>>▼▲(鶴岡市)▼▲(その2)
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「ばぁ〜か
極楽浄土にいるのはお釈迦様ではない
阿弥陀如来だ」
長井くんが珍しく事実を書いていますね。
でもそこは、「ばぁ〜か」ではなく、せっかくなら仏教語で「莫迦」と書いて欲しかったですね。
ただ、結論から言うと、物語の中では“蜘蛛の糸を垂らしたのはお釈迦様”で正しいです。したがって「それは誤りだ」とは言えません。
たしかに仏教の教理では、西方極楽浄土の主は阿弥陀如来です。だから「極楽にいるのは阿弥陀で、釈迦ではないのでは?」という疑問が出てくるのは、とても自然な読みです。
しかし、「蜘蛛の糸」は宗教の教義書ではなく、寓話的な文学作品です。作者芥川龍之介は、読者にとって最も分かりやすい“覚った存在”の象徴として釈迦如来を登場させています。
ここで大切なのは「どの浄土の主が誰か」という配置の厳密さよりも、人間の心を見つめる超越的なまなざしを誰が体現しているか、という点です。
つまり、この作品では教理の厳密な区別よりも、利己心が救いを壊すという主題を最も明瞭に示す配置が選ばれているのです。
教理の一般論:極楽の主は阿弥陀如来。
物語の設定:糸を垂らしたのは釈迦如来。
両者は役割が違うだけで、作品理解としては矛盾ではありません。