【エロゲ特任教授】東浩紀スレッド126【ゼロアカ帝国皇帝】
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ローティの話・・・はいいとして>>144-145のやりとりから変な方向へ話が
いっているようだ。
整理すれば、>>144が「もっと気合入れて語れや!」と言ったのにたいして
>>145が「お前は体育教師かよ?うぜっ」とリアクションしたと例えらいいだろうか。
とりあえず「全体性」の定義については>>152の「固有名を剥ぎ取った観念的存在」で
統一させておこう。ただそのような「観念的存在」が固有名から生じている、起点と
なっている固有名の忘却にあるのではないか、とわたしには思えるけど。。
いずれにせよ、「全体性の復活」を望む意見と「全体性を永続的に脱構築し続ける」意見
があるというこのレスの現状は、ポストモダン社会における宮台-東の論争をきれいに反映
している。しかも>>115は「包括できるようなシステム」があればいいと東に同調するような
発言までしている。また>>144は>>168が指摘しているように、漫画の台詞の「ネタ」である
ことからも、再帰的に、ネタ的に、全体性をつくろうとする宮台の発言に、これまたきれいに
反映していると言える。 その意味で、このレスの議論はそれぞれの立場がすでに宮台、東をリファンランスしている
ともいえるし、それぞれが発言の担保をそのような著名人においているということ、例えば
>>145が「細分化された部分の強度を高めるような語り」を掲げておきながら、それの詳細に
ついてまったく言及していない点は指摘せざるを得ない。
そのような詳細の不在が、このスレにどことなしか不毛な空気を生んでいると言わざるをえない。
よってお互いがお互いを「低脳」と呼び合うだけの幼稚な中傷合戦となっている。
それは、詳細を語ることでその相手側が詳細の中から間違い探しをしはじめる、一点の間違い
の記述を見つけることで論争に勝利しようと企む戦術を採用しているせいではないかと推測する。
とまあ、わたしのこのメタ的な実況解説もまた、すでにありふれた「立ち位置」として消費済み
なのであろうけど、そしてそのようなメタ的であることを自ら書き記すという二乗されたこの
立ち位置もまた北田暁大がそうであるように消費済みなのであろうけど、お互いがお互いを低脳
と言い合う中傷合戦は、柔道で組み手を拒むあう払い合いの様に似ていて、盛り上がり度の指標
からすればゼロアカ道場の足元にも及ばない。何か、お互いに有益な関係付けへ向かわせることは
ないだろうかと5分ほど考えてみたけど、とりあえず「近代」が話しに出てきたからそこから詳細
へ向けて語り合ってみればいいのではないかなと思う。 >>158が、「近代」「国家」「日本」て並列できんのかよw と書いた点から考えよう。
これは思想地図vol.1でのシンポジウムや鼎談を引き合いに出すまでもなく「並列」は
できないかもしれないが、密接に関係しあっているのは間違いないといえるだろう。
近代によって人類の生活環境は一変した。蒸気機関の発明がなによりも大きかった。
蒸気機関が「工場」を大規模化し、多くの人類が従事する仕事が農業から工業へ移行した。
この背景にはもちろん植民地があるという意味で「国家」と関係しているし、同時に
国内でも工業化によって人類は田舎から都市へ大移動したわけで、現在で宮台がうざいほど
指摘しているような「流動化」はこの時期にはじまったといってよい。都市化がはじまった
のだ。
そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
この歴史を学ぶことで日本の現在の状況は相対化されるだろう。
そこで誕生したのが近代国家である。思想地図の文脈での「公定ナショナリズム」
に該当する情報が流布されはじめた時代でもある。「近代」と「国家」の関係に
ついての、わたしの側からの意見の前提はこれである。並列できないが、とても
関係しあっているとわたしは考えてる。 そして西欧から遅れて産業が近代化した「日本」
でも同様の変化、天皇主権による 大日本帝国の設立があったとさらに関連づけることも
できるだろう。
このような歴史過程を経て、その歴史をどのように受容するのか、
そもそも、本当に「全体性は消失」しているのか?単にわたしたちがそれに気づき
にくくなった、もしくは、気づいたところでどうにもならない(シニシズム)が
まかり通っているだけではないか、と最後に問題提起しておく。
宮台は現在を「全体性の消失」と分析したが、それは果たして本当なのだろうか?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています