劇場版CLANNAD -クラナド- 光の玉9個目
>>636
演者と交ぜてやってほしかったな。AIRもだけど
緑川の素っ気なさは、なんだあれ いや、よう分からんということはないが監督の狙いにピンと来なかったな。
アニメ版と絵が違うかとかは気にしない。
街の雰囲気に違和感を感じるのも気にしない。
うーん。 汐まで殺す必要あるの?って疑問からああいう形になった
結局は汐シナリオの奥さんに先立たれてその後どう生きるかって部分に尽きる
さすがに古臭いテーマだからピンと来ないのもしょうがないかも
原作は設定ややこしくしてそれを感じさせないようになってるが、
映画は無駄なものを排除してる分、古臭さが剥き出しになってしまうのでは? ストライクウィッチーズ劇場版でも目から汗が出るくらいのおれなのに、それもなかったんだぜ。
まぁ、また見てみまふ。 出崎は昔から、人が求める神や奇跡は人間が命を燃やして精一杯あらがった末にあるものとして描いてるからなぁ
国崎や岡崎みたいな虚ろな主人公は、そいつが逃げているものと直面して一歩を踏み出す直前直後でENDを迎えてるのも分かりにくい感じがあるのかもしれん
出崎が手掛けたなんぱ船もそんな男が主役だったけど、あのENDはまたちょっと違うしな 今更見たけど面白いじゃないか
締め方とだんごは劇場版のほうが好き 春原の使い方は原作に近いし
黒春原のあのセリフは原作やりこんでないと出せまい 保守。何だかんだで毎年一回は観る
ノジケンはもっと当たって欲しい 出崎2作って男主人公が本当の意味で主人公でギャルゲーなのに熱い話
男はどんなに辛くても自分の力で立ち上がらなきゃいけない的な。その代わり渚は美化も入った完全に思い出の人と化してるけど >>662
出崎は死にゆく人を美しく描くよね。頑張った人限定が殆ど(最後の最後に奮起する場合も許してる)
その分、生き残った人の苦しみや醜さ、ただただ死ぬしか無かった者の悲惨さも描くけど
国崎も岡崎も、一人で立つ気力を失って逃げるしかない者として徹底的に描いたのは好き 劇場版ネットは当時から辛口だけど泣いてたライト勢っぽい人は現地そこそこ居た気がする
ただ新幹線の芳野先輩の場面だからクラナドに泣いたというより出崎節に泣いた感が凄いが
反面、藤林ファンは辛口どころか激昂だった 藤林は……流石に纏められないわなぁ
個人的には汐の幼稚園で働いててっていう匂わせがあれば良かったけど、それをやると渚と同じ顔の娘が最後に出るっていう部分のインパクトが薄れるから難しい
この映画は岡崎の記憶(思い出補正)が掛かってると考えてるから、絶望状態の岡崎じゃ渚の事以外考えられないだろうし