前半見てないから後半部分についてのみの感想。
あずまが語る規則とは、犯罪を見て見ぬふりをしたら罰するというような規則なのか?
そこははっきり言って欲しかった。規則、規則だと、あずまの櫻井批判、憲法じゃ変わらないという
批判と大差がなく聞こえる。
心の問題に関する議論が制度疲労をおこしているというが、それこそ「文学」の領域ではないか?と
思った。
規則づくめにするとその弊害はある。いわゆる「儀礼主義」が横行する、それはスノビズムの世界と
言ってもいい。これでいいのか?
規則づくめにするなんて本当に可能なのか?具体的にそれは何ページくらいの書物におさめられる量に
なるのか推測すべきで、その量が膨大であるならば、あずまの考えは成り立たないだろう。それとも
携帯電話にルールブックを内臓させてコンピュータで連動管理させるシステムを構築するとかそういう
可能性を視野に入れているのだろうか。
後半を見た限りではそれほど内容があったとは思えない。
中国の儒家(櫻井)と法家(あずま)の対立にもみえた。あずまは心は自由であるべきだと考えるから、
そこへ介入しかねない何かを認めない=ゆえに規則で対処するともっていく筋道が良いと考えてるかも
しれないが、規則が心へ介入する、エクリチュールがそうであるように、そういう連動の仕方があると
いうことをデリダリアンあずまが知らないわけがない。