もあると考えられない.
* 自己主張の問題
嫌なことを「イヤ」と相手に言えなかったり、正当な欲求や要求を「自分のわがまま」だと思い込んでしまい、言葉にして伝えることが出来ない。
* 責任感の問題
「この場をつまらなくさせているのは自分がいるからだ」など、過剰で不要な責任を感じてしまう反面 、果たす必要がある責任を放棄してしまう。 観鈴ちんが死んでなければAirは完結しないよな
それが良いか悪いかに関わらずその他のきれいなEDって思いつかんのよ
Summerだけは別の話として見てるだろ?みんな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています