以下感想。
「近代が重要」な理由を論じた、という理解をした。ただし理由は語られることはなかった。
>>181は単なる「近代」の説明。「国家」が「近代」に作られたのだから、それらの連関は明白。
> 近代によって人類の生活環境は一変した。(中略)
> そして、その都市化によってアイデンティティが喪失した、多くの工場労働者が生まれた。
> これは現在の日本の状況とそれなりに似ているのではないかとわたしは考える。
> この歴史を学ぶことで日本の現在の状況は相対化されるだろう。
現代と近代の相似性がどこにあるのか不明。相対化?何を相対化するのか不明。
> そこで誕生したのが近代国家である。
この書かれ方ではまるで現代において初めて公定ナショナリズムが誕生したように読める。
> このような歴史過程を経て、その歴史をどのように受容するのか、
歴史を受容するとはどのような事態を指すのか。
歴史を受容するという行為が可能だとするならば、どのように受容するのを良いとするのか。
そしてある受容の仕方についてそれが良いと言える根拠はなにか。
さらに「全体性の消失」が事実だろうがそうでなかろうが、それが何に影響を与えるのか。
私の勉強不足な点が多々あるのだろうが不明な点が多かった。
返信に期待する。