【エロゲ特任教授】東浩紀スレッド126【ゼロアカ帝国皇帝】
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文字起こししたよ、パート2(^o^)ノ
浅田彰 No.9(1986年テレビ放送)
http://jp.youtube.com/watch?v=WPmskNsDQDg
エレクトロニクスの産み出したシミュレーションの宇宙から出発し、メディアネットワークに覆い尽くされた
シミュラークル都市をくぐってきたビデオ・エボリューションの企てはそろそろ終点に近づいたようです。
これまでみてきたように、現代がかつての科学革命と同じくらい重大な変化の時代だとすれば、
今問われているのは十七世紀、十八世紀のバロック文化に比肩しうる文化、テクノ・バロックとでもいった
ような文化を産み出せるかどうか、このことでしょう。
そのために必要なのは一体何なのか、バロックの時代、それが旅と交通の時代であったことを思い起こす
必要があります。実際、ヨーロッパ中を旅してまわったデカルトからライプニッツに至る哲学者をはじめ、
遍歴の職人達、遊行の芸人達を含めて、この時代は無数の旅人に溢れていた。無論、スピノザやフェルメール
のようにあまり動かなかった人々もいるわけですが、彼らにしてみても、例えばオランダという商業共和国
のなかで、世界的な交通の結節点に身を置いていたわけです。
こうした活発な移動のなかで、様々な要素が激しくぶつかり合い、互いの差異や矛盾を際立たせる、
それこそがバロックといわれるあの文化、光と闇、中心と周縁の二元論的対立を超えた、真に多数多様な
文化を形づくっていった原動力ではなかったでしょうか。
それに対し、マスメディアのネットワークが巨大な電子の子宮となって全てを柔らかく包み込もうとする
状況によっては、多彩に見えながらその実、同質的なイメージの洪水のなかで差異や矛盾が中和され
隠蔽されてしまう危険、そのなかで移動しているつもりではあっても結局は堂々巡りでしかない危険を
指摘しないわけにはいきません。 今必要なのは、そういう閉じた世界を破って、差異や矛盾を突出させていくこと。そのためにもマスメディア
に抗して、無数のマイナーな声が移動し交錯する、多様な交通の状況をつくり出していくことでしょう。
いやそもそも、今のように巨大なマスメディア自体これからも必要なものなのかどうか、それは平均的大衆
という虚像に向けて、浅く広い同質的な情報を投げ与える送り手であることをやめ、むしろ異質な声の
呼び交わす分散的なメディア網の局所的中枢点(?)へ発展的に解消されていくべきなのではないか。
そのために多様なマイナーメディアの実験が必要とされていることはいうまでもありません。
しかしまた、そう、例えばテレビ局が最も完全なエレクトロニックメディアである電話網の交換台のように
なる日を夢見ることもできます。電話網のなかではある一定の瞬間ビジネスの話がなされているかと思うと、
愛が語られていたり、軽い冗談が交わされたり、また同時に極めてハードな科学の情報や哲学の議論が
交換されていたりもする、その傍らをデジタル化された様々な情報がパルスの列となって走り抜けていく
というわけです。
まあ、ちょうどそんな具合に、テレビでも少なくとも夜の間くらいは、マスに向けたものではない、各々に
特異な内容を持ち、ばらばらな方向を向いた情報が流されてもいいのではないか。一家に一台という電話
に対し、ビデオが二件に一件というところまで迫りつつある今日、そうした情報の断片がビデオカセットに
よって私的に取り交わされたりすることがあってもいいのではないか。そんなアイデアのとりあえずの表現が
このビデオ・エボリューションのプログラムに他なりません。
実際このプログラムが至って特殊な形でつくられたことを付け加えておく必要があるでしょう。
本論はマスを対象として意識(?)することなくつくられ、そもそも台本も無しにともかく今この時考えている
ことをテレビだからといって角を落とさず、生のまま即興的に語るという形で構成されたのです。更に四時間半
といえば実質一時間番組一ヶ月分、いや六週分にもあたるという。わずか二週間で、いや、カメラを回した日数
に至ってはたった四日間でつくられた。しかもほとんどテレビの放送にはタッチしたことのない人達、いわば
テクノ・キッズ達ばかりの手によってつくられた。それはまさに、こうして気軽につくられた強いバイアスをもつ
映像が電波に乗って流れてもいいのだということを示すためでもあったのです。
願わくば、これが呼び水となって、こうした試みが次々に続いて欲しい、いや、今となってはもうそうなるより
他はない。TVエボリューションはとっくの昔に始まっているからです。
<終>
浅田彰 No.8
>>119>>121>>122
浅田彰 No.9
>>123>>124>>125
>>120
間に挟んでゴメン>< >>120
ローティにそれほど詳しくわけじゃないけど、公はプラグマティックにやりましょうと
ゆう話だったと思った。
それからアイロニカルとは、自分自身に対しても含まれるからアイロニカル。
公的意識に対してのみならず、今自分が語っている言葉でさえ信用ができないという意識
かな? 文字起こし乙です。
タイミング悪く書き込んでしまった。。すみません。。
73 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/15(火) 19:10:10 0
http://jp.youtube.com/watch?v=hjCl8fotdpQ
http://jp.youtube.com/watch?v=WPmskNsDQDg
2ちゃんやニコ動なんて80年代に浅田が予見して論じてるよな。
古いよあずまんは。
↑これの文字起こしだね。
マクルーハンのようなメディア論というよりは未来予想図みたいなものですね。
テレビ→電話・ビデオ→2ちゃん・ニコニコ(インターネット)へのメディアの変化は間違いないと思うけど、マスを対象としてないっては言えないんじゃないかなー。
ニコニコのコメントは動画を見ているかもしれない誰かに向けて発信されているんだろうし、2ちゃんの書き込みだって誰かに反応されることを前提としてるはずだし。
マスの範囲が縮小しているってことなら、2ちゃんニコニコのタコツボと同じように新聞・テレビもタコツボ化してるしね。
電話・ビデオのような個人的な通信が意図しない流出でマスに表出するような事態もあるし、今ならもっと丁寧に分析できると思う。 >>126
レスどもです。
そこまでのアイロニーな態度が公共性に転化されるようなことがあるのか。。
いや転化するかのように私と公を連関させるような思考が間違ってるのか。
ローティ読んでみます。。
>>128
俺に友達なぞいない\(^o^)/
>>129
( '・ω・)人(・ω・` )ナカーマ・・・ >>129
>>130
( `・ω・)人(`・ω・´)人(・ω・´ )ナカーマ!! >>129
>>130
>>131
( `・ω・)人(`・ω・´)人(・ω・´ )人(・ω・´)ナカーマ!! あずまんにとっての北田さんのような存在、かな?
でもあずまんって、のちのち袂を分かつ友人も多いよな。 人は人である限り政治を語って良い。しかし、お前らには広大無辺の大地を見渡す目と
億の民を食わせる気概が足りぬ。ふたたびこのスレに書き込むならば命をはった言葉で
全体性を語りに来い。 全体性を語ろうとすることがいかに無意味であるか自覚できないのか?
細分化された部分の強度を高めるような語り以外は不必要っしょ。 >>144-145
思想地図シンポでの宮台と東のやり取りを思い出すな。
しかしあずまん、打ち上げの飲みで宮台と腹を割って話した模様を
後ほどブログにアップするって言ってたが、まだかねえ。 もしも全体性を担う機関が存在してないなら、つまり、国家とか総合大学とか
存在してないのなら、>>145にも百歩譲って一理あると言えるだろう。
だが、私達は「近代」を経由してきているのだ。富国強兵策によってこの国家
の基礎を築いたという歴史を経てきている。そういう歴史の偶有性を見て見ぬ
ふりなど、できるわけがない・・・ >>147
詳しい説明サンクス
それなら宮台が怒るのも当然な気がする >>147
歴史なんて全く関係ないでしょうが。
国家が存在しようがしまいが、それとは無関係に生きられるシステムが完成していて、
我々は全体性を意識する必要も、ましてや認識しようと努力する必要もない。
3行目以下の富国強兵…は理解不能。
偶有性は歴史に所属するんではなくて、今がこうなっているということ以外に説明できない情況っしょ。 それに「今がこうやっている」状況を説明するために時系列的な経緯を
用いる(=歴史)ことは理に適っていると思うがなぁ >>150
全体性って言葉の意味が食い違ってる。
全体性は固有名を剥ぎ取った観念的存在。
全体性について語るのが無理だというのは、その全体性について語られる表象が、
全体性を作り上げる個別で具体的な要素と大幅に食い違うのがよくあることだから。
ID:TrP+Xymr0が言う全体性は、大勢の人にとって影響のあるモノってことっしょ?
だとすれば国家や警察もいいけどサヨっぽいからグーグルでも語ればいいと思うよ。
>>151
俺の使う全体性と無関係なので言いたいことはわかるけど〜、
「今がこうなっている」状況を歴史で説明しても、その因果関係の正否は問えない。
もしある歴史(因果関係)を理に適っていると思ったとしても、ある人はそう思わない。南京大虐殺とかあるっしょ。
歴史についても上と同じように全体性なんてもんは語れませんよと思いますよ。 >>152
東が「なんとなく、考える」でその全体性について書いてたな…
評論や批評とは何かで、それは「全体性」があると偽装するものだとシニカルに
書いていた。個別の案件や事件や作品のみについて語ることが評論や批評である
ならば、現在のオタク界隈のようにそれが一ジャンルとして蛸壺化してしまって、
それは評論や批評だとみなされない(少なくとも文芸誌にみられるような評論や
批評はオタク界隈に関する言説を評論や批評とみなしてない)現状から述べていて、
そして、文芸誌に掲載されるような評論や批評が、何か意味・価値がありそうな
立派なものにみせている幻想・錯覚の力とは、それがインチキであるにも関わらず、
その評論や批評には「全体性」があると思わせる力があるからだと、こんな具合に。
だいぶ前に読んだから正確でないんだが、「全体性」への錯覚・偽装がないと、
しょせんあらゆるジャンルがそれぞれのジャンルで蛸壺化するだけだとも書いていた。 >>150
「全体性」について語るのが無理だから、「日本」について語るというほうが
実践的であると言えるかもな…思想池図VOL.1みたいだけどなw
それくらい全体性は消失してるのかもしれないし、全体性とはむしろアメリカや
中国に対抗して語られる民族的イデオロギー(敵が設定されることで自分たちの
輪郭が描かれるような)であったり、グーグル的な、工学的社会システムの総体
を意味していたり、個々人の誕生から青年期、中年期、壮年期へいたる一連の人生
(具体的には雇用問題であったり年金問題であったり)の保全であったり、さまざま
な語り口から「全体性」がまだそれなりに機能しているような錯覚を私たちは抱いて
いるのかもしれないな…
もしくは一気に地球環境全体とか、ボーリング玉みたいにクルクル回る星としての
地球みたいなLOVE&PEACEw >>150,154の翻訳をお願いします。
>>152の話を東的見方で続けるとすれば、
「日本」について語るのが無理なんだってば。
日本の中のなんか細々とした一つのことについてしか語れない。
年金問題について語ろうとしても、年寄りと青年間では断絶がある。
それぞれの立ち位置でしか語ることはできない。
むしろ積極的に自分の価値と教養を踏まえた視点で語るべき。
それを包括できるようなシステムさえあればいい。
>>155
「日本」について語るのが無理、と言いながら否定的に語ってるww
それに「包括できるようなシステム」を本気で考えれば、「近代」や
「国家」や「日本」の問題に行き着く筈だろうに、お気楽ご気楽やねぇ
無知をさらけ出すことをおそれない勇気というのは評価されるべき
「日本」を「全体性」として読み替えた上で宮台のような反論をするならまだしもw
「近代」「国家」「日本」て並列できんのかよw
何にせよ>>152が哲学を語ろうとしているのに対して>>157は小林よしのり次元の社会学を語ろうとしているのがよくない
人が増えたら少しはましになるだろうね >>158
哲学以前に言葉いじりだろ?文脈でわかるようなところを
いちいち語法の問題にしてうだうだ言ってるだけじゃん。
観念としての「全体性」が消失したというのなら、その
観念としての全体性が何であったのかを再考すればいいだろ?
その言葉の屁理屈ぶりは近頃急速に低脳化した東浩紀を彷彿
とさせるから気ぃつけな。 まあ、かつて東本スレで大恥をかいた福嶋の論法と同じではあるがなw君は そんなムキになるなよw
観念としての全体性の再考なんてそれこそ言葉いじりだろうねぇむだむDA
東が低脳化したとは思わないが全体性について語ることが不可能になる・元々不可能だったことが認識されることと
ラノベ系小説群の固有名の消失は別志向でないかとは思うね >>161
ああ、別人か、ID表示もあんまり意味ないかもなw
だがその揚げ足取り的な自己正当化は低脳の福嶋そっくり過ぎるぜよ
気いつけや 福嶋とかしらねーしw
近代が重要やwwwwとか低脳ぶり晒け出してるといじめにあうぞw 冷静にみて、どっちも低脳だ・・・
しょうもない煽り合戦なら本スレでやれよ メタ厨が現れたw
そうやってすぐ内容のない書き込みしちゃうんだもんなぁーw
動物的に反射してますねw メタルスライムが現れた!みたいな書き方するなよ
言っておくがアンタのレスも大差ないんだがな・・・
で、何もめてるのだ?ローティの話はどこへいった? >>144はあれだな、漫画のセリフだ・・・
全体性は語り得るかどうか、で、もめてるのなら
そこはヴィト風に語り得ないものは語らないで
いいんじゃないの?
それか、語り得ないものを語りえると人間が錯覚して
しまうという話なら社会論的にあり得なくもないだろう
実際、多くの人は幾分かそう錯覚してるわけでさ >>163
近代は重要だろ、ほんと信じられん低脳が哲板にいるんだな、と
思ったがここは葉鍵板だった。
おまえまじめに学習せい。 近代が重要とか言ってる池沼は一人だけなんだが・・・。
そもそも何をもって近代が重要か説明もできないだろうし、自分でもわかっていないのがばればれゆかい。 近代が誰にとってどういう目的で重要だと言うのか理由を示せよ・・・。
喚くだけなら本スレに(・∀・)カエレ! アホか、すでに近代化された社会が目の前にあるだろうに
なぜ話が噛み合わない?
>>155の「積極的に自分の価値と教養を踏まえた視点」にせよ、
それを「包括できるようなシステム」にせよ、近代と無関係に
どうやってつくるんだ? つーか、それってただの無教養じゃんw
学問なんてほとんど近代を経てるだろうに、仏教でも語りたいなら
宗教スレにいけ ・・・現在は過去の集積・・・ということですね・・・。
ありがとうございました(^o^)ノ ローティの話・・・はいいとして>>144-145のやりとりから変な方向へ話が
いっているようだ。
整理すれば、>>144が「もっと気合入れて語れや!」と言ったのにたいして
>>145が「お前は体育教師かよ?うぜっ」とリアクションしたと例えらいいだろうか。
とりあえず「全体性」の定義については>>152の「固有名を剥ぎ取った観念的存在」で
統一させておこう。ただそのような「観念的存在」が固有名から生じている、起点と
なっている固有名の忘却にあるのではないか、とわたしには思えるけど。。
いずれにせよ、「全体性の復活」を望む意見と「全体性を永続的に脱構築し続ける」意見
があるというこのレスの現状は、ポストモダン社会における宮台-東の論争をきれいに反映
している。しかも>>115は「包括できるようなシステム」があればいいと東に同調するような
発言までしている。また>>144は>>168が指摘しているように、漫画の台詞の「ネタ」である
ことからも、再帰的に、ネタ的に、全体性をつくろうとする宮台の発言に、これまたきれいに
反映していると言える。 その意味で、このレスの議論はそれぞれの立場がすでに宮台、東をリファンランスしている
ともいえるし、それぞれが発言の担保をそのような著名人においているということ、例えば
>>145が「細分化された部分の強度を高めるような語り」を掲げておきながら、それの詳細に
ついてまったく言及していない点は指摘せざるを得ない。
そのような詳細の不在が、このスレにどことなしか不毛な空気を生んでいると言わざるをえない。
よってお互いがお互いを「低脳」と呼び合うだけの幼稚な中傷合戦となっている。
それは、詳細を語ることでその相手側が詳細の中から間違い探しをしはじめる、一点の間違い
の記述を見つけることで論争に勝利しようと企む戦術を採用しているせいではないかと推測する。
とまあ、わたしのこのメタ的な実況解説もまた、すでにありふれた「立ち位置」として消費済み
なのであろうけど、そしてそのようなメタ的であることを自ら書き記すという二乗されたこの
立ち位置もまた北田暁大がそうであるように消費済みなのであろうけど、お互いがお互いを低脳
と言い合う中傷合戦は、柔道で組み手を拒むあう払い合いの様に似ていて、盛り上がり度の指標
からすればゼロアカ道場の足元にも及ばない。何か、お互いに有益な関係付けへ向かわせることは
ないだろうかと5分ほど考えてみたけど、とりあえず「近代」が話しに出てきたからそこから詳細
へ向けて語り合ってみればいいのではないかなと思う。 >>158が、「近代」「国家」「日本」て並列できんのかよw と書いた点から考えよう。
これは思想地図vol.1でのシンポジウムや鼎談を引き合いに出すまでもなく「並列」は
できないかもしれないが、密接に関係しあっているのは間違いないといえるだろう。
近代によって人類の生活環境は一変した。蒸気機関の発明がなによりも大きかった。
蒸気機関が「工場」を大規模化し、多くの人類が従事する仕事が農業から工業へ移行した。
この背景にはもちろん植民地があるという意味で「国家」と関係しているし、同時に
国内でも工業化によって人類は田舎から都市へ大移動したわけで、現在で宮台がうざいほど
指摘しているような「流動化」はこの時期にはじまったといってよい。都市化がはじまった
のだ。
そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
この歴史を学ぶことで日本の現在の状況は相対化されるだろう。
そこで誕生したのが近代国家である。思想地図の文脈での「公定ナショナリズム」
に該当する情報が流布されはじめた時代でもある。「近代」と「国家」の関係に
ついての、わたしの側からの意見の前提はこれである。並列できないが、とても
関係しあっているとわたしは考えてる。 そして西欧から遅れて産業が近代化した「日本」
でも同様の変化、天皇主権による 大日本帝国の設立があったとさらに関連づけることも
できるだろう。
このような歴史過程を経て、その歴史をどのように受容するのか、
そもそも、本当に「全体性は消失」しているのか?単にわたしたちがそれに気づき
にくくなった、もしくは、気づいたところでどうにもならない(シニシズム)が
まかり通っているだけではないか、と最後に問題提起しておく。
宮台は現在を「全体性の消失」と分析したが、それは果たして本当なのだろうか?? 声優の声論 募集だってよ
これは北田さんと決裂フラグだな
やっぱ東には思想誌なんて無理だったんだ >>179-181まとめ乙。
以下感想。
「近代が重要」な理由を論じた、という理解をした。ただし理由は語られることはなかった。
>>181は単なる「近代」の説明。「国家」が「近代」に作られたのだから、それらの連関は明白。
> 近代によって人類の生活環境は一変した。(中略)
> そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
> これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
> この歴史を学ぶことで日本の現在の状況は相対化されるだろう。
現代と近代の相似性がどこにあるのか不明。相対化?何を相対化するのか不明。
> そこで誕生したのが近代国家である。
この書かれ方ではまるで現代において初めて公定ナショナリズムが誕生したように読める。
> このような歴史過程を経て、その歴史をどのように受容するのか、
歴史を受容するとはどのような事態を指すのか。
歴史を受容するという行為が可能だとするならば、どのように受容するのを良いとするのか。
そしてある受容の仕方についてそれが良いと言える根拠はなにか。
さらに「全体性の消失」が事実だろうがそうでなかろうが、それが何に影響を与えるのか。
私の勉強不足な点が多々あるのだろうが不明な点が多かった。
返信に期待する。 ■現実へと逃避するもの達、不可能性の時代を象徴する物語たち
ラルクの破壊的で危険な香りのするアルバム『REAL』(2001年)は、
大澤真幸の唱える現実への逃避の兆候が見られる不可能性の時代の象徴的な作品だ。
『REAL』というタイトル自体が現実への逃避を暗示していないだろうか。
また笑芸の分野でも、松本人志『大日本人』やM-1グランプリブラックマヨネーズ(2005年)、
チュートリアル(2006年)、サンドウィッチマン(2007年)と
リアリティを徹底して追求した作品が評価され、量産されている。
特に松本人志の『大日本人』は、ドキュメンタリーという手法を使い、
徹底的にリアリティを追求している。
われわれは、圧倒的なリアリティを求めているのだ。
■現実へと逃避するもの達
・WTCビルに突っ込んだテロ
・ラルクアンシエル『REAL』
・リストカット
・テレビ番組「リアリティソープ」の流行
・松本人志『大日本人』
・M-1グランプリ(ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン)
■参考文献
ラルク新曲は三島由紀夫『金閣寺』の影響か
http://www.222.co.jp/NetNews/article.aspx?asn=11267
M-1で優勝したサンドウィッチマンのネタはなぜ優れていたのか
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=20853
ポイズン・トータル・チュートでみるM-1で多用される笑いの手法
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=19831
なぜトータルテンボスはM-1グランプリで優勝できなかったのか?
(p)http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=18977
『大日本人』で描いたことが実際にも起こった
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=16559
R-1で優勝したなだぎ武のネタはなぜ優れていたのか
http://www.222.co.jp/NetNews/article.aspx?asn=11321 >>184
蒼天航路。つまらんので読む必要はない。
>>185
キモ。 >>179-181
>>183
以下感想。
かなりベタな話を更にベタな語り口で批判しているベタベタな感じがしてならない。
話の全体の流れっていうか、誰がどのレスだかわからない(ID表示されてても日にちが変わると
意味がない)ので、できれば両者は適当にコテイハンドルにしてもらいたい(トリ付)。
どうも誤読が誤読を招いて「話が噛み合わない」状況になっている嫌いがある。
「並列」とか別に誰も並列してないし、「相似性」も別に誰も相似性など言及してないのに、
それらを無根拠に断定した上で批判してても、誰と戦ってるの?みたいなベタなりアクションしか
できない気がしなくもない。言語論的な文法のあり方の厳密性を主張しているのだろうか。
よくわからないけど面白そうなので突っ込んでみる。。
>>183氏は自分がどういう立場であるのか、それなりに語ってみたらどうだ?
よく知らないけどローティ(誰?)的な「アイロニスト」の立ち位置であるとみなしておkかい? >>189
=じゃないんだな。
ID表示でもあまり意味ない気がする。。 >>188が>>179-181でないなら異様。
>>181の
> 近代によって人類の生活環境は一変した。(中略)
> そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
> これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
^^^^
傍線「これ」は「近代の状況」を指している。
つまり>>181は近代の状況と現代の状況は似ていると考察している。
(近代と現代の相似自体に疑問は尽きないが今は横に置く)
これを踏まえると、なぜ>>188は
> 「相似性」も別に誰も相似性など言及してない
と言えるのか不明。
以下精一杯理解に努めた結果。
>>181の文章が読めていない、
もしくは>>179-181=>>188で、文意が伝わらなかったと感じたからではないのか。
>>189が>>179-181=>>188だとなぜ思ったのかはわからないが、おそらく同じような理由でないか。
> よくわからないけど面白そうなので
と言っているので本当に理解できていない可能性もあるが。 追記。
> >>183氏は自分がどういう立場であるのか、それなりに語ってみたらどうだ?
> よく知らないけどローティ(誰?)的な「アイロニスト」の立ち位置であるとみなしておkかい?
立場が何に対する立場なのかわからないが、北田によれば多元主義的コミュニタリアン、
宮台によれば脱社会的存在、あずまんによれば動物となるのではないか。
イズムのようなものは持っていない。アイロニストでもない。 異様と書かれても反証のしようがないんだが、どうすればいいんだい?
191氏の意図が不明だから自分には把握しづらい、それだけ。
シビアに追求してるようだけど、相手が理解できていないと思ったのなら
書き方を変えたらどうなんだ?理解できないような人は相手にしたくない
ならそれも好きにすればいい。だが君に現状追認以外の何ができるかと
考えると何の可能性も見えてこない。 >>192
>イズムのようなものは持っていない。
しかし、世の中はイズムだらけだ。それとの関わり方はどうするの? >>193
> 近代によって人類の生活環境は一変した。蒸気機関の発明がなによりも大きかった。
> 蒸気機関が「工場」を大規模化し、多くの人類が従事する仕事が農業から工業へ移行した。
> この背景にはもちろん植民地があるという意味で「国家」と関係しているし、同時に
> 国内でも工業化によって人類は田舎から都市へ大移動したわけで、現在で宮台がうざいほど
> 指摘しているような「流動化」はこの時期にはじまったといってよい。都市化がはじまった
> のだ。
> そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
> これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
^^^^
簡単な話。
「これ」が何を指していると読んだのか教えて欲しい。 >>194
> 北田によれば多元主義的コミュニタリアン、
> 宮台によれば脱社会的存在、あずまんによれば動物となるのではないか。
「多元主義的コミュニタリアン」「脱社会的存在」「動物」
これらの概念が理解できてるのか教えて欲しい。 ――――――ゼロアカ通過者――――――
【サブカル】やずや・みなみ
ポリリズム(project1980) http://d.hatena.ne.jp/yazunami/
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【腐女子】文尾実洋・斎藤ミツ
【メガネ】藤田直哉・井上ざもすき
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>>196
987 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/30(水) 14:15:58 0
>>979
コミュニタリアンは全体主義とリバタリアンの中間
政策レベルでは自由民主制に留まりつつも自由主義とは異なる側面(つまり共同体)の重要性を尊重する
988 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/30(水) 14:21:08 0
>多元主義的コミュニタリアン(脱政治的コミュニタリアン)
>環境管理型権力の問題に批判的に関与していくと同時に、動物的・フリーライダー的な生のあり方を
>どのように社会に吸収していけばよいか、どのように社会に軟着陸させていくかという問題も考えた
>いんですね。動物化が社会全体の構造変化に対応するかたちで現れるひとつの生の戦略だとするならば、
>彼らが生きていく場所を用意することも必要だと思う。たしかに白田先生もおっしゃられるように、
>多元主義的コミュニタリアンはなるべくいない方がよい。しかし、この「いない方がよい」という価値を、
>公のレベル、つまり法や政治といった次元で実現していくというよりは、社会的な次元でどうにか対処
>していくべきではないかと私は考えます。―北田暁大
誰か日本語に訳して
http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/05050312
いい流れキタコレw これ=都市化
全体性が観念だろうが消失してようないまいようが、なんで都市化
するんだ?みたいな。日本で東京一極集中が進んでいる現象と宮台や
東が述べている事が一致してないではないか?という展開キボンヌ
だったが、その前に「多元主義的コミュニタリアン」を誰か訳してw で、「多元主義的コミュニタリアン」は何よ?w
デザート=動物的(東)
スイーツ=多元主義的コミュニタリアン(北田)
スイーツ(笑)=脱主体的(宮台)
これで正解? なんで自分で調べないの?w
検索すりゃいくらでも出てくんのにw
文章読めない池沼じゃ意味わからないかw >>204
なんで上から目線で説教するの?w
簡潔に答えるかスルーすればいいのにw
disることしかできない池沼じゃ意味わからないかw >>207
っていうか不毛だぞ、おまいらww
どっちか歩み寄らないと。。 >>206,>>208
どうやってID変更してる? >>209
ちょww
君は不信ベースで生きているんだな。
イライラが伝わってくるぞw何が不満なんだ?
2chらが頭悪過ぎる事がそんなに不満なのか?
ここは大学じゃないんだぜ? >>201
> これ=都市化
冗談で言っているとは思えない。
これ以上レスするのはやめておく。 >>212
キチガイの相手で疲れているとは思うんですけれど、一つ指摘させてください。
>>183氏は自分を多元主義的コミュニタリアンの立場にいるといっていましたが、
>>212の発言からすれば闘争的コミュニタリアンなのではないかと思います。
事実確認的に言えば>>212は排除の言葉、もしくは降りる言葉のように聞こえますが、
それをわざわざ発言して何かを促そうとするパフォーマティブな志向性を感じます。
この態度が自分の土俵に上がってほしいというものなのか、勉強しろといっているのかは解りませんが、
討議しようとする意図は感じました。
これは闘争的コミュニタリアンに当てはまるのだと思いますがいかがでしょうか。 >>214
> 事実確認的に言えば>>212は排除の言葉、もしくは降りる言葉のように聞こえますが、
> それをわざわざ発言して何かを促そうとするパフォーマティブな志向性を感じます。
>>201に単純に応答したまで。
コンテクストが定まらないため、読み方に幅が出ただけではないかと。 誰がキチガイだ!!
じゃあ、頭のいいおまいらに聞く。何で「東京一極集中」してんの?
動物化、脱社会化、多元主義的コミュニタリアン化?で説明できんの? >>216
> 何で「東京一極集中」してんの?
スレ違い。
> 動物化、脱社会化、多元主義的コミュニタリアン化?で説明できんの?
何も理解してない。近代と後期近代の区分から勉強し直すことが必要。
雑談未満の無知晒しは本スレで。 >>217
あれ?哲学は森羅万象を全てを語るんじゃなかった?
そもそも東浩紀は「東京」に関する本も書いてるぞ。
つぅか、雑談だと叩きたいならスルーしてくれよ。
いちいち喉に刺さった魚の骨みたいに突付くなよ。
相当ストレス溜まってるみたいだが、大丈夫かよw んまぁ、君が「動物化、脱社会化、多元主義的コミュニタリアン化」について
熟知してるなら、そこから「東京一極集中」現象を説明してみせてよ。
できないなら、叩くのではなくスルーしてね。 >>218
> そもそも東浩紀は「東京」に関する本も書いてるぞ。
「東京から考える」と東京一極集中は無関係。
>>219
> んまぁ、君が「動物化、脱社会化、多元主義的コミュニタリアン化」について
> 熟知してるなら、そこから「東京一極集中」現象を説明してみせてよ。
動物化から東京一極集中が導きだせるはずがない。構造として不可能。 無関係とかwwww
哲学はほんと役に立たないな、でファイナルアンサーか?
>動物化から東京一極集中が導きだせるはずがない
サンクス。動物化理論もそのていどか。なんだ。 「事実確認的に言えば」とか、
もって回った言い方をする人ですねえw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています