「諳んじりよった」って、なに??
これはね、完全な活用ミスです。
「諳んじる」は上一段活用の動詞。
だから、正しい言い方はこうです。
「諳んじた」
「諳んじていた」
(仮に方言っぽくしても)「諳んじよった」
「諳んじりよった」なんて形は、日本語には存在しません。
これはもう、「形を知らずに、意味だけで使ってしまった」典型例なんですね。
しかもこの文では、「諳んじる」という、文語・古語に近く現代日本語で自然に使う人は極めて稀な言葉を、一つの短文の中で3回も使っている。
子供の頃、祖父に「今でも諳んじることできるの?」と訊いたら、全部諳んじりよったw
まだ子供の俺は手元の原稿見ながら、間違いなく諳んじることが出来た祖父に〜
こういう不自然な繰り返しって、実は、学習語彙を意識的に使おうとする非ネイティブ話者の典型的な癖なんです。
つまり、やっと覚えた難しい単語だから、繰り返し使って「ちゃんと使えてるよ!」と示したい。
でも、ネイティブはそういう単語を無理に繰り返したりしません。
だからこそ、この「語彙の執着的使用」も、非母語話者の可能性を強く示すポイントなんです。
「難しい言葉を使えること」と「日本語がうまいこと」は違います。
本当に日本語ができる人は、自然に、適切な文脈で、過不足なく言葉を使えるんです。
辞書で覚えた単語を無理に押し込むのではなく、ぜひ、自然な日本語の中で語彙を育てていってほしいですね!