AIRのAIR編は、ギャルゲにしては異質だよな。
殆どのギャルゲーは主人公=プレイヤー という視点で話が進み
最終的に主人公がヒロインの持つ問題を解決するのがセオリーだけど、
AIRの場合は 鴉=主人公=プレイヤー という視点で、
あくまでプレイヤーは母親と観鈴の姿を傍観している。
主人公は途中で観鈴の呪いを説くという大事な役割を果たすかも知れないが
物語への介入はそこまでで、やはり重要なファクターは母親が握っている。
書き手は何故、セオリーを崩してまで、このような視点を選んだのか。

俺には麻枝がエンターテイメントのフリをして遠回しにプレイヤーに
説教たれてるようにしか読み取れなかった。
「切っ掛けは君たち選択肢を選んでここまで読んだプレイヤー=鴉かも知れない。
だけど、最終的にヒロインを救うのは、君たちじゃないんだよ」と。