おしかけ女房という言い回しに何故そうも激しく憎悪を抱くのか分からん。
見る人間がどう受け止めようといいじゃん別に。
智代が朋也の家で飯を作り慣れてるのは見て分かるしそれを智代が嫌々やってる訳
ではない事も分かる。逆にそれ以上智代というキャラがこの映画で描かれて無い以上
その感情をファンがどう想像しようと自由だ。

智也の心が渚から離れてない事は映画から充分に伝わって来たけど、自分の過ちを認め
汐の存在を認めたラスト以降の事は描かれていない。親子二人で充分やって行けるかも
しれないひょっとすると再婚すら考えるかもしれない。

映画を観て、登場人物を愛し、その人達の後の幸せを想像するのは観客の自由だ。
そんな想像ができる映画こそ傑作だと思う。