沼正三とその作品
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代表作「家畜人ヤプー」と「ある夢想家の手帖から」をひっさげ、
日本にマゾ文学の金字塔を打ち立てた沼正三。
著者と作品について語ろう。 『ある夢想家〜』(全六巻&潮出版社)は小説ではなくマゾに関するエッセイ。 良スレになればいいけどこの話題はいつもグダグダになるからな ほかの著作:
『マゾヒストMの遺言』
『懺悔録 - 我は如何にしてマゾヒストとなりし乎』 沼正三=遠藤周作
という珍説がある、といってみる。 沼先生もやっぱりSMクラブ行って、
女王様にひーひー泣かされていたのだろうか。。。? 沼正三=谷崎潤一郎
という説もあるらしい。
手帖のなかで谷崎批評をしているのも自作自演。 わざと白痴を装ったりするから誤解されるけど
沼こと天野さんは文体を操れる才人なんですね。 天野哲夫さんは白痴を装って女子便所に忍び込んだりしてた
そうだ。(著書に書いてあった本当の話) 天野氏の『禁じられた青春』って本はぶあついのが
上下二巻もあるんだな。
これは読むのが大変な本だ。 天野哲夫はヤプーの続編を書き、完結させた人だが、沼正三ではない。という説がある。
会田雄次著『アーロン収容所』に、手帖の中で沼正三が語った、英軍捕虜体験記とそっくり同じ話が出て来る。
多分、会田雄次が沼正三の本名だろう。
沼正三=会田雄次説が、某マスコミによって唱えられた時、我こそは沼正三と名乗りを挙げたのが天野哲夫だった。
沼正三は自分の素姓を世間に知られる事を恐れており、それがとうとうバレたのを、天野哲夫が庇ったものらしい。 倉田さんのアイディアを借りながら
天野さんが書いたってことでいいんでない。 アーロン収容所って昔読んだことあるけど、
英国人に対する怒りがあらわで
マゾ歪むとは程遠かったように記憶している ヤプーで不満なとこは色々あるけどやっぱりイース「貴族」って設定かな
白人には敵わないっていう世界観を貴種性で弱めちゃってる 遠藤周作は「月光のドミナ」でマゾであることを公にしてるし
フランス留学時にそういう経験をしてたのは本当らしいが
カトリック作家というモラリストの看板を背負ってから大層不自由したそうな
当時のインテリマゾは本当大変だったらしいね
男色者以上だったそうだよ そういう意味に置いては谷崎は真のマゾヒストではなかったんだろうか 真性マゾヒストといえばやっぱり三島由紀夫だよ。
あの切腹はマゾヒズムの極致としか思えないな。 沼正三が懺悔録に書いていたけど、むかし奇譚クラブにマゾ
随想を書いていた麻生保という人は高名な音楽家らしいですね。 天野哲夫さん、生きてたらサインもらうのになー。
死んでしまったらどうしようもない。 手帖のあとがきに
見抜ける人がいるかどうか知らぬが、本書全体として
広義の創作になっているトリックもある。
と書かれているが、なにを指しているのだろう?
沼の「実体験」が作り話ということなら容易に理解できるが。 沼が奇クでデビューしたのは文献によると芳野眉美への私信を掲載したものとか。
その芳野は益々元気にWebスナイパーで連載中
ある意味沼の事を今一番知っているのは芳野かも知れんな。 >>27
手帖は、白人女性崇拝を主要なテーマとするマゾ随筆だが
筆者は
「第二次大戦中に南洋の戦線でイギリス軍の捕虜になり
白人女性たる司令官婦人の手でマゾに仕込まれた」
という設定になっている。
その設定自体が創作だ、という意味。 >>28
沼の「奇譚クラブ」への投稿は、
1953年4月号「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」に始まり、
同年5月号 「足舐め小説 マゾヒストの会」、
同年6月号「あるマゾヒストの手帖から」の連載開始へとつづく。
「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」は、1953年2月号に芳野眉美が投稿した
「硝子便所」を読んで沼が投稿したもの。沼が学生時代、下宿先のSっぽい美人妻の
尿を入手しようと画策し、便所に仕掛けをして成功する話。
当時芳野は18歳、後の従三位は31歳だった。
>>29 訂正 (誤)司令官婦人→(正)司令官夫人 すると芳野は今78〜79歳か。元気な爺さんだな。
早稲田出てサラリーマンやって、そのあとバーテンダーになったんだよな。 >>30
>沼の「奇譚クラブ」への投稿は、
>1953年4月号「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」に始まり、
>同年5月号 「足舐め小説 マゾヒストの会」、
>同年6月号「あるマゾヒストの手帖から」の連載開始へとつづく。
潮出版版「手帖」第6巻には、「マゾヒスト協会」が掲載されているが、
文末に追記として「本稿は私の《奇ク》誌への初投稿であった」と
記されている。
投稿は「マゾヒスト協会」が先だったが、掲載は「ネクタール…」が先んじた
ということだろうか。
それとも、単に「ネクタール…」を忘れたか、無視したということだろうか。 ネクタールは実話っぽく書かれているが、
後の従三位の実体験なのだろうか。 >>34
「こんな簡単な二つのものの組合せで、芳野君、私はそれ以後毎日
自由自在にS子のネクタールを満喫することができたのです」
下宿先の便所に自作の特殊な容器を仕掛けて、美人奥様の尿を採取し、
ネクタールとして愛飲するという話は、話としては面白いけど、
ちょっと信憑性に欠けると言わざるをえない。
しかし、飲尿の感想を述べたくだりなど、全てがウソとも言い切れない。
真実は、虚と実の皮膜にあるんだろうね。 Webスナイパーで芳野爺さんが人生相談してるから真偽を聞いてみたら? >>33 辻褄合わせるなら、同時に投稿したけど掲載号が違ったということか
>>34 手を踏まれて(36章)も実話を装っているが、いかにも嘘っぽい >>36
芳野氏に沼正三の言説の真偽を問うのはお門違いというもの。
彼に訊くなら、奇クに「硝子便所」を投稿したとき、高校生だったという
設定の真偽だろう。
検閲が現在よりも厳しかった当時、「奇ク」が高校生の投稿を歓迎した
とは思えない。彼が、実際には成人であることについて、編集部との間
で了解があったのではないだろうか。
まあ、芳野氏も、そんなことを訊かれてまともに答えるとは思えないが。 このスレ見てるんじゃないの
>書店で「奇譚クラブ」(曙出版)に会いました。
昭和27年12月号「孤独なファンタジー」が処女作です。
昭和28年4月号で 『家畜人ヤプー』の沼正三先生から「芳野眉美君に――神の酒(ネクタール)を手に入れる方法」をいただきました。
お手紙もいただいております。
故鬼六先生や「奇ク」の恩師の皆サマからは、「『奇ク』出身の作家」と言われました。 >>38
>手を踏まれて(36章)も実話を装っているが、いかにも嘘っぽい
・・・確かに、そうだね。
「終戦一、二年後の東京の電車の朝夕の混雑ときたら
経験した人でなければ想像もつくまい。
少しでも収容力を増すために、混んでくると座席の上にも土足のまま
二列に人が立つのが当たり前だったころ、昭和二一年の暮の話である・・・」
という書き出しだが、そもそも話の前提となる状況の信憑性も怪しい。
座席の上に土足で立ったりしたら座席が汚れて傷むし、
不安定でつり革も使えないので、電車が揺れたら危なくてしようがない。
もしこの状況設定自体が架空だとしたら、
その点を突っ込まれれば忽ち窮するような話をなぜ書いたのだろうか?
仮に、当時はそういう風習だったとしても、座席に上がった令嬢に、誤って
手を踏まれ、令嬢は十分間も気づかないままだった、という状況も、ありえないだろう。
実話と銘打った創作が横行した「奇ク」らしいエピソードだといえるだろう。 >>33
沼氏から芳野氏への私信は昭和28年1月付けだから、
当初は私信のつもりだったけど、それを取り次いだ編集者が
後に奇クへの掲載を図ったのではなかろうか。
だから沼氏としてはマゾヒスト協会が初投稿と認識している、
というのが一つの解釈。 だったら本人が自分の作品と認識しているということだろ? 元々は私信だったので、投稿を意図したものではなかったというのが一解釈。
私信の形式をとっているが、当初から投稿作品だったというのも一解釈でしょう。
当人がマゾヒスト協会を初投稿と称しているので、前者の解釈が浮かんだまで。 >>47
意図してなくても掲載されれば投稿でしょ? >>38
>辻褄合わせるなら、同時に投稿したけど掲載号が違ったということか
・・・それはないと思う。
「マゾヒスト協会」は、「奇ク」1953年5月号に「足舐め小説 マゾヒストの會」として
掲載されたものだが、元の雑誌記事では文中に、
「・・・他方ウロラグニストとしての実践からどうしても抜け去ることができなかった
(四月号の芳野君への手紙参照)」
と記されている。
( )内を読むと、まず「ネクタール」が四月号に掲載され、それを確かめた上で
「マゾヒストの會」を投稿したことがわかる。
ちなみに、「手帖」所収の「マゾヒスト協会」では、「(四月号の芳野君への手紙参照)」と
いう文言は削除されている。
「手帖」で「マゾヒスト協会」の文末に追記として
「本稿は私の《奇ク》誌への初投稿であった」と記されているのは、これにつづく
「『「まえがき』はそのつもりで読まれたい」を言うためであって、
便宜上、実際には初投稿だった「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」を無視
したものと思われる。 沼正三が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号「足舐め小説 マゾヒストの會」
は、注意深く読むと、沼を研究する上で、中々面白い材料を提供してくれる。
たとえば、「まえがき」の第一段落、第7文目に
「私は、在外中、捕虜になった時、相手の司令官夫人から訓練を受けて生まれもつかぬ
マゾヒストとして復員してきたのであるが」
という文言が見え、沼正三は、最初からこの虚構(つくり話)を身の上として採用して
いたことがわかる。
また、本格的初登場でいきなり巻頭(グラビアを除く)に掲載されており、沼の記事が
「奇ク」の編集者から高く評価されていたことが覗われる。 「ある夢想家の手帖から」は、ネットにアップされており(http://tecyo.x.fc2.com/)
「マゾヒスト協会」も「付録・E」として収録されている。
ただし、単行本化にあたって、「奇ク」の投稿記事に多少修正が加えられていたりする。
例えば、「奇ク」の「足舐め小説 マゾヒストの會」では、「まえがき」に
「三年前に今の家内と結婚した。(中略)所が結婚と同時に公務員アパートに入ったが、…」
とあり、筆者が「1950年頃に結婚し、公務員だった」という設定であることがわかる。
一方、1976年出版の「ある夢想家の手帖から」では「ところが結婚と同時にアパートに入ったが」と記され、「公務員アパート」が「アパート」に書き換えられている。
http://tecyo.x.fc2.com/07huroku/07-e01-20120401/skd-443.jpg
「奇ク」投稿時は、「公務員であることを明かしても差し支えないだろう」という判断で、
そこには、「公務員といっても、まさか裁判官とは思うまい」との判断もあったのかもしれ
ないが、後に単行本化するに際して、やはり「公務員」という正体は秘匿する方が賢明だ
と考えたのであろう。 理屈っぽくてつまらん
司令官夫人が虚構なら公務員だって虚構だろ >>52
理屈っぽいのはそうだろうが、沼が公務員だったら
何か都合が悪いことがあるのかい? >>52
>司令官夫人が虚構なら公務員だって虚構だろ
…勿論、一般論としては、その可能性もある。
それを顧慮して「設定」という言葉を使ったのだ。
その上で、もし公務員という設定が虚構であるなら、単行本化にあたってわざわざ
「公務員アパート」を「アパート」に書き換える必要が生じないから、
翻って、公務員という設定は虚構ではないだろうと考えられるのである。
>理屈っぽくてつまらん
…そうおっしゃるなら、理屈っぽくなくて面白い「沼正三とその作品論」を
ぜひ書いてくださいな。期待していますよ。 >>54さんには沼氏の作品リストを作ってもらいたいな
それだけ沼氏について詳しいんだったらオレたちの知らない作品もご存知だろ
個人的には氏が翻訳したマゾッホの作品リストが欲しい >>55
>54さんには沼氏の作品リストを作ってもらいたいな
…沼正三の作品は、ただ二つ。
@「ある夢想家の手帖から」と
A「家畜人ヤプー」だけです。
(ちなみに、「奇ク」に「あるマゾヒストの手帖から」の連載を始める前に投稿した
「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」と「足舐め小説 マゾヒストの会」も、
潮出版社版「ある夢想家の手帖から」に収録されている)
「家畜人ヤプー」改訂増補決定版(1972年)あとがきには(そして、同書の文庫版である
角川文庫版「家畜人ヤプー」あとがきや、幻冬社アウトロー文庫版「家畜人ヤプー」
第5分冊あとがきにも)
「一度は捨てた沼正三の筆名が、『ヤプー』と『手帖』の単行本の著者名として残るなら
本望だ。これが出版を承諾した時の偽らぬ心境であった。(今後も、私は、これ以外のことに
この名を使う気持ちはない)」
と記されている。
「今後も、私は、これ以外のことにこの名を使う気持ちはない」という潔さは、マゾを
ネタに飯を食っているわけではない「アマチュアマゾ」たる沼氏ならではですね。
(もっとも、「代理人改め二代目沼正三」氏には色々な作品があるようだが、二代目氏の
作品にはあまり関心がないので、どんなのを書いたのか、よくわかりません) >>55
>個人的には氏が翻訳したマゾッホの作品リストが欲しい
…潮出版社版「手帖」第6巻には、付録として、マゾッホが書いた「后妃の復讐」と
「黒女皇」の抄訳解説が掲載されている。
(51で言及した「ある夢想家の手帖から」のウェブ・サイトでは、
目次http://tecyo.x.fc2.com/shirote-01.html から、
第6分冊 黒女皇 付録 F 公妃の復讐 G 黒女皇 を選択してください)
なお、同分冊の「索引」の「マゾッホ」の項には、沼が「手帖」で言及した二十余のマゾ
ッホ作品が列挙されています。
(上記サイトでは、第6分冊 付録 L 索引 l 14 17ページ
http://tecyo.x.fc2.com/07huroku/07-l04-20120502/skd-557.jpg を参照) 沼正三といえば、ドイツ語の達人というイメージが強い。
「ある夢想家の手帖から」の冒頭、「第一章 夢想のドミナ」の題辞では、マゾッホの
「女新聞社長」からの一節をドイツ語の原文とともに引用しているし、「手帖」で論じる
文献も、クラフト=エビングの"Psychopathia Sexualis"(病的性心理)やアルフレッド・
キントの"Weiberherrschaft"(女天下)など、ドイツ語のものが多くを占める。
「ヤプー」のヒロイン、クララ・フォン・コトヴィッツも東独の名家出身との設定だし、
沼自身、まだ外国旅行が規制されていた時代にドイツに渡航(留学)している。
このようにドイツ語に親しい沼だが、「奇ク」に本格登場した1953年5月号掲載の「足
舐め小説 マゾヒストの會」(Une societe de masochists)は、フランスの小説の抄訳・紹介
である。しかも、英語訳や独語訳等からの重訳ではなく、仏語から直接訳しているようだ。
「手帖」第105章「わがドミナの便り」には、森下高茂氏の仲介で知った英伊混血の
白人S女性と文通したいばかりにイタリー語を勉強したエピソードが記されている。
英語は勿論、ドイツ語も堪能。さらに、フランス語やイタリア語までと、沼さんはホン
トに語学が好きだったんですね。 フランス語については、倉田卓次氏が、彼の最晩年に出版された「続々裁判官の戦後史」
という著書の「『家畜人ヤプー』事件」と題する章で、面白い話を披露している。
その章の最後の5ページは「ヤプー」のフランス語版・中国語版の話題だが、その中で倉
田氏は、フランス語版「ヤプー」を読んでおかしな箇所(といっても、実に些細な誤りな
のだが)をみつけ、
「Aに連絡して訳者に注意するよう助言しておいた」
と述べているのだ。
これを読むと、ドイツ留学の語学試験に通るほどドイツ語に堪能な倉田氏が、フランス語
の読解力にも長(た)けていたことがよくわかる。
ちなみに、Aとは天野哲夫氏のことで、ここでは彼がまさに「代理人」の如く扱われている。
それにしても、倉田氏は、取るにたりないような些細なことを、なぜわざわざ、かなりの
紙幅(約1ページ)を割いて記したのだろうか?
「『家畜人ヤプー』事件」は、表面的には、「『ヤプー』を書いたのは天野氏であって自分
ではない」と釈明する内容のように読めるが、よく読むと、「真の作者は、実は私なのだよ」
というメッセージを送っているように思われてならないのである。 >>60
>もっとちんぽ勃つ話キボンヌ。
…そうだね。ぼちぼちそんな話もしたいね。
といっても、ここは沼正三と彼のヘンタイ小説「ヤプー」、ヘンタイ随筆「手帖」のスレ
だから、たとえば、こんな文章(↓)にちんぽ勃つ人限定だけど。
「ニューマが後肢を伸ばして身を起し、首をその足台の上に伸ばして、真っ白な彼女の足の甲を舐めた」(「ヤプー」第2章 円盤艇の中で 第4節 狩猟犬訓練)
「肉足台に載せた足の片方を上げて、犬の舌が足裏にも届くようにしてやりながらポーリーンは自己紹介し・・・」(「ヤプー」第3章 驚くべき真相 第1節 自己紹介) >>59 基本的な構想はすべて卓ちゃんによる、と考えていいのかな? >>61 のつづき。
「ニューマが後肢を伸ばして身を起し、首をその足台の上に伸ばして、真っ白な彼女の足
の甲を舐めた」
さすがは沼さん。「彼女の足を」じゃなくて、「真っ白な足の甲を」ってのが秀逸だね。
白人女性の足元に犬のように這い、「真っ白な彼女の足の甲」に接吻したり、「真っ白な
彼女の足の甲」をペロペロしたりを妄想などして、妙に昂奮したものだよ。
そうしたことが実現するようになってからも、その行為に及ぶたびに「真っ白な足の甲に
唇を押し当て」とか「真っ白な足の甲を舐め」なんてフレーズが脳内を飛び交い、感激と
興奮はいよいよ昂まるのであった。
…とまあ、こんなところが、道具としての「ヤプー」の使い方ではあるまいか。 沼正三が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号「足舐め小説 マゾヒストの會」。
その「まえがき」によると、沼は結婚後にこの小説を読んで足舐めに興味を覚え、新妻を
相手に実践してみて、足舐めの妙味を知ったという。
足舐めにはネクタールとは又異なった味があること。無念無想に舐めていることによって
精神の浄化まで期待できるのではないかと思えるほどであることを読者に体験から断言で
きる。
さて、かように「足舐め」というものの効用を、或いは酔心地を知ってから世間のマゾヒ
ストを見ると、どうも皆さん、この妙味をご存じない方が多いようである
と述べている。(「*ネクタールって何?」って人は、>>33を見てね)
「無念無想に舐めていることによって精神の浄化まで期待できるのではないかと思える」
とは、これまた巧いことを言うね。実際、綺麗な女の人の足を一心に舐めていると、浮世
の憂さは綺麗さっぱり忘れて、心スッキリだよ。
まだ未経験のマゾの皆さんは、ぜひ試してみよう! >>63 基本的な構想はすべて卓ちゃんによる、と考えていいのかな?
…いいとも! >>65 のつづき。
もともと女性の小水が大好きな沼さんだったが、結婚後引っ越したアパートが水洗便所
だったので、小水を密かに採取することができなくなり、がっかりしたんだと。
「…ウロラグニーの方は流石に家内にもいえない。隠れてネクタール採集するしかないの
であるが、足舐めであれば隠れてはやれない。と同時に、ウロラグニーと違って、家内を
そこへ誘導することは何でもない。殊に私の家内などは素質もあったのであろうか。小説
の女主人公と同様、これの愛好者(舐めさせる方の)となった」
確かに、マゾが足舐めの妙味を知るのと同じく、女性の方でも足を舐めさせる快感に目覚
めることがあるようだ。私のニューマごっこの女主人も、これがすっかりお気に召したよ
うで、「もっと上」「そこ、そこ」「もっとゆっくり!」なんて命じつつ、畜人犬の舌を心ゆ
くまで堪能するのでありました。 足舐めファンは結構いるようだね。とあるSNSの「足舐め」サークルに投稿された、自己紹介。最近1ヶ月以内の記事から…
・彼女とのHの最中にあえぎ声がうるさいと言われ口の中に足を入れられてから足をご奉仕するのが好きになりました。(7月9日)
・神戸の舐め犬です。 足が大好きです。(7月18日)
・女子大生や30代まで幅広く 舐め犬をしています^^ 大阪でサラリーマンしています(7月19日)
・大阪市内の22♂です!!女性の足を裏から指の間、指先まで綺麗に舐めたいです。
踏まれながら舐めたりしたいです。犬になったみたいな舐めたいです (7月24日)
・足を初めて舐めさせられた時は、お詫びの印としてで、始めは嫌だったのになんかドキドキしてました。
舐めさせられるのにドキドキしちゃいますね。舐めさせてくれる方いないかなぁ。(8月2日)
どれも、足を舐めたくて舐めたくてたまらない気持ちが溢れているね。
それにしても、5つのうち3つが阪神。足舐めファンは阪神に多い?
「とりわけ、綺麗な白人女性に足を舐めさせられたりすると、頭ん中が真っ白になります」
なんて香具師、いないかなあ。 沼さん、リンはあれで幸せなのかい?
男として間違っちゃいないかい? >>69男として間違っちゃいないかい?
…大間違いだよ。その大間違いに昂奮するのが、Mってものなんだろうね。
>>68の「足を初めて舐めさせられた時は、お詫びの印としてで、始めは嫌だったのになん
かドキドキしてました」なんて話もそうだけど、「オレは男として間違っているなあ」って
いう後ろめたさが、ドキドキ感につながるんだと思う。 >>70
お詫びの印に……
始めは嫌だったのに……
という所が、オレ的には最重要ポイント。
個人的な事だが、ご褒美や恵みとしての足舐めは白ける。
侮辱行為として、舐める事を強制される、舐め「させられる」という部分が肝要。 >>71
>68 = >70 だけど、全面的に賛成・同感・異議なしだね。
「足を舐めさせられる」なんて、人として最低の屈辱だ。女性に強制されて、その屈辱を
無理やり受け入れさせられるってところに、Mとしてのときめきのツボがある。
沼さんも「手帖」の「第4章ナオミ騎乗図」で、谷崎の「痴人の愛」を評価しながらも、
クライマックスの「愛の馬」シーンで、主人公の譲治の方からナオミに頼みこんで馬にし
てもらうって筋書きが、インドの「ネンダ王説話」で王が王妃へのお詫びの印に王妃の馬
にさせられるっていう話に比べて、物足りないと言っている。
「…一方では支配しているのは『馬になる』男の意志であり、他方では、それは男を『馬
にする』女の意志である。 前者ではマゾヒストが、後者ではサディスチンが主役である。
そして私たちは、後者にこそ、より強いマゾヒズムを感じるのだ」
つまり、同じ足舐めでも、「足を舐めさせてください」って頼むよりも、「私の足を舐めよ!」
って命じられて、嫌々ながら舐めさせられるっていう状況の方が、遥かに昂奮するもんだ。
それにしても、>>68の、男に「お詫びの印として私の足を舐めなさい」って迫った女性っ
て、実に素晴らしいね。 >>71 のつづき。
ご褒美や恵みとしての足舐めは白けるけど、ご褒美や恵みとしての足接吻はありかも。
「…黒奴のほうを向いたドリスは微笑み、
『さっきはご苦労。接吻を許す』
蛇のお礼だ。黒奴に対して白人貴族が接吻といえば、もちろん足接吻のことである。
B2号は両膝ついて長靴の先に唇を当てたが、破格の栄光に震えて歯がガチガチと鳴った。
賤しい飼育係の黒奴にとって今日は生涯の最良の日となるであろう。お嬢さまの靴に接吻
した日!」 (「ヤプー」第17章 畜舎のドリス 第4節 恋人から女主人へ)
普通は、屈辱の極みのはずの靴への接吻が、ここでは「ご褒美や恵み」となっている。
それも、「生涯の最良の日となるであろう」ほどの。
つまりは、それほどまでに相手を崇めているってことで、確かに、美しい白人令嬢の靴に
接吻を許されるなんて、夢のようなご褒美・恵みだね。
(…で、そんな風に考えた途端、激しいM的感興が…つまりチ○ポが×つのであった)
ここでも、あくまでも美しい白人令嬢から、ご褒美・恵みとして与えられたのであって、
黒奴がおねだりした結果ではない、ってところが、大事なポイントだね。 >>74
>終りか?
…まだまだ。でもおまいらもガンガン投稿しろよ 小説本は、文章だけでなく、挿絵や装丁も大切な要素だ。
「ヤプー」は、この作品に惚れこんだ三島由紀夫が、出版化に向けて尽力したからこそ、
世に出ることができた。「ヤプー」初の単行本は1970年2月に出た。挿絵は宮崎保之。
しかし、三島は、宮崎の挿絵が気に入らなかった。寺山修司との対談でこう言っている
「挿絵は、もっともっとリアリスティックでなきゃいけない。
変に抽象化しているが、あれでは作意が生きないよ。(中略)
少年雑誌みたいなリアリズムが『家畜人ヤプー』みたいな小説には
必要なんだ」(「潮」1970年7月号)
宮崎には気の毒な感想だが、三島としては、本作りを編集者任せにしていたら、考えてい
た趣向とは違う挿画・装丁となり、がっかりした、といったところだろうか。
このとき三島の頭には、「リアリスティックな挿絵」を描く画家として、村上芳正が浮か
んでいたはずだ。村上はかねてから三島の舞台のポスターや本の装丁を手がけていた、
最初の単行本と同じ年に同じ出版社から出された「改定増補限定版」では、村上が挿画
を担当している。
なお、この「村上ヤプー本」が出た11月のその日、三島はそれを見ることなく死んじゃった。
「改定増補限定版」は、後に角川文庫になっている。もちろんカバーも挿画も村上の絵だ。 (>>77のつづき)
これまで、さまざまな画家や漫画家が、「ヤプー」の世界を表現してきた。でも、その中で、
「ヤプー」が主題とする「白人女性の凛とした美しさ」を見事に描いたものといえば、
何といっても村上芳正だろう。
村上の描く白人女性の、気品に満ちた、冷ややかな美貌ときたらどうだ。そのケのない野
郎だって、思わず跪いて、真っ白な足に接吻したくなるんじゃなかろうか。
その村上芳正の原画展を、弥生美術館というところで、9月29日までやっている。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
「ヤプー」の原画を中心に、彼の様々な作品が展示されている。
特に白人女性の絵は、どれも、沼のいう「白人崇拝思想」の持主ならタマらんよ。
美術館の場所が、三島や沼が若い頃法律の勉強に励んだ東大の裏だってのも、粋な巡りあ
わせだね。 ヤプーいいね
M男向けやS女向けの漫画や本おしえて >>80
>以前も東京で個展やってなかったか?
…これまで2回開かれているよ
「村上芳正の世界展」(2010年11/6〜13@高輪「ギャラリーオキュルス」)
「家畜人ヤプーの世界 ― 村上芳正原画展」(2011年9/15〜10/28@神楽坂"artdish g")
1回目は小さな画廊、2回目はレストラン付属の画廊だったけど、今回は本格的な美術館
で開かれている。
ただ、ヤプーの原画について言えば、2年前の神楽坂の方が、近くでじっくり見れた。
今回はガラス越しで、距離があって、細部はよくわからない。
どの個展も、熱心な村上芳正ファンの働きかけで実現したようだ。
村上芳正ファンのHP「薔薇の鉄索」http://barano-tessaku.com/
初の個展が開かれた2年前、村上さんは88歳。ぎりぎり間に合った感じだね。
こうした個展が開かれないと、彼の素晴らしい「ヤプー画」も散逸していたことだろう。 >>79
…M男向けやS女向けの漫画や本おしえて
いっぱいありすぎて紹介しきれないだろうね。
漫画については、沼も「手帖」で「第38章 漫画の効用」という章を設け、
「…現代日本の漫画家の作品は、マゾ・ガイガー管を備えたマゾヒストにとっては、一大
鉱脈というに値する。名の知られた漫画家には、多かれ少なかれ、なんらかのマゾ的感覚
が見られるのである」
って言ってるよ。
別の章では、古谷三敏の「ダメオヤジ」(「手帖」第26章 妻による夫の虐待)や、
ジョージ秋山の「ゴミムシくん」(「手帖」第133章 スクビズム)を、実際のマンガ入り
で紹介している。
「漫画の効用」は、もともと、沼が「あるマゾヒストの手帖から」第一回目(「奇譚クラブ」
1953年6月号)に「第四 漫画家のマゾヒズム」として発表したエッセーだった。
連載エッセーの最初に漫画家の話をもってくるあたり、沼さんも相当漫画が好きだった
…というか、「眼からのマゾ的刺激」に敏感だったんだね。
個人的には、小池一夫・叶清作コンビの「マギー'S犬(マギーズドッグ)」「マギー'S犬Jr.」
がよかったと思う。
叶の描く白人女性は秀逸だ。ただ、マギーさんはちょっと(というか、かなり)下品なのが難だけど。 足舐め譚のつづき
マゾの皆さん、足舐めに励んでるかな?
沼が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号の「足舐め小説 マゾヒストの繪」には、
小説のヒロイン、21歳の令嬢ソフィアが、彼女に求婚する30歳の青年ジャンに、足舐めの
技巧を仕込むくだりがある。
「…二本の趾(あしゆび)を一緒に口に含んで、よく吸ってきれいにしてから、気をつけて舌
をその二本の間に入れるの。さっぱりした感じがするようにして。そう、そうやって吸っ
て…おしゃぶり貝みたいに。
…それから足の裏だけどね。くすぐったくないように気をつけるのよ。歯でもってたこを
けずってごらん。痛くしないようにね。初めに舌でうるおうまでなめて、それから歯で少
しづゝ静かにけずるのよ…」
なお、足舐めの技巧としては、このほかに、一本の趾を口に含み、趾の腹を歯でしごいたり、
土踏まずを強く吸ったり、5本の趾の上や足の甲を舌先でゆっくりとワイプしたり…等々。
ミュールを履いたドミナの、足裏と中底(インソール)との間に舌を挿し入れたりなどするのも、
楽しい。 >>83 のつづき
沼が紹介した「マゾヒストの繪」の描写や、>>70-73あたりの議論のように、ノン気男が、
のっぴきならない事情から、S女に足舐めを強いられ、最初は嫌々舐めていたが、
やがて足舐めの妙味に酔うようになる、なんてのが理想でしょうな。
でも現実には、女性の足を舐めたい男の欲望がまずあって、性戯のひとつとして実行して
いるうちに、女性の方でも男に足を舐めさせる悦びに目覚める…っていうパターンが多い
んだろうね。
沼がそうだったように。
>>67にも引用してるけど、沼正三は、「足舐め小説 マゾヒストの繪」まえがきに
「足舐めであれば隠れてはやれない。
と同時に、ウロラグニーと違って、家内をそこへ誘導することは何でもない。
殊に私の家内などは素質もあったのであろうか。小説の女主人公と同様、これの愛好者(舐
めさせる方の)となった」
と書いている。
まあ、最初はどちらの主導でも、結局は、男が女の足を舐めるっていう、女性上位な性愛
技巧によって互いに悦びをえるのだから、よしとすべきなんでしょうね。
それにしても、世のM男性は、いったいなんで、女性の足を舐めたいなんて思うんだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています