>>222
漏れの一個人の意見としてはDREAM編とAIR編は無限に繰り返されるものだと思ってる。
住人はまず、DREAM編の最後で平行世界(AIR編の時間軸)に輪廻転生し、そらとなった。
そらはAIR編で輪廻転生し、ラストシーン(DREAM編冒頭)に出てくる少年になる。
このラストシーンで出てくる少年は作中に何度も出てきて観鈴ちんのゴールに必要不可欠な働きかけを住人にとっている。
例を挙げるならば、往人が観鈴の元へ戻るためのきっかけを作ったりなど。
そしてゆりっぺは更に観鈴ちんが星の記憶と共に返してしまった結果、少年のようにこれから起こる出来事が思い出せないでいる。
観鈴ちんのゴールにはラストの少年少女の手助けが確実に必要になっていることを考えると
DREAM編が先かAIR編が先かという疑問にぶち当たると思うがここがAIRの破綻しているところで、
企画段階から凉元に普通だったらやらない円環構造であると言われながらもだ〜まえが断固として押し倒した結果が
「彼らには過酷な日々を」というフレーズ部分になったわけだ。
従ってだ〜まえは最初から深刻なパラドックスがあるシナリオをあえて選択したということになる。
永きに渡る呪いを継承した輪廻転生は平行世界(DREAM編とAIR編の時間軸)への輪廻転生を相互に行うことで終わらせたんだと漏れは思ってる。
簡潔にまとめると、
DREAM編で少年少女にサポートされながら住人町を出ず観鈴ちんの元に戻る→
住人、AIR編でそらに。観鈴ちんをゴールへと導き、観鈴ちん星の記憶と共に空へ還る→そらと観鈴ちんはDREAM編の少年少女に輪廻転生。
→彼らには過酷な日々が待っていることを理解しつつ少年はゆりっぺとともに住人をサポートする。→最初に戻る。

無数に存在する平行世界でゴールを特異点としたDREAM編とAIR編間における観鈴ちんと住人さんの輪廻転生は無限に繰り返されると思われ。