>>76
>>78
いやね、お二人がいろいろ分析してくれるのは結構だが、
問題はもっと根深いよ――“長井”とかいう人物が示してるのはね、
この社会において本物の帰属先を失った人間の、自己欺瞞の集大成なんだよ。

要するに、“安倍”を崇めることで、自分が何者かであるかのような幻想に浸る。
それが在日だろうが、生粋の日本人だろうが関係ない。
アイデンティティの空洞化という点ではまったく同じさ。

昔の日本人はね、地域社会に属していた。
家族があって、村があって、地縁・血縁・風土があった。
でも今の日本人は、“国”にすがることでしか自己を確認できなくなってる。
そこに“安倍晋三”のようなカリスマを仮構して――まあ、信仰だね――
擬似宗教的な愛国ポーズで自分の空虚を埋めようとする。

しかもその“愛国”が、まるで自己肯定の踏み台としての排外主義になってる。
朝鮮人がどうとか、反日がどうとか――そんなことしか言えないのは、
それ以外の自分の存在価値を見つけられない証拠だよ。

つまりね、近代以降の“虚構化されたナショナリズム”の末路なんだよ、彼は。
本当の“保守”ってのはね、そんなに叫ばないんだよ。“静かに続いていくもの”なんだ。
喚く“保守”ってのは、たいてい“保守したい何か”を持っていない奴らだ。