おもらし時代小説を書こう♪
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皆様こんにちは。
私は長年おもらしする女性に萌えてきた者です。
私は今までいろいろなおしっこ、おもらしサイトを見てきましたが、江戸時代の人がおもらしするなどの、昔の人がお漏らしするような内容のサイトは見たことがありませんでした。
歴史も好きな私としては、非常に残念な話です。
そこで、皆様、ここでおもらし時代小説を書きませんか?
興味がなければよいのですが……もしかしたら私と同類の人も意外といるかもとか思いまして…
昔の時代であればどの人の話を書いてもOKです。(淀殿・寧々・持統天皇・日野富子・男でも好きというひとがいれば…)
これまでは、それだけで済んでいた。隣の部屋から別の声がした時、八重は緊張で体を震わせた。
「お義母様?」
「おお、うらか。また、八重の着替えを手伝ってやってくなんしょ」
「はい」
隣の部屋から少し前に、兄の覚馬と祝言をあげたばかりのうらが入ってきた。
このうらが嫁いできて以来、佐久は八重の粗相の世話を、
「嫁の仕事」だと割り振ったのか、うらにさせていた。
うらも文句ひとついうことをせず、それを黙々とこなしていた。
「じゃあ、八重の寝巻きを脱がしてやっとくれ。私は湯を沸かしてくるわ」
「かしこまりました。さあ、八重さん、座っとらんと立たんと。余計にお布団をぬらすべ」
「わ、私はひとりで・・・」
だが、これまで母にすべて任せていた八重は、いまだにおねしょの後始末を自分ひとりではできない。
うらにいわれるがまま、布団の上に立たせられると、帯を解かれて小水で濡れた着物を脱がされた。 「それなら、まかせたべな」
そういうと佐久は部屋から出て行く。そのとたんにうらは少し荒っぽい手つきで、
八重の寝巻を脱がし始めた。
「ほれ、そこに立ちなさされ。早く着替えるべ」
「はい・・・」
「まったく・・・まさか嫁さきて、おねしょさ垂れるこないに大きな妹がいるとは思わなかったべな」
口ではそう言いながら、うらはてきばきと八重を裸にしてしまった。
八重はかなり発育が良い。とても十三歳とは思えない裸体が露わになった。 「こないに大きなお尻して、おねしょさ垂れて。恥ずかしくないのかえ?」
言葉は少しきついものの、うらは丁寧な仕草で八重の身体の汚れを拭って行く。
母の佐久いわく「うらの仕事には心がこもっている」という。
普段は勝気な娘の八重も、おねしょをしたとあっては大人しくそれに従うしかなかった。
「それでも、今日はまだましなほうだべな。この間は月のものの日だった故、難儀したわ」
「うう・・・」
「八重さんももう十三だ。いい加減に、おねしょの癖は直さんとな」
「義姉様ぁ・・・あねさまはおねしょ垂れたことは・・・」
「そったらこと、4つか5つの時までだ」
それが普通のことだろうと思って、八重は真っ赤になった。
うらが嫁いできてから、おねしょの世話をしてもらうのはこれが三度目だ。
八重は今年になって初潮を迎えたが、前のおねしょは月のものと重なった。
そのときは寝床が真っ赤になり、うらは明らかに呆れていた。 その時にくらべたらたしかにマシだが、布団には大きな黄色い染みを残している。
八重がそれを見て顔を真っ赤にしている間に、うらは八重のからだを拭き清める。
尻からふともも、足の指の間まで丁寧に小水の汚れを拭って行く。
その手は最近、ようやく生えそろってきた股間の黒い茂みにものびる。そして、割れ目の中にまでうらの指先が入った。
「義姉様。恥ずかしい・・・」
「なに言うとる。いい年しておねしょした娘が、ほかになんか恥ずかしがることあるんか?」
「そ、そうじゃけど・・・」
「ほれ、終わったべ。新しい寝巻はひとりで着られっな」
「・・・ありがとなし」
小水をふき取り終わり、うらは新しい寝巻を出してくれた。八重は礼を言うと、のろのろとそれに袖を通した。
「まったく・・・このままおねしょが続いたら、嫁入りに差し障るべな」
「そ、そんな・・・」
「あらま、勇ましく鉄砲さ撃つ八重さんでも、人並みに花嫁衣装が着たいもんか?婚礼で小水さ垂れて汚さねばええんじゃけど」
「そったらことしねえもん・・・」 うらはそういうと意地悪そうに笑った。
そういいながらも、八重の濡らした布団を片付けて行く。
(義姉様は私にとって、黒船みてえだ)
八重は半泣きになりながら、それを見ていることしかできなかった。 八重にはうらと中野竹子の前でおもらししてほしいな。 千代は介抱する側のほうが萌える。
趣味は小袖つくりで、それをかわいい娘に着せることだし。 トイレに行かせてもらえない意地悪されてもらしたという話は? おもらししたとしても、そのころはけっこう年がいってないか千代? 60 70はきついが
50くらいまでなら理想化すれば問題ない 綾瀬はるかのおもらしシーンを入れれば、視聴率爆上げすると思うよ、八重の桜。 ぶっちゃけ男装して戦闘に参加していると、
トイレはどうするんだと言う気が。
娘子隊のほうは女子だらけだが。 男装して鶴ヶ城に入って戦う八重。
だが、戦場には厠などはない。男はそのあたりで立ち小便をしているが、
そんなことをすれば、女であることはバレてしまう。
(なじょしよう。もう、辛抱できない・・)
ついに八重は袴の中に、おしっこを溢れさせてしまった。
スペンサー銃を手に懸命に立ち続けたが、男では濡れないはずの尻のほうがぐっしょりぬれていく。
周りにいる味方はあ然として、敵は騒ぎ出した。
「女だ。ここに女がいるぞ!女が小便垂れとるぞ!!」
八重はおもらししながら、うずくまって泣いてしまった。 女が着物でおもらしすると、
ま〜るく染みができるのが良い。 おもらししたことを誤魔化すため、
次々と身投げする平家一門の女たち。 八重の桜の何話か前、横浜―新橋間の鉄道の描写があった。
あれって我慢できなくなった男が放尿して、
捕まった話が有名だよね。
じゃあ、男よりおしっこ我慢できない女はどうしたのか?
中学のころ、それを女子が真剣に議論していたのを思い出した。 しかし新橋横浜間なんて距離はしれてるんじゃなかろうか
調べてみたら
>新橋〜横浜29km
>新橋〜横浜間の正式開業時、全線所要時間53分・表定速度は32.8km/hとあります。
一時間程度も我慢できないようだと
ちょっと歩いてどっかに出かけることも難しいだろう
昔モーニングかなんかの漫画で
昔のフランスの電車にトイレがなかったので
離婚寸前の男女がお互いに限界まで尿意を我慢した結果
共に試練を耐え抜いた連帯意識でまた仲良くなったというフィクション話があったなw
>中学のころ、それを女子が真剣に議論していたのを思い出した。
議論の中身がすごく気になるw 駅やその周辺にもトイレなんてないだろうから、
女子は結果的に、より長時間我慢するんじゃない?
誇り高い士族の娘は野ションが出来ずに汽車に乗り込み、
座席に座ったままおもらしを。
特に会津の女子は、「ならぬものはならぬ」で甘んじておもらし。 >>322
・最後尾車両の後部デッキに出て(しゃがんで)する。
・連結部でする。
という結論が出てたw ひさしぶりにここをみたけど、
茶々のおもらし話がすっごい興奮する。 浅井三姉妹は大河で3人並んで寝ている場面が多くあって、
誰かおねしょしないかと思って見てた。
役者はともかく、あれは実際には8〜12歳くらいからスタートしてたし。 してなかったっけ?
そのもののシーンじゃなくて
昔のことをおしゃべりしてる会話で 初「まったく、そなたはいくつまでおねしょなどするのじゃ?」
江「あら、姉様とてつい去年、布団を濡らして泣いたではないですか」
初「あ、あれは夢に厠など出てくるのでついじゃ!」
江「私は夢で厠などいきませぬ。夢の中でももらしました」
初「同じことではないか!」
みたいな感じ? 後漢時代、後の西郷候・張飛と夏侯氏の若い頃のお話し
建安5年、夏侯氏は足腰の悪い祖母に頼まれ森で薪木を拾っていた。
夏侯氏は13、4の生娘であったがその真珠の様な美貌は誰もが認める所であった。
そこに義兄・劉備とはぐれ部下と共に山賊で食い繋いでいた張飛が通りかかった。
張飛は薪を拾い集めている夏侯氏の可愛さに釘付けとなり馬を止め部下にあの者は何者だ?と尋ねると
張飛の部下はその美しい娘は車騎将軍曹操の従弟で陳留太守夏侯淵の姪であると答えた。
車騎将軍操は張飛の義兄である劉備の宿敵であり張飛は
その臣下・夏侯淵には幾度と無く煮え湯を呑まれた宿敵の間柄であった。
普段の感情的な張飛であれば宿敵の親族とわかれば逆上し直ぐにも殺害してしまうのだが
そんな因縁をも張飛に忘れさせてしまう程、夏侯氏は可憐で美しかった。 張飛は馬を降り薪木を拾っていた夏侯氏の元に駆け寄った。
夏侯氏はあまりにも大きく威厳のある張飛迫られ思わず持っていた薪木を全て地面に落とし
その場に尻もちをついてしまった。
「俺は張飛様だ、こっちに来い」
張飛はそう夏侯氏に言った。
夏侯氏は叔父の夏侯淵や従兄の夏侯覇から張飛について聞かされていた。
張飛は残忍な乱暴者であり、嫉妬深く幾度と無く夏侯一族と刃を交えたと・・・
夏侯氏はこのままでは張飛に殺されてしまう思い目に涙を浮かべながら走って逃げようとした。
だが女子(おなご)でありまだ年端もいかない夏侯氏が八尺(2.5m)もあろうかという張飛から
逃げられるはずも無くついに夏侯氏は張飛に追い詰められてしまった。 張飛は魔物の様な形相で夏侯氏に迫った、夏侯氏は後ずさりするも
背中にあった大きな木に遮られ恐怖のあまりその木の根に座り込んでしまった。
恐怖により夏侯氏の大きな目はより一層見開き涙が溢れ、口と手足が小刻みに震えていた。
その時夏侯氏の股間にジワリと生暖かい感触が伝わったが恐怖に震え張飛を前に絶体絶命の夏侯氏は
そんな事を気に留める余裕など無かった。
そのまま尿は夏侯氏の股間から溢れ出て下着を突き破り夏侯氏のお尻の当たりに水溜りを作った。
張飛はもう夏侯氏は逃げないだろうと判断し夏侯氏を脇に抱えたまま騎乗し馬を走らせた。
その間も夏侯氏は恐怖により目から涙が溢れ出て何度も吐き気に見舞われながら失禁を繰り返した。
夏侯氏は疾走する馬の脇に抱えられ、夏侯氏が失禁すると夏侯氏の尿は綺麗な曲線を
描きながら後ろに飛び散り地面に落ちていった。 パンツをはいていないと、おしっこはまっすぐ落ちるのか。
もしくは着物の後ろに直撃するか、それとも脚を流れるのか? お市 - 茶々 - お初 - お江 - 珠子 - 駒姫
戦国の美女って後は誰だ? 戦国の女性達(おもらし用)
【織田犬子】
お犬の方とも、法名は霊光院。織田信秀の娘、信長の妹、秀子の姉。妹・秀子と同じく信長に溺愛された絶世の美女。
佐治信方に嫁ぎ子を儲けるが信方の戦死後、細川昭元に嫁ぐ。
【織田秀子】
お市の方とも。織田信秀の娘、信長の妹。兄・信長と夫・浅井長政に溺愛され戦国一の美女と名高い。
浅井長政に嫁ぎ、女子三人を儲けた後に長政が自害しその後、柴田勝家に嫁ぎ、勝家と供に自害した。
【浅井菊子】
諱は茶々とも、淀殿の通称が有名。浅井長政の娘、豊臣秀吉の側室。
戦国一の美女・お市の方と浅井長政との間の長女。姉妹の中でお市の方に一番似ていた為、
豊臣秀吉の側室となり最期は秀吉との間の子・秀頼と供に大坂城で自害。 【浅井初】
法名は常高院。浅井長政の娘、京極高次の正室。
戦国一の美女・お市の方と浅井長政との間の次女。細身の美女と伝わる。
高次との間に子は無く、高次が侍女との間に子が出来ると嫉妬し殺害計画を企てたこともある。
【浅井江】
法名は崇源院。浅井長政の娘。
バツ2で三回結婚を繰り返すが最終的に徳川秀忠に収まった。
夫の秀忠は江に頭が上がらなかったらしい。
【明智珠子】
洗礼名はガラシャ(グレイス)。明智光秀の娘、細川忠興の正室。
夫・忠興に溺愛された絶世の美女。忠興は他の男が珠子を見ただけで嫉妬し切り捨てたという。
だが、晩年は忠興に飽きられたらしい・・・
最期は家臣に自らの胸を家臣に突かせ絶命した。その死に様は西洋では人気のオペラになっているらしい。 もうクリスマス過ぎたが
松永弾正と三好三人衆がクリスマスに休戦したって逸話あったな
これをどうおもらしに繋げるか・・・ とりあえず
三国時代の美女
【貂蝉】
養父・王允の連環の計の為に呂布と董卓に近づき、呂布に自らの養父・董卓を殺害させた。
呂布の死後は関羽の妻になったとも。
【孫尚香】
呉皇帝・孫権の妹、漢皇帝・劉備の妻。孫呉と蜀漢の同盟の為に劉備嫁ぐ。
武勇に秀でて弓腰姫の異名を取り、侍女達に武装させていたという。
【関銀屏】
関羽の娘。孫権が関羽との同盟をなすために息子との縁談を申し入れるが
関羽が「虎の娘を犬の子にやれるか」と断った。 【王元姫】
晋皇帝・司馬炎の母、晋王・司馬昭の妻。教養があり親思いの才女とつたわる。
【夏侯氏】
夏侯淵の姪、蜀漢の車騎将軍・夏侯覇の従姉妹。13、4才の頃に張飛に拉致され妻となる。
その後、娘二人が漢皇帝・劉禅の皇后となった。
【二喬】
大喬・小喬姉妹を合わせてこう呼ぶ。「月も光を消し、花も恥じらう」と称された美人姉妹。
大喬が姉で小喬が妹。大喬は孫策に嫁ぎ、小喬は周瑜に嫁いだ。美人好きの曹操も欲しがったという。
【甄氏】
袁煕、魏皇帝・曹丕の妻。最初は袁煕の妻であったが後に曹丕の妻となる。
「傾国の美女」と称された。最後は曹丕に冤罪を掛けられ死に追いやられた。 ァ千代は九州の大名・大友宗麟の重臣・戸次道雪の一人娘として、筑後国に生まれた。
ァ千代は父・道雪に「慎み人の話を聞く娘となれ」という願いを込められァと名付けられた。
だが一人娘で当主となる為に育てられたァ千代はそんな父・道雪の願いを裏切り、男勝りな女の子に育ってしまった。
父・道雪は齢七つのァ千代に困り果てると同時にその性格を信頼し立花家の家督と立花山城をァ千代に譲った。
こうして、ァ千代は立花家の女当主となり、立花山城の女城主となった。 ァ千代が13の時、男子が居なかった父・道雪は道雪と同じく大友家の重臣である
高橋紹運の子・統虎とァ千代を結婚させ自らの婿養子にすることによって立花家の家督を譲ろうとしたのだ。
道雪の目論見通り、ァ千代と統虎は結婚し統虎は戸次統虎と名を改め、戸次道雪の養子となった。
「姫様、何故殿(統虎)と会われようとしないのですか」
と侍女に聞かれるとァ千代は少し不愉快そうな顔をしてこう言った
「殿は武勇に秀で信義を重んじる人だと聞き、男勝りな私とも話が合うと思ったがあの男は食えぬ」
実際、統虎は武勇に秀でて居たが表裏が激しく表向きには良き若武者と通っているが
いざァ千代の前となると自らの立てた功を誇り、自己中心的であった。
誰よりも武士としての在り方を重んじる、ァ千代はそれが許せなかった。
更に統虎は遊興を好み、正室のァ千代以外の女性にもちょっかいを出していたのが
更にァ千代の統虎に対する不信感を煽らせた。 いつもの様に床で眠りに着いたァ千代は尿意を催し目を覚ました。
ァ千代は
「おしっこ・・・」
と呟き部屋を出て厠に向かうァ千代はその道中、夫の統虎と出くわしてしまう。
統虎はァ千代の顎に手をやりグッと自分の顔に近付けこう言った
「久しぶりだな、こんな夜更けにどこへ行くつもりだ?」
ァ千代は怒って統虎の手を跳ね除け
「貴様には関係の無いことだ」
と言い放ちその場を後にしようと思ったが迫り来る尿意がァ千代をそうはさせてくれなかった。
(ヤバイ・・・ おしっこ!!)
ァ千代は咄嗟に統虎の前で恥ずかしげもなく両手で股を抑えた。 今年の大河はおもらししそうな女性キャラいない。
1話におもらしシーンあったけどww 戦国の女の子おもらしといえば毛利元就と側室の話があるが誰か書いてくれんかのう 濃姫の脳裏には、自分の出口からものすごい勢いの小便が撒き散らされ始める様子が
ありありと浮かんだ。厠で見なれた、白い肌、白い太もも、うっすら毛におおわれた谷間。
その谷間の奥からは、いつもの勢いの良い一条の尿線ではなく、
腕のような太さで荒れ狂ういくつもの尿線が放射状に噴き出す。
(そんな、はしたない、駄目!)
噴出寸前の濃姫は、つつましい女性にあるまじき、猛烈な小便の奔流を脳裏に描いて、
何を置いても小便の噴出をとめねばならぬと即座に判断した。 左手が、固く押し合わされた両太腿の間に素早く滑りこむ。
小便をおしとどめる力を失った、疲れ果てた出口に、長い人差し指と中指の先が突き立てられる。
濃姫の本能が、押さえるべきツボを教えたのか、
感覚さえなくなりかけていた、ヒクヒク痙攣する出口の右側と左側は、
押さえられた部分からジンジンするせつない感覚を取り戻し、噴き出そうとする小便と
刹那の差で出口はきゅっと収縮した。
しかし、ここからが地獄だ。疲れ果て、麻痺しかけていた水門が感覚をとりもどした。
正座で足が痺れる辛さは大したことはないが、辛いのは感覚がもどりはじめる時だ。
出口の筋を虫に食い荒らされるような、痛みに近い強烈な尿意の衝動が一気によみがえり、濃姫の股間をかけめぐる。
濃姫は修羅場と化した太ももの間の世界が負けてしまわないように、左手の上に右手も力強く添えた。 これだけ昔のなのに続きを期待されるとは
さすが濃姫小説だな 小便公方と呼ばれた徳川家重には女性説があるけど・・・ 368 2014/04/20(日) 10:24:25.06
369 2014/04/20(日) 10:25:22.02 >>377
お前それしか言えないのかよ
臭いから出てけよ 前に描いた夏侯氏の続きでも書こうと思ったが需要なさそうだな 自分でそういうこと言ってる作品はたいしたことないってのが相場 そんなばかみたいなこと言ってる暇があったら
時代考証でも調べてこいよ・・・ >>387
お前もなかなかだぞ
餓鬼は寝る時間だろ タッタラ〜ン「『オネショ蛇口〜』これをつけると、オネショするよ。」 徳川家の家康か秀忠の娘が宮中に嫁いだときに
貴人の世界で恥かしいふるまい失礼なふるまいをしてはいけないと思い
用を足すことを切り出すタイミングがつかめなかったり
厠そのものが武家と公家の女性で違いすぎて戸惑ったりで
入内して間もない時期に大小便を我慢しすぎて高熱で倒れた(腎臓を病んだ?)ことがあり
徳川娘の世話がゆきとどかなかったかどで侍女たちが処刑されたらしい 篤姫がおもらし寸前で廊下に飛び出した話があったな。 最新の学説では、
木曽義仲が最後に巴御前と別れた理由は、
女武者の巴は一度鎧を着てしまうとおしっこできず、
馬に乗ったままもらしていた。
それに気づいた義仲が、
呆れて別れた、
もしくは、巴に恥をかかせないために別れた・・・ということらしい。 義仲「この義仲を最後まで、おもらし女連れと笑い者にしてくれるな」 同じように義経が静御前と別れたのも、静が吉野山で寒さのあまりおねしょしたからだという。
後に静が鎌倉に下って、頼朝の不興をかった時に政子が庇ったのは、同じ癖を持つ政子の同情心からの事だった。 吉野の白い雪に黄色いおしっこ点々させてついて来たら、
平氏の追撃をかわせないとしね。 三代将軍実朝が暗殺され、鎌倉幕府の支配体制はゆらぎつつあった。
朝廷の権力をとりもどそうとする後鳥羽上皇は幕府方の京都守護を殺し
北条義時追討の院宣を各地の武士たちに下した。
武士たちに動揺が広がる中、北条政子は御家人たちをあつめて自ら演説した。
夫・頼朝の死後は尼になっていた政子だが、それ以降も息子である二代・三代将軍を
陰で支える絶大な影響力を持ち続けた政子である。出家した女の身でありながら
その演説には迫力があり、有無を言わせず御家人たちの心を固めさせる力があった。
演説後、入れ替わり立ち代りやってくる御家人たちの挨拶を改めて受けるなどしていたいた政子が
やっと一息つけたのは、夜半のことだった。
使用人たちが遅くなった食事の準備にとりかかる中、政子は暗い廊下を進み、庭に下りた。
「か、鎌倉殿、どちらへ?」
鎌倉殿というのは鎌倉幕府の将軍をさす敬称だが、三代将軍亡き後、鎌倉殿とは
実権を握る政子のことであった。 駆け寄ってくる近習を振り返り、政子は困ったような笑顔をうかべた。
「気づかれぬように立ったつもりであったが、そなたはよう気がまわるの」
政子は庭の奥に歩をすすめながらことばを続ける。
「目端のきくそなたのような者こそ近習の鑑よ。何も聞かず下がれと言えば下がるであろうが
得心もいくまいし、別の者が来ても困る。そなたには見張りを申し付ける」
「な、何の見張りでございまする?」
「ふ、歳をとりたくはないものよ、歳をとるとどうも辛抱がきかのうなっての、」
言いながら、政子は木陰で衣のすそを広げてしゃがみこむ。
そこまで見て近習はやっと政子がこれから何をしようとしているか気づいた。
「ご、ご無礼をっっ!!直ちに立ち去りますれば、」
「よい、それよりそなたは何者もここに近づけぬ見張りを申し渡した筈。しかと役目果たすがよい」
流石に気恥ずかしさがあるのだろう、威厳と貫禄の塊のような尼将軍政子の口調に
わずかにおどけたような響きが混じり、整った顔からは普段の近寄りがたい表情がゆるんで
若かりし日の美貌を思わせる笑みが浮かんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています