に抗して、無数のマイナーな声が移動し交錯する、多様な交通の状況をつくり出していくことでしょう。
いやそもそも、今のように巨大なマスメディア自体これからも必要なものなのかどうか、それは平均的大衆
という虚像に向けて、浅く広い同質的な情報を投げ与える送り手であることをやめ、むしろ異質な声の
呼び交わす分散的なメディア網の局所的中枢点(?)へ発展的に解消されていくべきなのではないか。
そのために多様なマイナーメディアの実験が必要とされていることはいうまでもありません。
しかしまた、そう、例えばテレビ局が最も完全なエレクトロニックメディアである電話網の交換台のように
なる日を夢見ることもできます。電話網のなかではある一定の瞬間ビジネスの話がなされているかと思うと、
愛が語られていたり、軽い冗談が交わされたり、また同時に極めてハードな科学の情報や哲学の議論が
交換されていたりもする、その傍らをデジタル化された様々な情報がパルスの列となって走り抜けていく
というわけです。
まあ、ちょうどそんな具合に、テレビでも少なくとも夜の間くらいは、マスに向けたものではない、各々に
特異な内容を持ち、ばらばらな方向を向いた情報が流されてもいいのではないか。一家に一台という電話
に対し、ビデオが二件に一件というところまで迫りつつある今日、そうした情報の断片がビデオカセットに
よって私的に取り交わされたりすることがあってもいいのではないか。そんなアイデアのとりあえずの表現が
このビデオ・エボリューションのプログラムに他なりません。