>>50
あんまり深追いするつもりはないんだけど、私も50さんと同じことを考えてた。
性同一性障害にもいろんなタイプがあると思うのだけど、彼女の時代はカミングアウトするだけで一大事。彼女自身、そちらの方面ではあまり多くを語っていない(それでも、当時としては一大業績だったと思う)。

清岡先生の写真を見ながら思うことがある。それは、清岡先生の心には、たぶん、ペニスが付いていたのだろうということ。
そして、男の子のように思春期を迎え、女の子にあこがれ、そして、精通を体験することを渇望されていたのだと思う。
「性のめばえ」の時期にさしかかった女の子たちの性的魅力を、清岡先生は男性以上に感じられて印画紙に記録するという仕事をされた。
そして、私たちは清岡先生の感性に賛同しつつ、若い精子を少女たちに捧げた……。

清岡先生はあの少女たちと、性的な意味で結ばれたかったのではないか。
もうこの世にはいらっしゃらないので、想像しかできないのだけれど、私はずっと、そんな気がしていました。

「ヤリたい」というギラギラした性欲丸出しの力武氏の写真よりも、私は清岡先生の作品に少女に対する慈しみを感じました。

いまではもう、許されることではなくなってしまったけど、清岡先生が少女たちの写真を撮ることは「セックス」と同義。それが先生の「性」だったのだと思います。
私はまゆちゃんがあまり好きではなくて、このスレは遠くから眺めるだけだったけれど、先生の話題が出るたび、清岡先生の精液の匂いを感じてしまいます。

清岡先生。
どうか天国で、自由に射精してください。
あなたの作品を目にすることはできなくなってしまったけれど、あなたの残したお気持ちは私の心になんとなく伝わっています。