ちなみに鶯谷と言う地区は15年位前は今以上に
危険な街だった。夜間の線路沿いの立ちんぼも
然り。陸橋下のトンネル付近は大年増のお釜の
立ちんぼも幅を利かせていた。

北口出てすぐ右の区立鶯谷公園の公衆便所には
これでもか!と言わんばかりにピンクチラシの
嵐。言問通りを渡った尾竹橋通り沿いの
コンビニ脇にある公園には野外SMしてる猛者達が陣取り、周辺は危険地帯と化していた。

マイカーを持っていない客の男達は夜間、駅までの道を歩きたくないために、
わざわざタクシーを使い、行きも帰りも
タクシーを使う者も少なくなかった。
62件中、すべてのホテルで(ビジネスも含む)
1人で入れ、ホテトル嬢(現:デリへル嬢)を
呼べる地区は東京でも鶯谷のみ。それだけ
鶯谷と言う地区が風俗で成り立っている街と
言う事がお分かりだろう。
また当時の鶯谷ではまだまだ日本人の業者が
多かったが、喧嘩口調のチンピラ接待対応の
トッポイ電話番なんてザラにいた。気弱な客は恐くなって以降鶯谷から足が遠のいたなんて
よく聞いた。
いい意味でも悪い意味でも未だに怪しさが残る
鶯谷地区。当時は岩風俗で一世を風靡した石秀なんかも人気があり……
ちなみに、この地区電車で行く人は相当勇気
いりますよ。だって鶯谷で降りる人は風俗行く
人だけですから(笑)周囲から白い目で見られますよ。また7年位前に山手線の鶯谷駅で山手線に飛び込んだ人がいました。