天正十四年秋、秀吉は九州征伐で宇留津城を落城させた時、
捕らえた将兵とその家族の者約千人を近くの浜にて磔にさせた。
九州征伐最初の見せしめの刑罰なので、城主一族は悉く串刺し
の刑に処せられたそうだ。秀吉は中国征伐の時も上月城の捕虜
二百名ばかりを見せしめの為に串刺し刑に架けている。大量処
刑で周囲を威嚇し、寝返らせる手段としたのだ。それにしても
女子供を串刺しにするのが好きな男だ。子なし秀吉は、万福丸
の呪いだと長く語り続けられている。