【エロゲ特任教授】東浩紀スレッド126【ゼロアカ帝国皇帝】
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本スレの24の私がきましたよ。
アホはこっちにこないだろうから、こっそりこっちにうpしておきますね。
たいした書評でもないし、そもそも戦前-戦後と分けるというスタイルはもう
ダメなんじゃないかという気がする。
不可能性の時代―大澤真幸著
―60年代と80年代と現在の違い―(批評家 東浩紀)
大澤真幸は、いまや社会学者というより思想家と呼ぶべき人物だ。彼の著作は社会学を超え、文学や宗教論、
性愛論にまで広がりをもっている。とくに昨年から今年にかけての活躍は目覚しく、『ナショナリズムの由来』
『逆接の民主主義』『<自由>の条件』と刺激的な著作をつぎつぎ送り出している。本書もそのなかで出版された。
大澤思想の中心は、要約すれば「人間は逆説の動物だ」という命題にある。たとえばひとは愛するひとと一体に
なりたいと思う。しかしそれに恐怖も覚える。その葛藤から諸々の制度が生まれ、同時に制度の綻(ほころ)びも
生まれる。その機序を哲学や社会学の理論を援用してジャンル横断的に分析していく、というのが大澤のスタイルだ。 本書はその分析を戦後日本精神史に適用した著作である。彼によれば戦後史は、一九四五年から七〇年辺りまで
の「理想の時代」、そこから九五年辺りまでの「虚構の時代」、そして現在の「不可能性の時代」の三つに大きく
分かれる。乱暴に要約すれば、人々が理想を理想として生きた時代、虚構しか信じられなくなった時代、なにも
かもが信じられなくなった時代の三区分である。この分類には直観的に強い説得力がある。だれもが六〇年代と
八〇年代と現在ではなにか社会の前提が違うと感じている。その違和感の構造を明らかにした点で、本書は今後
の日本論で欠かせない参照点になるだろう。
とはいえ注意すべき点もある。本書の歴史観は、じつに前述した大澤思想の命題とあまりにもきれいに繋(つな)
がっている。理想から虚構へ、そして「不可能性」へという整理は、人間が抱える逆説がそれぞれの時代でどの
ように処理されているか、という唯一の関心から導き出されているように見える。
したがって、本書が提出する歴史観は美しいが、逆に素朴な疑問を抱く箇所(かしょ)がないわけではない。とく
に現代についての章では、具体的な分析よりも大胆な思弁が目立つ。とはいえ、そのような挑発力を含め、本書が
魅力ある著作であることは疑いないだろう。日本の思想の先端に興味のある読者に、ぜひ手にとっていただきたい
一冊だ。
たいした書評ではない。
こっちのスレはまじめに語らい合うらしいから、ネタ提供w >>24-25は昨日22日の日本経済新聞の書評by東浩紀。
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