忘れもしない1982年の9月ですよ。俺は7日にフランス入りして、ロケハンをしていた。
モナコ郊外のラ・トゥルビーで崖のある見晴らしの良い場所を教えてもらい、そこで撮影しようと決めていた。
そしたら、愛染恭子が現地入りした13日にモナコの公妃であるグレース・ケリーがその場所で事故死してしまった。
周囲一体が封鎖されて撮影できなくなったから、よく覚えていますよ。

撮影自体は約10日間、制作費は3000万円くらい。当時のビデオでは破格の金額だよね。
ヌーディストビーチを借り切って、エキストラを50人雇った。中には、公務員や看護婦も結構いたんですよ。
子ども連れの教師の夫婦までいた。フランスは裸への偏見がない国なんだよね。

この作品で一番こだわったのは、本気のオナニーシーン。
彼女は「演技によって本物を超えたい」という意識があった。それでも、俺は「本気でイクところを見たいんだ」としつこく迫った。
最終的には、受け入れてくれたよね。唯一、監督が譲らない部分だと思って、忖度したんじゃないかな(笑い)。
オナニーの撮影では、スタッフは俺とカメラマンの2人だけ。愛染が集中できるように、カメラは部屋の一番奥に置いて、ズームで撮った。
愛染は、野性味のある女優だよね。
普通は芝居を重ねていくと、飼いならされた優等生になっていく。でも、彼女は決して自分を殺さず、メスの匂いを醸し出していた。
だから、今でも語り継がれる女優なんですよ。