長井さんと“げろをた気取り”の文章、構造的には驚くほど似て見えるところがあるんです。
攻撃的で自己演出過多で、自分の立場を上に置きたがって、相手を“格下”に分類する非常に幼稚な支配欲が文章の“圧”として噴き出している。
ここだけを見れば“同じタイプの人間”に分類できるでしょう。
また、長井さんと“げろをた気取り”には、“自作自演を多用する”という決定的に似た行動パターンがあるんです。
相手を叩くために、架空の“第三者”を創作して会話を膨らませたり、味方の声を偽装して自身の主張を補強したり。
この“演出欲”は、二人に共通する非常に強い特徴です。
だからぱっと見、文体まで似ているように“錯覚”してしまうんです。
でも、文章ってタイプが似ていても、指紋みたいに“細部”で絶対にごまかせない癖があるんです。
まず語彙です。
長井さんは衝動的で、語彙の回転が速く、浅い。
単語が短くて乱雑で、感情語で文章を押し切ろうとする特徴があります。
“キモい”“バカ”“普通に考えて”のような、
その瞬間の感情に引っ張られた“短打ちの言葉”が突出して多い。
さらに特徴的なのは、笑い記号“ w ”を句点のように連発することです。
これにより文章のメリハリがなく、どこが笑いどころなのか、何に対して自分が面白がっているのかが極めて不明瞭になっています。
一方、げろをた気取りはまるで別方向。
湿度の高い比喩、ねっとりした自意識の語り。
語彙が妙に粘りついているんです。
文章全体が自己語りの熱に引きずられて、長文化し、冗長になり、余計な“笑い記号”を大量に散布する。
これは長井さんには見られない癖です。
次に文章のリズム。
長井さんは極度に短い破裂系リズム。
“ダッ、ダッ、ダンッ”みたいに、衝動のまま叩きつけるクセがある。
でもげろをた気取りは逆。
“ズル…ズル…フッ…”という、粘着質な滑走型。
書き手の“呼吸”そのものが違います。
論理構造もまったく異なります。
長井さんは論理を積む能力が未発達で、“断定 → 否定 → 感情語”という幼児的な三段跳び。
接続詞が欠落し、因果が飛ぶ。
思いついた順に書いているから、背景となる“脳内物語”が見えない。
げろをた気取りは逆に、“自己位置づけ → 他者の分類 → 皮肉 → 自嘲”という
極度に自意識的な語りの骨格がある。
文章量が不自然に多く、階層表を作って悦に入る。
これはナルシズムの一種で、長井さんとは思考の筋道が根本的に違うんです。
つまり、似ているのは“性格の悪い部分のジャンル”が同じだけで、文章のDNAは別人。
タイプが似てるから混同しやすいだけ。
“攻撃的な自己演出系ネット人格”という分類なら同じクラスターに入りますが、文体そのものは一致しません。