夜みんなで食事をしながら、テレビで何となくNHKをつけていると歴史ドキュメントの番組で、「鄭和の大遠征」のことをやっていた。中国・明王朝の時代に、大船団を率い大航海を行った鄭和。彼のたどった数奇な運命は…という導入部。(2006/05/03)

ちょうど今、日経新聞の朝刊でチンギス・ハーンの一生を追った歴史小説を連載しているのだが、そんなことも連想しながら、「ちゃんとお箸、持ちなさい!」と子どもらに言いもって興味深く見ていたのだが、「襲撃」「捕虜」そして、
「去勢」という言葉が出てきて、どきりとした。

鄭和の大遠征については、学校で歴史の時間に習ったのを覚えている。そして、彼が男性機能を奪われた「宦官(かんがん)」であったことも。

でも、今40半ばで男の子を二人持っていて、「去勢」「宦官」という言葉を耳にすると、遠い昔子どもの頃に聞いた言葉とはずいぶん感じが違う。
ずしりと痛みを伴う重い現実として、そんな言葉が耳に響いてくるのだ。

「宦官」とは、中国とその周辺のアジアの国々で多く行われていた風習だとNHKのテレビは教えてくれる。近隣の国々を襲撃し、捕虜にした少年
たちに去勢手術を施し、皇帝の身の回りや後宮の世話を任せたのだと。

去勢された少年の三人に一人は、感染症で死んだそうだ。宦官となり、有能で出世して皇帝に重用された人々も多いが、「宦官の彼らは、決して
『人間扱い』されることはなかった」と番組のナレーションは語っていた。
そうだ。歴史の中では、そんなこともあったのだ。
「襲撃」「捕虜」今の自分の生活では考えられないことだけれど、そんな風に直接的に人が「モノ」として取り扱われていた時代もあったのだ。

それにしても、「宦官」「去勢」ということは知っていたのだけれど、テレビの番組でイメージとして映像で見るまで、すっかり忘れていた。
そのことに、我ながらビックリ。きっと私たちは、過剰な情報を忘れることで、
自分の身と精神を守っているのだろうなぁ。


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