ケーベル博士の随筆にも書かれていたが、形式で判断するか中身で判断するかで、人間は大きく二つに分かれる。
洗脳され汚された脳は形式でしか判断できない。つまり「これは何々という形をしてるから、これは〇、あれは×」という思考も感受性も無い生き方。
脳が凝り固まって駄目になってるから、自分の理解できない意見には「きも」「きちがい」などと否定するのみ。
束縛されない自由で豊かな脳の持ち主は、それこそ中身を味わう。それこそまことの幸福。
中身を味わえない人間はケダモノにも劣るもはや人間じゃない何か。だから「歩未は記号の塊」にしか見えないというわけ。