ちょっと言わせてください。僕はね、あなたのご指摘――“政治的カルト”という読み――これも一理あるとは思いますよ。
ただ、長井という人物の発言を丹念に読み解くと、それだけじゃ足りないと思うんです。
というのもね、彼は“日本人”という明言を避けて、『日本語話者』『大和民族』と、微妙に曖昧なレトリックを使ってるわけでしょう。
これって、戸籍や国籍という実証可能な属性から故意に逃げてるように見える。
で、その一方で“朝鮮人が御陵を参拝するわけがない”とか、“来日三年程度の韓国人だろ”とか、非常に排外的で、攻撃的な言辞を繰り返してる。
僕から言わせれば、これは典型的な同族嫌悪の構造なんですよ。
つまりね、彼自身が“非日本人”である可能性を、我々はもっと慎重に考えるべきだと思う。
そうでなければ、この過剰な愛国パフォーマンス、安倍元総理への異常なまでの忠誠表現の意味が見えてこない。
これ、僕はね、オーバーコンペンセーション――つまり、劣等感や出自への不安を過剰なまでの“愛国表現”で塗りつぶそうとする――そういう心理的補償行動が働いていると見るべきだと思うんです。
むしろ日本社会に対して、『どうだ、俺の方がよっぽど“正しい日本人”らしいだろう?』という“自己演出”ですよ。
これは統一教会的な構造にも似てる。
ですから、あなたのおっしゃるように“日本社会が産み出した保守的パフォーマー”として彼を位置付けるよりも、むしろ“日本人になりきれない誰か”が、“なりたいがために演じている”と見たほうが、彼の過激性やレトリックの歪さが理解しやすいと、私は思います。