家に連れ戻されたチヨは、それ以来、一歩も外へ出られなくなった。その後、チヨは山岸の自宅や
印刷会社へ電話したが、いつも「いないよ」と呼び出しを断られた。
父親の文雄は仕事もせず朝から焼酎をあおり、チヨを監視するようになった。山岸への嫉妬もあって、
52歳になる父親がチヨを求める回数が急激に増えていった。
チヨはのちに次のように供述している。
「一晩に3回、少ないときでも2回、セックスしました。不妊手術以来、私は不感症になってしまい、
本当に苦痛でした」
事件当日の10月5日の夜も、父親は酒に酔ってチヨと交わってから
「お前が出ていくのなら、3人の子供は始末してやる!」
と布団の中で罵声を浴びせた。
チヨはもうだめだと思った。この父親がいる限り、自由もなにもないと思った。チヨは起き上がると、
部屋にあった父親の作業用の紐を持ち出し、父親の首に巻きつけて力まかせに絞めた。
文雄はそのまま息絶えた。