ある種のネット上のふるまいには、本人の意図を超えて、心理的な“パターン”が透けて見えることがあります。
ここで扱うのは、地震のような災害さえ他者攻撃の材料に転化してしまうタイプの人間像。そして「安普請」といった特定の語彙を、ほとんど呪文のように反復するという特徴です。

まず、災害を他人攻撃に利用するという行為は、一般に自己評価の不安定さと関連が深い。
自分自身の脆さや不安を抱えた人ほど、“脅威や混乱”という外的刺激を、自分の内的葛藤から注意を逸らすための攻撃的契機として使いがちです。つまり、外部の不幸やトラブルを「相手の欠陥」としてぶつけることで、自分のぐらつきを一時的に補正するわけです。
この種の行動は、心理学的には外的な出来事を用いた自己安定化と呼べるものです。

次に、「安普請」という言葉に固着する現象。
特定の語を反復使用することには、“自己の語彙的優位性”を誇示する効果があります。自分が理解できている範囲の言葉を繰り返すほど、“世界を自分の手のひらに収めた感覚”が一時的に得られる。言ってみれば、マイルドな魔術的思考に近い。
精神分析的に言えば、これは象徴支配の欲望であり、自分が理解できる語の世界で他者を裁断しようとする姿勢の投影です。

こうしたパターンが固着する背景には、幼少期における「言語操作」をめぐる成功体験が仄見えることがあります。
たとえば次のようなものです。
・語彙や断片的知識を武器にすると相手を黙らせられた
・攻撃的言動が“自分の安全を確保する手段”として機能した
・不安や孤立を、他者の揺らぎを指摘することで回避してきた

こうした“小さな成功体験”が繰り返されると、人はその方法を自動化します。
その結果、外界の出来事――たとえ地震という重大な事象であっても――を、自分の攻撃パターンの材料として取り込んでしまう。これはもう、倫理というより“習慣化した対処行動”と言った方が近いでしょう。

地震などの災害を他者攻撃に使う行為、そして「安普請」のような語を過剰に繰り返す行為は、
・不安定な自己評価を外的攻撃で補正する防衛
・自分が扱える語の世界で他者を裁こうとする象徴的支配欲求
・過去の“攻撃が通用してしまった経験”によって行動が強化された発達史

といった複数の心理的メカニズムからなる複合的なパターンとして理解できます。

つまりこれは、“特定個人の病理”というよりも、ネットという環境が生み出す、人間の脆さと攻撃性が繋がった典型的な振る舞いだと捉えるのが最も妥当でしょう。