性におおらかだった昭和時代を語る Part10
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今じゃあり得ない昭和の3大エロと言えば「銭湯で見た同級生女子の裸」「テレビで普通におっぱいが流れてた」「社員旅行に呼んだコンパニオンとエッチな遊び」こんなとこ? 町の映画館でポルノポスター看板
大人のおもちゃエロ本自動販売機 >>9
エロ漫画っていうか一般作品でもエロシーン満載だったな
ジャンプでブラックエンジェルとか 漫画に関しては、漫画は子供の読むもので少年漫画しか無かった頃に大人向けのも連載されてたからな
んで漫画が発展しニーズが高まるにつれ細分化してった
発展していく流れの中の一部に立ち会えたと言う感じでおおらかとはちょっと違う スポーツ新聞のエロ広告
裏ビデオ屋の三行広告とか、
ストリップ劇場の生板本番ショーの広告とか ストリップ劇場の「愛の小部屋」で手コキ
いまストリップ劇場が絶滅危機なんだよな
去年ぐらいに読んだ記事で北限が埼玉県
そこももう潰れるとか書いてた 小学生はほぼ全員ノーブラ(50年頃、その後は知らん) 永井豪の編集者の話で女子からのファンレターがよく来てたと言ってたな
学校の先生やクラスの男子にこういう事をされてみたい こういう場面を書いてほしいと要望が書かれてたりとか 愛の小部屋は一発だろ
平成までは南米や東欧の美人とヤリまくった 俺はエロトピアで初めて快感を知った小学生男子w
ちんちんがもげたかと思た >>21
うらやましい
俺が行った劇場は手コキまでだった
人前で本番する度胸だってあったのに >>5
実際に銭湯で同級生女子の裸を見た人はいる?
学年、裸とか色々語って欲しい! ピンクコンパニオンは今でもあるな
修学旅行の覗きは盗撮含みになって厳罰傾向 >>12
小学校のプールを夏休み期間に一般開放してた
更衣室が足りなくて、駐車場代わりの校庭で着替える人が多くて
よく若いママさんが子供の世話しながら着替えて
ポロリというか隠すことをあきらめて放り出してた >>23
ケチなじいさまは、誰も上がらないから
繰り返し部隊に上がってただマンしてたが
起ちもしないくせにって外人ダンサーに尻とか叩かれてたな
愛の小部屋は入場料とたしても一万行かなくて
本サロより安く一発やれた上
ダンスでスタイルや容姿見た上で抱けたから良かった
一部日本人ともやれたが、年増でも本職ダンサーだったから
色々良かったし
もう起ってた場所すら解らないくらい
再開発されちゃった劇場の思い出 >>23
ケチなじいさまは、誰も上がらないから
繰り返し部隊に上がってただマンしてたが
起ちもしないくせにって外人ダンサーに尻とか叩かれてたな
愛の小部屋は入場料とたしても一万行かなくて
本サロより安く一発やれた上
ダンスでスタイルや容姿見た上で抱けたから良かった
一部日本人ともやれたが、年増でも本職ダンサーだったから
色々良かったし
もう起ってた場所すら解らないくらい
再開発されちゃった劇場の思い出 >>24
自分は小4まで母親と一緒に女湯に入ることもあった。
当時も家風呂が普通になってきてたから、いつもじゃ無いけど同級生女子と鉢合わせたこともある。
印象的だったのは小4で同じクラスだったミキちゃんかな。女湯だから当然裸でややポチャだからか胸も少し膨らみがあってワレメまでばっちり見てしまった。
初めて同級生女子に「女」を感じた瞬間だったかもしれない。 >>29
ミキちゃんの裸、バッチリ見た翌日、学校の教室でミキちゃんと会ったときは、
悩ましい気持ちにならなかった? >>29
ありがとう、他の同級生女子と鉢合わせた模様、できればレポを! 山口百恵は『ひと夏の経験』とかの、きわどい歌詞を未成年
の時に歌わされた。
小学生が「男は狼なのよ〜♪」とか
「あなたも狼に変わりますか〜♪」と歌っていた。 だから夜中に好きでもない男の部屋に行っといて
強姦されたーなどと騒ぐ女もいなかった >>28
劇場によると思うけど、ナマ板本番ショーの舞台に上がるのは一回だけというのが基本だった。
ナマ板ショーの踊り子さんは1ステージ20分ほどで客2人とゴム本番。一日4ステージ。
一通り見てから誰とヤルか決めるのか、
良さそうな踊り子さんがいたら即ジャンケンに参加するのか、
一度お手合わせして良かった踊り子さんと再戦するのか、
悩みは多かった >>30
悩ましいと言うか、恥ずかしい様な申し訳ない様な気持ちだったかな。
ミキちゃんはド近眼で学校では分厚いメガネをかけてたから、銭湯で自分に裸を見られた事はたぶん気付いて無かったと思う。
その事があってから体育の着替えやらでミキちゃんの肌を見る機会は何度もあったけど、そこまで無防備な子でも無かったから裸を見れたのはラッキーだったと後で思ったね。 >>31
言うてだいぶ昔の話だからね。レポはちょっと無理かも。
自分の住んでた地域的な事もあったのかもしれないけど、小3くらいまでは男湯に入っても女湯に入っても、同級生女子と会う事はあった。
鉢合わせてもお互い「あ」って感じでスッと離れる事もあれば、無頓着な子だと隣に座って話をする様な事もあったけど、当時はエロい事とは思ってなかったかも。
小4の初め頃に女湯に入るのが恥ずかしくなってたけど、しばらく親に言い出せずに結局は小4の終わりまで女湯に入ってた。
その頃は銭湯で同級生女子と鉢合わせても、気付いたらなんとなく離れるのがマナーと言うか、暗黙の了解になってたかもしれない。
翌日に学校で会った時は「お、おはよう、、、」みたいな気まずい空気になってたと思う。
自分は小5になってから女湯に入る事は無くなったけど、父親に連れられて小5くらいの女子が男湯に入ってきたり、同級生の姉やら妹やらが男湯入ってきたりはあった。 小5のときに同級生の姉って…いくつだよ。おっぱい大きかったんじゃないのか。 >>40
小5の姉だから小6だよね。当時でもさすがに中学生女子が男湯は無かったと思う。
中にはおっぱいが多少は膨らんでる女子も男湯にいたと思うが、総じて男湯女子は発育も幼かった。後から思えばね。
今も小さな銭湯とかの料金区分で中人(小学生)ってあるけど、昔は中人までは異性の風呂でもokみたいな雰囲気はあった気がする。
それでも小5、小6くらいになれば、男子は男湯、女子は女湯が普通の感覚だったと思うけど、中には例外もいたってこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています