名著史上最強の哲学入門東洋の哲人たちによると
古代インド哲学者のヤージュニャヴァルキヤや釈迦が言うところの「悟り」とは何も考えない状態の体験であるらしい。
知識ではなく体験の事を指す。自他の境界が曖昧になり「意識が在る」ということのみに気が付く。
そして悟り体験に至る為の方法が様々な修行法を生み出し、流派が分かれていった。禅問答も瞑想も滝に打たれるのも目的は全てその体験にある。

俺はこれを大脳の活動が低下して五感の刺激が言語化されないままにダイレクトに意識に入ってくる為に起きるゲシュタルト崩壊状態なのではないかと推測する。
しかし、それを体験したからといって思想的に何かが変わるとは思えない。中高生の頃に宇宙の意味とか考えまくって能動的ニヒリズムに落ち着いてしまったから。
だから>>1のいうスピリチュアルな方面には全く興味が沸かない。しかし確かに似ている。
ドライオーガズムはトランス状態(無になる又は過度の興奮状態)で気持ちよさのみを感じることにより自他の境界が曖昧になり全てが快感に埋め尽くされるのだろう

Spherical Boundaries
ttp://blog.livedoor.jp/onaniemachine/archives/3168896.html
>すると、自分の細長い体(ベッドに横たわる175cmの円柱のようなもの)の存
>在を感じなくなり、ペニスという快感のおへそが付いた、かぎりなく薄い風船、球
>のようなものに変身したような気分になる。というか、自分をとりまく現実の空間
>座標や大きさの感覚が薄れ、濃厚な快感の空間の中で、ストロークに合わせて収縮
>する自分の存在を感じるようになるのだ。

これはつまり大脳がエンドルフィン等々による快感以外何も感じていない状態なのだろう。と思う。
その結果、普通は送らないはずの全身の神経に快楽信号がぶわーっと。