池江選手に五輪辞退をお願いするのは酷くない
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/05/post-10_1.php

アスリートと一般市民の利害は今や根本的に対立している。そうさせたのは、コロナ無策のまま五輪を強行しようとする政権の姿勢だ。
選手と市民がお互いをどのように考えていようが、日本政府とIOCの五輪開催方針によって否応なしに生じてしまっている、
実存的敵対関係があるということだ。

・選手と市民の実存的敵対関係
大阪ではすでに医療崩壊が起きており、死亡者数の増加がみられた。当初、京阪神や首都圏で感染拡大が起こっていた第4波は、
今は北海道や福岡県など地方に広がりをみせている。政府のワクチン対応は遅れている。オリンピック開催までに高齢者3600万人の
接種を終えるという目標も、1日あたり100万人の接種を前提としなければならず、現在のペースでは非現実的となっている。

アジアでの感染を抑制してきた「ファクターX」が通用しないとされるインド由来の変異株への置き換わりも危惧されている。
もしワクチン接種が奇跡に順調に進んだとしても、安心はできないのだ。

こうした切迫した状況で政府は、医療従事者や病床をオリンピックのために確保しようとしている。ほとんどのコロナ感染者が自宅療養を
強いられているこの時期にだ。オリンピックに伴う来訪者の数は、できるだけ切り詰めたとしても、選手とその関係者、メディア、各国要人、
ならびにスポンサー関係の「招待客」を含め数万人規模になるといわれており、当然ながら、これに対応する国内スタッフ、ボランティアのも
必要になる。こうした状況を考えると、オリンピックによって膨大な人が移動したり密になったりすることは間違いないだろう。
感染者増のリスクもそれだけ増大することが見込まれる。

・コロナ禍の五輪自体が矛盾
一般市民にとってオリンピックは、コロナ感染リスクおよび感染してもまともに治療してもらえないリスクを高めるイベントになってしまっている。
たとえコロナで死亡しないとしても、重篤な後遺症を残す可能性も高い。こうした生命の危機を肌で感じることが増えたのか、世論調査では
オリンピック中止を求める声は過半数に達している。
そもそも世界的な感染症が蔓延しているときにオリンピックを開催すること自体が大きな矛盾なのだ。

この期に及んで、なぜオリンピックを中止できないのか。それはオリンピックがアスリート・ファーストのイベントだからではなく、オリンピックという
イベントが極度に資本主義化されてしまい、もはや止めることができない自動機械になってしまっているからだろう。
電通は、今回の東京オリンピックを開催するにあたって、スポンサーの一業種一社ルールを撤廃した。その結果、日本の経済界はメディアも
含めてオリンピックに群がり、人々を巻き込んで、制御できない怪物をつくりだした。