エレメンタリー女子寮の備品の歴史(一部詳細)

1946:青いエピソード
女教員が振るなぎなたの竹刀。バシーンッとひびく大きな音と、男御主人様のうめき声。
一人の女子が密かにノーパンで男御主人様に近づき、スカートを捲り上げる。局部!
すぐにバッとスカートを元に戻す。男御主人様に抱き寄せられた女子は、耳元で囁く。
「自涜なさいませっ」。女子は男御主人様を武徳会柔道の体捌きで振り解き、去った。

1956:わんぱく相撲の変容
例年、総当たり方式だった男子相撲大会が、トーナメント式に変わった。
一般的なトーナメントと異なり、一回戦で負けた方が二回戦に出る。
奇数人数になる三回戦だけが総当たり方式。優勝のごほうびも今年から変わった。
新しい器具「スケフィントンの娘」の使い方の見本を務める、苛酷なものへと変わった。
男子相撲大会の直前に転入したマゾ少年にとってさえ、これはごほうびではなかった。
小さな闘奴たちは必死の形相で取っ組み合い、体の小さい四○生の男の子が優勝した。

1957:ターニング・ポイント
女子5名の誰かが常に首輪のチェーンを持つ。これは、思春期の男の子の心を押しつぶす。
授業中、首輪のチェーンは女子の机の脚に留める。男の子は机を使えず、学力は据え置き。
貞操帯があるから、姦通は常に女子が100%リードしないと成立しない。
解錠して欲しさに悶えながらペッティングしたり、自慰したくて土下座する男の子が頻出。
革枷があるから、女子が男の子を緊縛するのは簡単。ワンタッチでどんな姿勢にも固定できる。
ところで1946年に男御主人様が転入なされた時、寮側は便宜上、彼を備品として扱っていた。
女子寮内の男の子は備品。そんな思いは、確かに女性全員を通底していた。
そして形式上の備品扱いは1957年に至って、本当の備品扱いと化してしまったようだ。